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Netflix『ルーシー・ブラックマン事件』世界的ヒットで日本のドキュメンタリー映画に新たな可能性

篠田博之月刊『創』編集長
Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』

日本のドキュメンタリー映画が世界的ヒットに

 山本兵衛監督のドキュメンタリー映画『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』が7月26日よりNetflixで配信され、世界50の国や地域でトップ10に入るという快挙を成し遂げた。

 日本でもこの10年ほど次々とヒットが出るなど、ドキュメンタリー映画が見直されているが、海外市場で大ヒットというのは日本初の出来事だという。そもそも日本のドキュメンタリー映画の海外進出ということ自体、これまであまり想定されなかったことだ。

 もちろんイギリス人女性をめぐる犯罪ものであることなど、この作品ならではの要素はあるのだが、どのように制作され、海外でどう見られたのか。ドキュメンタリー映画の新しい可能性を切り開いたという意味で大変興味深いこのケースについて、山本監督に話をうかがった。

 山本監督は1973年生まれ。2015年ドキュメンタリー映画『サムライと愚か者―オリンパス事件の全貌―』で長編監督デビューし、Netflix配信『逃亡者カルロス・ゴーン 数奇な人生』プロデュースも手掛けている。

山本兵衛監督。事務所のボードにはブラックマン事件の資料が(筆者撮影)
山本兵衛監督。事務所のボードにはブラックマン事件の資料が(筆者撮影)

 ルーシー・ブラックマン事件については記憶に新しい人も多いだろう。2000年7月にイギリス人女性が突然失踪。その彼女の家族が何度も来日して情報提供を呼び掛けるなど大きな話題になった。同年10月に日本人男性が逮捕され、2001年2月に遺体発見。10年12月に最高裁で無期懲役が確定している。

『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』では、執念の捜査を行った捜査員の多くが実名・顔出しで登場し、捜査の経緯や自身の思いを語っているのが特徴だ。

「ルーシー・ブラックマン事件」元捜査員たちの思い

――この映画の日本版は、当時の捜査官が遺体発見現場を訪れるシーンから始まりますが、捜査員たちが事件後も現場を訪れたり、なかにはイギリスの被害女性の墓を訪れた人もいた。20年以上経ってもそうしたことが続いているということに、山本さんは着目したわけですね。

山本 ルーシーさんの事件は日本でもイギリスでも当時、かなり報道されましたし、ある意味「劇場型」と呼べるような経緯をたどったわけです。ルーシーさんだけでなく同じような性被害にあった女性が相当数いたことがわかって、当時の警視庁への批判も含めていろいろ騒がれたということもありました。

 そうした経緯もあって、捜査員にとっても忘れられない事件だったようで、その後も毎年、現場を訪れている元捜査員がいる。なぜなんだろうと素朴に思ったのが最初のきっかけです。20年以上前の事件ですけれど、きちんといまに蘇らせる価値があるのかなと思いました。

Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中
Netflixドキュメンタリー『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』独占配信中

――早い段階からNetflixに企画を提案したそうですが、どういう経緯だったのでしょうか。

山本 プロデューサーと話して、この事件をある程度の予算規模でドキュメンタリーとして成立させるにはNetflixしかないんじゃないか、ということになりました。世界で観ていただけるということもありましたし、3~4年前の当時はNetflixが盛んにドキュメンタリーを作っていたのです。Netflixがその時、勢いを持ってドキュメンタリーを制作していた、というのが大きいですね。

 20年前の事件だったので、おそらくインタビュー中心の作品になるであろうと考えた時に、再現映像も必要になってくるだろうし、ある程度の予算をかけなければいけないという思いは、最初から明確にありました。

 僕のパートナーは外国籍ですがずっと日本に住んでいて、彼女がプロデューサー、僕が監督という形で、以前アルジャジーラで短編ドキュメンタリーを作ったことがありました。その短編を評価してくれたコミッショナーがいるんですが、その方がNetflixのアジアに移って、彼に話を持って行ったんです。そこから、これだったらイギリスも巻き込もうということで話が進んでいきました。

