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タイソン他数々の名ファイターがリングに上がったデトロイト郊外のアリーナ「The Palace」の終焉

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
2000年10月20日に行われたマイク・タイソン×アンドリュー・ゴロタ(写真:ロイター/アフロ)

 去る7月11日、30年にわたってファンを魅了したミシガン州デトロイト郊外のアリーナ「The Palace」が、再開発の為に壊された。362キログラムのダイナマイトで爆破され、跡形もなく塵となった。

 NBA、デトロイト・ピストンズのホームアリーナとして29年間愛され、1988年9月10日にはジョージ・フォアマン×ボビー・ヒズが、2000年10月20日にはマイク・タイソン×アンドリュー・ゴロタが催された。

 地元のヒーロー、トーマス・"ヒットマン"・ハーンズを筆頭に、ミルトン・マクローリー、マーク・ブリ―ランド、マイケル・モーラーといったKRONKのファイターたちも、この場に設けられたリングに上がった。

 ハーンズは、自身のラストマッチに同アリーナを選び、2006年2月4日に引退興行を打っている。

 ピストンズの試合も取材したが、私が同会場で目にした光景で最も鮮明に覚えているのは、やはりタイソン×ゴロタである。イベンダー・ホリフィールドの右耳を食いちぎり謹慎となったタイソンは、復帰ロードを歩み出したものの、全盛期とは程遠い動きしか見せられていなかった。謹慎明け5戦目に<安牌>として選ばれたのがゴロタだった。

 試合開始直後から、ゴロタの腰は引けていた。ファーストラウンド残り13秒にタイソンの右ストレートを浴び、ダウン。2ラウンドに入るとゴロタはクリンチを多用し、戦意を失っていく。

 そして、第3ラウンド開始前に試合を放棄し、さっさとリングを降りて控室に向かった。フラストレーションを感じたファンは、そんなゴロタに紙コップに入ったビールや真っ赤なゲーターレードを投げつける。

 ゴロタの左肩から胸の部分に掛けられた赤い液体が妙に鮮やかで、毒々しい色だったことを記憶している。

 タイソンはゴロタに快勝し、もう1試合こなして、彼にとって最後となる世界ヘビー級タイトルマッチに挑むこととなるhttps://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20171201-00078376/

 -----が、ゴロタ戦後の尿検査でマリファナ使用が明るみに出て、試合はノーコンテストとなってしまった。

 わざわざデトロイトまで飛んだものの、勝者にも敗者にも失望させられ、私は徒労感に覆われた。

 それから9年後、NBAの取材で「The Palace」を訪れ、翌日3時間強のドライブでオハイオ州クリーブランドに移動した際、私はスピード違反で警察に切符を切られた。調子に乗って、ついついアクセルを踏み込んでしまったのだ…。日本で言う白バイに追い掛けられ、罰金$350を告げられた。かなり懐が痛かったのを思い出す。

 それ以上に「The Palace」が消え失せてしまったことに、寂しさを覚える……。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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