特定秘密保護法、強行採決の日に思う「総ひきこもり社会」
<予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず…>
中高生の頃から憧れてきた松尾芭蕉が「いつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われるように漂泊の思いがやまない」と『おくのほそ道』に記して旅に出たのは320年余り前のこと。
私も“時の紀行文”を綴っていく準備をしていた12月6日、奇しくも特定秘密保護法が強行採決された。
いま、目の前に広がるのは道なき道だ。これから始まる“僕の細道”も、世界観が変わってしまった時代に、新たな道を作り続けていく作業である。
「特定秘密、保護法反対!」
「採決、反対!」
この日、参院議員会館前では、深夜になっても、多くの人たちが抗議の声を上げていた。
「ただ今、可決されました」
午後11時20分過ぎ、マイクを通して強行採決のニュースが伝わると、辺りは怒りや嘆き、失望に包まれた。
法案に反対が77%を占めるというパブリックコメントを無視し、新聞社の世論調査でも、特定秘密保護法の廃案、もしくは慎重審議を望む声が7割を超えている。
国会の質疑でも、二転三転させて、まともに答弁することもできない担当大臣。そして、議事録も残っていないのに、いつのまにかの強行採決…。
「一般の人が逮捕されるわけではないから…」と、釈明する政治家がいる。
しかし、想像してほしい。
おかしいと思ったことや、大きな問いかけをしようと動き出すだけで、これからは捜査対象になり得るし、監視や尾行、時には、対象者の個人情報が丸裸にされる可能性もある。
投獄までされなくても、それとなくわかるよう、捜査員が姿を見せるだけでも、国民の行動を委縮させるには十分だろう。
自分が何の捜査対象なのかもわからない中で、こうした国民を怯えさせる行為に法的根拠を与えることになる。
いまでさえ、情報開示を請求しても、核心の部分は黒塗りにされて出てくる。
これからは核心部分が堂々と隠されて、ますます大きな問いかけをしにくい世の中になるだろう。
私は長年、地域にひきこもる人たちを取材してきた。
ひきこもる当事者たちの多くは、これ以上傷つけられたくないし、他人に迷惑をかけたくない。生きづらさを感じる社会の中で、自分を防衛する対処の仕方として、ひきこもらざるを得ないという、あきらめの境地に達した人たちだ。
周囲も当事者に向かって口止めするなどして、本人の思いや言葉を封じ込め、“見えないもの”や“語られないもの”をなかったことにしようとする作用を働かせてきた。
そんな彼らの多くが、不利益や理不尽さを被るのを、私は見てきた。そして、そこには必ずといっていいほど、人権侵害が起きている。
すでに政治家やジャーナリストの中にさえ、「いまさら抵抗しても意味ないから」「国会の多数決だから」などと、もっともらしい言い訳をして、あきらめてしまっている人もいる。
しかし、抗うことをあきらめ、やめてしまった人たちの国の行く末に、どんな運命が待っているのか。
そのことを考えたとき、私はつい、ひきこもる人たちの視点を思い起こしてしまうのだ。
今回の法制化によって、その視点は、みんなに降りかかるものになった。
これからは、誰もが理由も知らされず、監視されるかもしれない。追いかけられるかもしれないし、投獄されるかもしれない。まさに暗黒時代の到来だ。
先人たちは、“面倒くさい手続き”を自ら引き受けることによって、民主主義を実現させてきた。しかし、いま国会で起きていることは、その面倒くささを排除した手続きだ。
国民を委縮させ、手足を縛り、口を封じる「総ひきこもり国家」への道の行く先に、どんな未来があるというのだろう。
この“僕の細道”も、やがて行く手を閉ざされ、道ではなくなる日が来るのかもしれない。
しかし、閉ざされたときに、それでも新たな道を見い出すことが、僕らジャーナリストの役割だと信じたい。