Yahoo!ニュース

【マラソンの「30kmの壁」の正体は?】最近の研究ではエネルギー枯渇説よりも、脳がかけるブレーキ説?

たくや/ランナー医師、ランナー、ランニングコーチ
写真は写真ACより

フルマラソンには「30kmの壁」という言葉があります。その原因は、体内のエネルギーが枯渇するからというのが定説です。国内のみならず海外でも「Hit the wall(壁にぶつかる)」という言葉があります。ですがこれは、フルマラソンに限らず広く持久系の競技の終盤で、疲労感やエネルギー不足でペースを保てなくなることをいいます。そしてこの壁の正体について、様々な研究がなされています。文献によると壁の原因は、エネルギー不足だけではないのです。そこで原因といわれる説と、一つの研究結果をみてみましょう。

壁の正体は?3つの説

① エネルギー枯渇・老廃物蓄積説(昔から一般的に言われている説)

心肺や筋肉が必要なエネルギーが枯渇したり、代謝・排泄させるべき老廃物が蓄積してしまい、疲労が発生するのが原因とした説です。主に前者は糖分やグリコーゲンで、後者は乳酸となります。

② 神経筋疲労説

長時間の運動の結果、神経からの電気刺激に対する筋肉の反応の低下が起こり、足が動かなくなる説です。筋肉の腫れや硬直、筋線維の断裂なども原因になります。

③ 中枢調節モデル説(いま最も有力な説)

筋肉や他の臓器からの信号を脳が受け、体を守るために脳が運動を調節しているという説です。水分やエネルギーの不足、ストレスや疲労が原因で脳がブレーキをかけるのです。

国内では以前から①が原因と言われていました。ですが糖質が枯渇して血糖が低下しているのに無理に走り続けたら、意識を失って倒れてしまいます。実際に血糖をモニタリングしながらマラソンやウルトラマラソンを走った研究はあるのですが、ほとんど低血糖はおきていません(文献1:フルマラソンで12人のI型糖尿病のランナーを調べると70mg/dl未満の低血糖はおきていなかった、文献2:100kmウルトラで2人中1人が80km過ぎに40mg/dlの低血糖がおきていた、文献3:160kmウルトラで7人中1人が62mg/dlの軽い低血糖がおきた)。

そして30kmの壁の対策としてカフェインやミントを摂取したり、海外のサイトでは「スポーツドリンクやゼリーを少量口に含むだけ」という対策も紹介しています。これは脳が感じている疲労やエネルギー不足を、脳を刺激したりエネルギーを補給したと誤解させるだけの行為です。それだけで30kmの壁が遠のくのであれば、③の説が有力というわけです。

実際に検証した実験をみてみます。これは30kmの壁が出現する前兆は何、予知はできるのかという研究をするための予備実験で、2024年8月に公開された文献です。

検証した研究

被検者は走歴5年の27歳男性で、フルマラソンのベストタイムは3時間10分です。週間走行距離が50~80kmとのことですから練習不足はないでしょう。そんなランナーが、脳波計やエアロモニタを装着して5km周回の公園を42.195km走ってもらったのです(どんな格好で走ったのかを確認したい方は文献をみてください)。

フルマラソン走行中の速度と心拍数、換気率、呼吸回数、酸素摂取量、二酸化炭素排泄量の関係:Palacin F et al.Int J Environ Res Public Health.2024
フルマラソン走行中の速度と心拍数、換気率、呼吸回数、酸素摂取量、二酸化炭素排泄量の関係:Palacin F et al.Int J Environ Res Public Health.2024

結果このランナーはベストタイムから2分39秒遅い、3時間12分51秒でマラソンを完走しました。ですが30km地点で壁に遭遇したようです。みるとその前から少しずつ速度が低下してきています。測定した中で壁の前後で目に見えて低下しているのは換気率と、それに伴って二酸化炭素の排泄量が低下しています。呼吸筋が十分に鍛えられておらず呼吸筋疲労をおこし、結果二酸化炭素が体に蓄積したことが予想され、これも失速の一因になったのかもしれません(呼吸筋疲労:以前の自分のYahoo!ニュース参照)。

フルマラソン走行中の速度と脳波、自覚的運動強度、呼吸商の関係:Palacin F et al.Int J Environ Res Public Health.2024より改
フルマラソン走行中の速度と脳波、自覚的運動強度、呼吸商の関係:Palacin F et al.Int J Environ Res Public Health.2024より改

そして脳波をみてみましょう。走り始めると脳からアルファ波が増加して体の緊張やストレスを緩和してくれるのです。ですが壁の出現よりもはるか手前、13km過ぎにそのアルファ波が低下してきます。それとともに自覚運動強度(要はきつさです)が上昇しているのが分かります。

要はフルマラソンを走ると、序盤1/3は脳がアルファ波を多くして苦痛を緩和して守ってくれるのです。ですが序盤1/3を過ぎるとアルファ波を低下させ、その結果苦痛を感じさせて休むよう促しているのです。ですがそれでも休まないと、脳が足を動かないようにする。それが30kmの壁の正体なのです。30kmでは呼吸商が低下(糖質が枯渇)して、脂質代謝の割合が増加してきているのですが、それより前から脳は危険信号を発信しているのです。

30kmの壁~まとめ~

写真は写真ACから
写真は写真ACから

30kmの壁は、一般的にはエネルギーの枯渇と言われています。ですがそれは一つの要因にすぎません。例えばこの研究のランナーは中間地点よりも前から脳がブレーキをかけ、さらにはエネルギーの枯渇や呼吸筋疲労がさらに追い打ちして壁が出現したのです。

30kmの壁は糖の枯渇と信じてたくさんの糖分を補給しても、脂肪をうまく使えるようになっていても、この壁はきてしまう可能性があります。水分不足でもトレーニング不足でも風邪気味でも、壁が立ちはだかるかもしれません。なぜならそれは、多種多様な変化に対して脳が発信する体の危険信号だからです。

ではどうやってその壁を乗り越えるのか、それはまた後日書きたいと思います。

医師、ランナー、ランニングコーチ

41歳まで某大学病院の消化器肝臓内科で勤務、現在は都内の一般病院で内科医をしています。また、中学でランニングを始めて走歴は約40年、その経験を活かしてランニングステーションでコーチもしています。総合内科専門医・消化器病専門医・肝臓専門医・抗加齢医学会専門医、JMJA公認ランニングドクター他、資格は多数。フルマラソンの完走は68回でベストタイムは2時間50分31秒(2019湘南)。ランナーからよく聞かれることやランナーに伝えたい事を、科学的なエビデンスと経験をもとに記事を書いています。

たくや/ランナーの最近の記事