ひきこもり25年 認知症の母親を持つ50代男性は、なぜ1歩を踏み出すことができたのか?
25年間ひきこもり状態にあった51歳の男性が警備会社に就職し、今では工事現場の隊長を務めている。入社したのは、老いていく母親の介護の相談で自宅に相談に来た地域包括支援センター職員を通じて紹介された会社だったという。
男性は、家からまったく外出しない時期や母親と365日話さなかったこともあり、「ひきこもり親亡き後」や「8050問題」という言葉も知らなかった。ひきこもり状態の背景や状況は1人ひとり違い、皆が同じように当てはまるわけではないものの、男性は「(地域包括支援センターの職員が来るまで)ずっと誰かに相談したかったのかもしれない」「世界は全然変わっちゃったけど、自分のできる仕事は意外といっぱいあるんだと思った」と振り返る。
虫歯が痛くて塩を大量に口の中に入れて寝ていた
男性は、神奈川県相模原市に住む阿部幹将さん(51歳)。16歳で高校を辞め、18歳から家を出なくなった。当時は80年代後半。将来のことは考えていなかった。同年代の友人もいない。パソコンもなかった。
「25年間、生き地獄のようでした」と、阿部さんは言う。
ひきこもっていた25年間、ネット環境はなく、1日中テレビを観ていて、新聞は隅から隅まで読んだ。昼に寝たり、夜に寝たり。いつも考えごとをしながら、途方もない時間が過ぎていく。
母親はスナックを運営していて、夜が仕事だった。朝、帰宅すると、午前中に寝ていて、起きると買い物に出かけていく。だから、家にいるのは、ほとんど阿部さんひとりきり。「誰もいないので、気楽でした」
毎日、食材のメモを残しておくと、母親が買ってきてくれる。メモだけのやりとりで、ほとんど会話はない。365日、一言も話さなかった年もあった。
「ずっと諦めてたんですよ」
真夏でも雨戸を閉め切っていた。エアコンが壊れて使えなかったので。近所の目がつらかった。
8年間、家からずっと出ない時期もあった。ただ、夜中に時々、散歩した。「外の空気を吸いたいなと思って。人目がないから。働いていないことを後ろめたく思っていたんです」
ひきこもっていたとき、最も気になったのが虫歯だ。
「つらいので、塩を大量に口の中に入れて寝ていました。すると、麻痺して、朝、すごく喉が渇くんですが、痛みは取れるんです」
ひきこもりは安心感と退屈さと絶望の繰り返し
テレビなどでは、新潟の少女監禁事件が話題になって、「ひきこもり」という言葉がクローズアップされ始めた。
それまで、自分がひきこもりだという感覚はなかった。「世界で自分ひとりだけ…みたいな感覚だったので。でも、100万人もいるのか。自分だけではないんだ」と思った。
母親からは、5年に1度くらいの割合で「働けば」と言われたという。でも、「働けば」という声がけに対しては、ほとんど右から左に受け流した。
「ひきこもりというのは、安心感と退屈さと絶望を繰り返していく感じでした」
母親がどこかの行政機関や支援団体などに相談していた様子はない。ただ、店の中でお客さんとの話の中では話題にしていたのではないかという。
「母親にとって、スナックは自分の居場所だったのではないか」
年齢が40代になって、阿部さんは「このまま一生こうなのかな」と思っていた。しかし、43歳の時、母が店を辞めた。母の収入源もなくなって、貯金しかない。「これはまずいな」と思った。その頃から、母親が認知症になった。
母は店を閉じてから、おかしくなった。ストーブの前に布団を置いて、部屋中に煙が充満した。母はテレビに向かってケンカすることもあった。
周囲が母の異変に気づいたのは、外で焦げた服を引きずって歩いていたからだ。母は何でも1万円札で買って、部屋中、小銭だらけになっていた。
自分も、誰かに相談したかった。でも、そういうサービスがあるとも思えない。ハローワークくらいしか思いつかなかった。
何よりも、25年にわたる履歴書の空白問題が立ちふさがる。仕事をするなんて無理なんだろうなと思っていたし、そういう勇気もなかった。
男性の心を動かした介護職員の声がけ