元捜査員たちが実名・顔出しで登場

山本 もともとこの事件は、当時イギリスで大きな話題になっていたし、『黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実』というリチャード・ロイド・パリーさんが書いた本もベストセラーになっていました。

 もちろん日本でも興味を持たれた事件なのですが、僕がNetflix側に提案した日本における事情としては、警視庁の方々にアクセスできるよということでした。日本では『刑事たちの挽歌 警視庁捜査一課「ルーシー事件」』という髙尾昌司さんの本が話題になっていましたが、その本に既に多くの元捜査員が登場して証言を行っていたのです。それは前述したように、元捜査員たちにとってもこの事件は忘れられないものとして記録を残しておきたいという思いがあったのです。

 皆さん30年40年勤務された方々で、もちろん話せる範囲でとはなりましたが、喋りたいことはいろいろあったみたいです。皆さん口を揃えて「ルーシー事件が一番、自分たちのキャリアの中ですごくショッキングだったし大きな節目にもなった」とおっしゃっていました。そういう思いを、こういう形できちんと形に残すということに関しては非常に協力的でした。

元捜査員たちが実名・顔出し(Netflix『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』)
元捜査員たちが実名・顔出し(Netflix『警視庁捜査一課 ルーシー・ブラックマン事件』)

 最初にNetflixに企画を提案する段階で、元捜査員の証言については顔出しじゃないと話にならないのは僕らはわかっていたので、髙尾さんにも相談して、刑事さんの方々は協力してくださいますかとディスカッションして、一人ひとりアプローチしました。

 映画に登場いただいた刑事さんたちはOBだけです。20数年前の事件だとしても詳細を憶えてらっしゃる方は多かったですね。いまなお現役の刑事もおられたのでお願いしましたが、それはさすがに断られました。ただお話は聞きに行っており、快く取材には応じていただきました。

Netflixの要望を入れて国際版を制作

――今回、海外でヒットしたというのはご自身でどういう要因があったとお考えですか?

山本 もともとこの事件はイギリスで話題になっていましたし、映画は、Netflixの提案もあって日本版のほかに国際版という2つのバージョンがあるんです。日本版は、ルーシーさんの遺体が発見された洞窟を元捜査員が訪れるという印象的なシーンから始まるのですが、国際版のほうは、ルーシーさんの父親の視点から描かれます。ある日妹さんから電話があって、姉のルーシーと連絡が取れないと聞いたというところから話が始まります。日本版は刑事さんの視点ですが、国際版ではイギリスの父親の視点から入っているので観ている人たちが入りやすかったということはあると思います。

 それについては、途中でイギリスのほうから、作品をある程度気に入ってくれたみたいで、これだったらもうちょっと変えたらもっと多くの人に観てもらえると思うけれどできますか?といった指摘がなされ、やりますということで国際版を作り始めたんです。ある程度作品が完成しつつあったところで注文があったので、国際版を別に作ることになりました。

 Netflixからは、なるべく英語を増やしてほしいという要請もありました。海外配信の映画では字幕ものってあまり観られないらしい。観られたとしても途中で止まるとか、最後まで鑑賞せずに止まっちゃう方が多いらしいんです。

 日本が主な舞台なので今回の映画は比較的日本語が多かったにもかかわらず皆さん観てくださったということだったので、やっぱり海外を念頭に置いて国際版を作ったのも大きな要因だと思います。

ドキュメンタリー映画として異例のヒット

――日本で作られたドキュメンタリー映画がこれだけヒットしたというのはNetflixでも異例のことなのですか。

山本 ウィークリーだったら1週目は日本では7位でグローバルで5位までいったので、ドキュメンタリーとしては異例のヒットだと思います。

 50以上の国や地域でランクインしたのは日本人の監督では初めてということでした。その50の地域を見ると、ニューカレドニアからグアテマラなどもリストアップされていました。世界配信のインパクトは、世界中にネットワークを持っているNetflixならではですよね。

