「ようやく仮設のできた街」に帰ってきた3人と1匹の家族 能登町・松波地区 地震から半年の日常
能登半島地震が発生した翌日から通い続けている石川県能登町の松波地区。5月下旬に完成した仮設住宅団地を7月13日に訪ねた。ある「3人と1匹」の家族に会うためだ。
「まだ家の中が片付いてなくて、外ですみません」
そう言って顔を見せてくれたのは山下雄太さん。松波で生まれ、70代の両親と4歳のメスの愛犬「ミク」と一緒に暮らす。
「犬も最初の1週間ぐらいは落ち着かなかったんですが、ようやく慣れてきました。やっぱり土地の“におい”があるからですかね」
まだ新しい木の通路やアスファルトの上をミクと歩く山下さんが、この半年を振り返った。
体育館で3月まで避難生活後、みなし仮設へ
山下さんの自宅は海沿いで、地震の揺れによる被害は大きくなかったが、津波や液状化で住めなくなった。
両親は元日から避難所となった松波中学校の体育館へ。山下さんは町内の介護施設で働いていたため入所者らの避難対応などに追われたが、4日から両親と合流。体育館の冷たい床での雑魚寝が始まった。
2週間後から段ボールベッドが入ったが、両親は2人とも持病があって移動が難しい。犬のミクもいるため、周りに気を使いながら先の見えない日々を過ごす。山下さんは介護施設を休職し、両親とミクの様子を見ながら家族で住める2次避難先やみなし仮設を探し続けた。
ようやく金沢市郊外の野々市(ののいち)市に条件の合うアパートが見つかり、体育館を出たのが3月6日。ちょうど卒業式の季節で、その3日前には式のために体育館の避難所スペースを空ける作業をしていた。私が前回、山下さんと会ったのはそのとき。以来、実に約4カ月ぶりの対面となった。
仮設完成の連絡、迷いながらも「まず1回帰ろう」
「野々市のアパートは住み慣れないところで最初は大変でした。『避難所のままでもよかったかな』と思ったぐらい」と振り返る山下さん。
それでも買い物や両親の病気治療には便利で、ようやく慣れてきた5月の終わり頃、役場から「仮設が出来た」と電話があった。
能登ではまだ余震も続き、復旧・復興は進んでいない。今あえて松波に帰る意味はあるのか。両親とともに迷いに迷った。
「結局、実家は取り壊すにしても片付けないといけないし、僕も働かないといけない。仮設の2年間でいろんな選択肢を考えようと、『まず1回は帰ろうか』となりました」
避難所で一緒だった住人から「帰ってきたーん」
早ければ6月5日頃から入居はできたが、山下さんたちは少しずつ準備をして27日に引っ越しを終えた。
仮設団地は中学校から500メートルほど離れた県道からやや奥まった土地にあり、プレハブの住居76戸と集会所が整然と並ぶ。山下さん一家に割り当てられたのは標準的な家族向けの住戸だが「正直、狭いし、虫も気になる」。ただ、隣も犬を飼っている家族で気兼ねは少ない。団地内も顔見知りは多く、避難所で一緒だった人からは「帰ってきたーん」と声を掛けられるなど、交流は自然にできているという。
「でも、街全体に復興しているという感じはなく、仕事を再開した職場も人が減っていた。実家の公費解体も申請したけれど、工事に入るまであと1カ月ぐらいかかるそう。落ち着くまでにはまだまだです」
山下さんはこう言って団地の中に戻っていった。
公費解体は徐々に進むも完了率はまだ5%
松波地区では7月に入り、もう1カ所の仮設団地が完成。郵便局やドラッグストアのそばに22戸のプレハブが設けられているが、15日現在で入居はまだ始まっていなかった。一方、街なかでは公費解体が進み、更地になった土地もかなり見られる。
能登町住民課によれば、同町での公費解体申請は7月15日現在で1908棟、そのうち解体工事が完了したのは94棟。申請数に対する完了数の割合はまだ約5%だ。
地区ごとの申請数はまだ集計していないので分からないというが、完了数は松波地区で21棟だという。町の担当者は「4月頃に比べると完了数は倍々に増えており、徐々にスピードアップはしている。依然としてマンパワーは少ないが、業者に頑張ってもらっている」と話した。