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災害直後にパッと動き、支え合えた地域がある!能登半島地震で見えたコミュニティと生き方【神戸市】

Hinata J.Yoshioka旅するフォト&ライター(神戸市)

14日、神戸市中央区の東遊園地で「能登半島地震」支援活動の報告会がありました。

NGO団体「CODE海外災害援助市民センター」事務局長の吉椿さんと、スタッフの山村さんが現地入りした時のお話や被災地の様子、ボランティア関連、今後のことなどを簡単にまとめてみました。

吉椿「2007年の能登半島地震で支援をしていた事から、16年間毎年通っていたのもあり普段から七尾市中島町小牧の人たちと連絡を取り合っていたのですが、地震発生から2分後に彼らと連絡がつきかなり緊迫した状況でやり取りをして…その後に、神戸にいたスタッフと協議し、当日夜の21時前には現地入りを決定していました」

吉椿「2日の夜に小牧到着、8時間半かかりました。珠洲や輪島に行くには249という国道を通るのですが小牧から崩れていて通れない。迂回路を作らないと北には行けないのですが、それを作ったのは地元の被災者の人たちです」

山村「小牧という地域は、お祭りがあるからこそのコミュニティの強さがあると感じました。そこには様々な職業の方がいて、それぞれが自分の役割を認識し、活動して自分たちで避難所を運営していました。道や水道管をなおしたり、行政が手が回らないので自分たちでやるしかないと」

山村「メディアが取り上げるのは大きな被害がある地域だけになってしまうし、警察などの支援もそう。そして避難所も、ボランティアがいないことにはまわらないのだとも」

吉椿「現状、物流は動き始めています。物は集まっているのですが、指定避難所には物資は届いても自主避難所にはまわってこない。行政も把握していても人手が足りず届けられないんです」

インタビュアー「人手(ボランティア)は来ないで」というメッセージもありますが、どうなのでしょうか」

吉椿「渋滞は確かにあります、4日ぐらいから渋滞は始まりつつあって。北から南に降りてくる大半は被災者の人たち。南側から救急車は輪島(北)に向かって走るし、ボランティアもいる。能登に親戚がいる人たちなどが物資を運んでいたりも。実は被災者の家族もいっぱいいて、全部が全部ボランティアが渋滞を起こしているわけではないことを理解する必要もあります」

「しかるべき所を通じていけば渋滞の緩和を考えながらボランティアも入っていけるかと。だけど実際、ボランティアセンターを立ち上げられていないのが現状ですがそろそろ立ち上がりつつあるので、これからですよね」

インタビュアー「では、(ボランティアの)出番は来るだろうということで。これからということで準備をしておくといいかもしれませんね。現地の人たちのパワーは凄いものがあるけど、そればかりを頼っていていいものかと…」

吉椿「そうなんです、住民自治が進んでいて本当に凄いのですが、疲れが出てきて実際に倒れたりされているので、ボランティアなどのマンパワーは必要です」

「だけど外側から来た人たちが主体になるのでなく住民主体であることが大事で、それを後ろ側から支えていくことが今、本当に求められていることです」

吉椿「いま七尾に拠点を作っている所で、物資やボランティアの宿泊の拠点ができてくるので、ある程度整いつつあります。僕らの他にもNPOやNGOの人たちも作りつつあるのでそれが整えばと」

「後方支援も含めて、神戸から支える人もいるし、段階を踏んでボランティアも現地入りできるようになっていくと思います」

「地元住民の支え合いなんですけど、これに感動していて。誰が指示した訳でもなく皆それぞれが自分ができることをやっていた」

「土建屋さんもそうだし、水道屋さんは山から水を引っ張ってきてトイレに繋いだり、皆自分の役割を認識していて自然発生的にやっている。何でこんなことができるのかな?と思ったら、そこに『祭』というものがあったんです」

吉椿「ご縁ができてからの16年、毎年僕らも祭で神輿を担がせてもらっているんですけど、祭りでは壮年団が中心となり、それを支える女性たちや高齢者の方達もいます。普段からそこで皆ができることをそれぞれにやっていて、それがまさに災害時の今の支え合いに繋がっているんです」

「祭りとはその土地の素晴らしい文化で、能登の風土が人をはぐくんでいる。彼らが能登に住む理由やアイデンティティーがそこにあります。風土と人はワンセットなんです。高齢化で災害も多いから移動してもいいんじゃないかという声もありますが、そこを理解しないと本当の意味での復興は行われていきません」