 もちろん題材にも手法にもよりますが、昨年はアメリカ人が制作したオウム事件のドキュメンタリー映画がサンダンス映画祭にもかかっていましたし、日本で起きた事件でも、世界に発信できるものはまだたくさんあると思います。これはフィクションでしたが、福島原発で、あの時本当に何が起きていたのかというのは『THE    

DAYS』というシリーズも作られました。

――映画制作者の思いとして大きいスクリーンで観られることへの喜びみたいなのが語られることもありますが、山本さんは、その点については最初から割り切っていたのでしょうか。

山本 僕は映画が大好きなので、個人的には大きなスクリーンに対する思いはありますけど、今はもうそういうことにこだわっている時代ではないと思います。映画やテレビ、それに配信と、目的に合った作り方も観せ方もいろいろあります。発信するメディアによってやり方も手法も全部変わってくると思うので、何が絶対的といったことはもうないんじゃないでしょうか。

――先ほど、Netflixから英語を増やしたいという要請があったというお話がありましたが、そのほかにも何か要請がありましたか?

山本 ディスカッションが多かったのは編集の段階ですね。撮影の段階では基本的にこちらの構想に沿って進めました。編集段階で、彼らもNetflixブランドというのが明確に頭の中にあって、こうしてくれああしてほしいと、注文がありました。スタッフの選出についても多少ありましたね。撮影監督は誰で編集は誰なんだ、どういう経歴なんだという具合で、彼らの最終的なOKが出なければいけないという条件はありました。

世界同時配信というインパクト

――日本のテレビドラマなどでも海外配信が増えていますが、今回のドキュメンタリー映画でもNetflixならではということがいろいろあったのでしょうね。

山本 それはあると思います。表現の仕方だったり、編集の時はいろいろ指摘がありました。

 あとNetflixに限らず、配信プラットフォームで特徴的なのは、視聴者が作品を観だした時に最後まで観るかどうか、数字がパーセンテージで出てくるんですね。それを考えた時に、どういうふうに常に飽きさせないようにストーリーテリングするかというのは、編集の段階でも話し合いました。日本のドキュメンタリー映画ではあまりそういうことはないかもしれないですね。配信は、ある意味、テレビ的なのかもしれません。

 今回やってみて、Netflixというのはすごく新しいというか、こういう形のプラットフォームなんだなというのを実感しました。Netflixがここまで成長した要因のひとつとして世界同時配信のインパクトの強さというのがあると思います。

 僕らはカルロス・ゴーンの映画をNetflixで共同制作したことがあるのですが、海外の放送局にプレゼンする時に「Netflixでかかってるから観てください」と言えて、「じゃあ観てみる」とすぐ反応がありました。世界配信ゆえの強さというのはありますね。

――日本の場合だと、まず劇場で公開して、そのあと自主上映とか色々展開のパターンがあるけれど、配信ベースだとそういう枠組みとは全然違いますよね。

山本 もちろん作品は残るのでいつでも観られる状態ではありますけど、従来の配給の仕方とはまったく違います。契約面でも、あくまで委託として受けて、納品して終わりです。その意味でもテレビ的ですね。

――映画館で観るのと違って、観ている人がどのくらい最後まで観てくれるか配信の場合は意識せざるをえないというお話がさきほどありましたが、ドキュメンタリー映画の作り方が変わってくる可能性もあるわけですね。

山本 方法論はメディアによっていろいろあるべきだと思います。日本のドキュメンタリーの作り方というのはある種のイメージがあると思いますが、世界では撮り方も作り方もいろいろあります。ちょうど3〜5年前に、Netflixが後押ししたことでドキュメンタリー映画が話題になり、マイケルムーアではなくてもドキュメンタリーって観られるよと盛り上がっていた時、日本にはほとんどそういう情報が入ってこなかったですからね。日本においては、ドキュメンタリーはニッチという考え方がありますが、世界では考え方もかなり変わってきています。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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