「息子さんですか?」「ご家族の方ですか?」
そんなある日、2階に上がって来た人に部屋をノックされた。
「はい」と答えると、「お母さんのことで来ました」と目的を告げられた。
声をかけてきたのは、地域包括支援センターの女性職員2人だった。彼女たちが部屋に来た目的は、介護を行うにあたって阿部さんが母親の唯一の身元引受人であり、自分のサインが必要だったからだという。
その瞬間、阿部さんは、助けを求めようと思った。彼女たちは、阿部さんがひきこもっていることを特別視せず、「お母さんのためにサインが欲しい」と、普通に声がけしてくれたからだ。そんな対応が、阿部さんの心を突き動かしたといえる。
こうして地域包括支援センターの職員が介護のショートステイで家に来るようになって、阿部さんも母親のために相談に乗るようになった。
「いろいろ聞いてくださいね」「大丈夫ですよ」
そう声をかけてもらえてホッとした。
「月に10万円以内なら母の口座からお金をおろしてもいいですよ」とも言われた。
「自分は家にいて働いていないけど、どうにかしたい」という自分の気持ちを伝えてみた。
こうして、地域包括支援センターの紹介で、就労支援機関に自ら足を運んだ。母親のことであちこち回っていたので、その頃には出かけられるようになっていた。
阿部さんには、本当に仕事ができるのか、心配だった。ただ、紹介されたのは、東京都町田市にある「エリア警備」という警備会社。40代、50代のひきこもり経験者たちを雇用している実績もある。阿部さんは会社の面接に就労支援機関のスタッフに連れて行ってもらった。対応した同社の松本大助取締役からは「最初は週に3日でもいいよ」などと説明された。
面接で「お金が心配」と答えて「即採用」に
「ここって、雇ってもらえますか?」
阿部さんはストレートに聞いてみた。
松本さんからその動機を聞かれ、「お金が心配なんで」と答えた。その場で、「即採用」になった。
工事現場にも、研修後にすぐ派遣された。「立っていられるかな」という心配はあった。25年ぶりの社会だった。
「でも家でひきこもってるときも、ずっと足踏みしてたんで。家の中ではひとりじゃないですか」
ひきこもり始めた頃は、蚊に刺されるとすごく腫れて、少しぶつけただけでも、内出血を起こした。
それだけに、就職が決まって外に出たばかりの時は、足が血だらけになった。革靴を買って履いていると、皮がむけて靴下が真っ赤になった。
同社の松本さんはこう言う。
「25年ひきこもっていた人が、働けるの?と聞かれることがある。でも、それは偏見で、出てみたら逆に集中して頑張る人たちを何人か見てきた。脅えてる感が、警備の仕事では危険予知に置き換わるところもある。全員がそうではなかったけど、まったく問題を感じませんでした」
今回のエリア警備のような理解のある会社の存在は大きい。
一方、同社に入社してしばらくした頃、阿部さんは「ひき町」というひきこもり当事者の居場所に出かけてみた。そのとき、筆者とも出会い、少し話もした。
「他の当事者たちの話を聴いて、やはり自分は稼ぎたいと、後押しされたんです」
振り返ってみて、何が良かったのか、阿部さん自身にもわからない。
「地域包括支援センターの方に声をかけてもらえなかったら、どうなっていたかわからない。25年ひきこもっていたから、フルタイムで働いて稼げるようになりたいなと思って頑張りました」
阿部さんは現在、工事現場の6~7人チームの隊長を任されている。
最近、施設に入所していた母親が亡くなった。月に1回、面会を重ねてきたが、その帰宅後の夜に息を引き取ったと連絡が入り、少し落ち込んだ。
今も子どもの頃を思い出し、「天涯孤独です」と阿部さんは言う。しかし、これから相続や手続きなどを後見人と一緒に取り組むという。
「8050問題」が全国各地で顕在化している。人に知られないよう悩みを抱え込み、周囲から見えにくく関わりを拒まれることの多い8050などの世帯を訪れ、高齢な親の相談に乗れる地域包括支援センターの存在は、これからの大事なキーパーソンになるため、ひきこもり担当部署との連携も求められている。