山村「被災して家もグチャグチャ、そんな中で夜になると何を話しているかと言うと、皆さん祭りのことを話すんですね。今年の祭どうする?って。こういう地震があったからこそ、今年は絶対に祭しようって言っていて。地域の人たちにとって、復旧復興のひとつの希望になっているのだと感じたんです」

「僕たちも、それを実現させる為にどうしていくのかっていうことを問われているというか、考えなきゃなって思います」

インタビュアー「ありがとうございます。では、実際に現地に行ってお役に立てればと思いつつも行けないジレンマなどもありますが、今後やって欲しいことなどありますか」

吉椿「僕、明後日(16日)からまた行くんですけど、現場に行くだけが支援ではないし、募金活動などこっちでできることもあるんで」

「学生たちが初めての経験でやった募金活動中に、被災経験のある人が声をかけてきて想いを話してくれたりとか。NGOは人や寄付金に支えられているので、現場に行く前に、こんなふうな想いに支えられているんだなというのをそこで感じるんですね」

「募金活動をやって良かったって言ってくれる学生さんも多くいて、現場に行けなかったとしても遠くから支えられる活動は色々あると思うんですよ」

インタビュアー「CODEは、今後の拠点というか、何をやっていくことになりますか?」

吉椿「足湯ボランティアですね。後は物を運んだりとか、マンパワーが必要です。避難所を運営している地元の被災住民の方や行政職員をサポートする人も必要だし、在宅避難をされている人に「御用聞き」とかも、丁寧にまわっていく必要があります」

「足湯ボランティアって凄いんですよ。タライにお湯を張って足をつけるんです。そして被災者の方の手を取ってマッサージをしてあげる。そうしたら色んな話をしてくれるんです」

「被災者の方に初めて会った時に、何か困っていることはありますか?と聞くと、だいたい皆さん大丈夫ですって答えるんですね。だけど足湯であったまって手を触れていると、そこで皆さん堰を切ったように話し出すんです」

「色んな被災地でそれをやってきているんですけど、そういった『場』ができて対話が始まります。ほんのちょっとの時間でもホッと一息ついてもらったりとか、そういう『人』の支援が大事になってくるのかなと」

吉椿「能登の人たちには『えーしあう』という言葉があって、それは支え合うっていう意味なんですね。祭りの時などでも、神輿の人数が足りなくて大変そうなところに「えーしあうぞっ」て掛け声して、他の集落の人が手伝いに走る。まさに祭りを通して他集落の人たちと助け合って生きているような関係性を結びながら、他の地域も含めて支援できたらなと思っています」

…以上、NGO団体「CODE海外災害援助市民センター」事務局長の吉椿さんと、スタッフの山村さんのお話でした。

この後に質問タイムがあったのですが、そこで祭りのことを話されていました。能登のお祭りは何万人も来る凄い祭りがあるのだそうで、20メートルの高さで1トンの重量がある旗を担ぐ「お熊甲祭り」は1000年以上も続いていると言います。

実は文化人類学的にも、祭りを一年に一回やることによって地域コミュニティが繋がり合うのだそうです。生活していると色々と問題が起こったり途切れたりする中で、人同士の関係を結び直すのが祭りなのだと。

災害での辛い経験がありつつも、祭りをもう一度やることによって改めて人の関係性が繋ぎ直されるのではというお話でした。

最後に…

被災地の能登半島、皆でそこを助けるべく動き始めている日本ですが、普段からの生き方が反映された彼らの行動力や助け合いの精神、自らで立って生きようとする力から、反対に私たちが学ばされることがあるような気がしました。

この先、全国どこでいつ大地震が起こるかも知れません。その時に必要なのは日頃からの防災と、地域や何かしらのコミュニティとの繋がりがあると力強いのではと思います。

改めて、生き方そのものを学ばされているような今回の地震。神戸もやがて震災から29年を迎えます。今のこの時代を皆で乗り越えていく為にも「生きるとは何か」という問いかけがやってきているのかも知れませんね。

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旅するフォト&ライター(神戸市)

旅なしに人生は語れない、ノマド系フォトライター。国内から世界各国まであちこち歩きまわって取材する、体当たりレポートを得意とする。趣味は美味しいもの食べ歩き、料理、音楽、ダンス、ものづくり、イベント企画などなど、気になる物には何でも手を出してしまう。南国気質で、とにかくマイペースな自由人。

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