Yahoo!ニュース

引退後は営業マン、元阪神の穴田真規さんも応援!クラブ選手権出場を決めた和歌山箕島球友会

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
顔が一層丸くなった、“会社員”の穴田さん。8日、クラブ選手権の西近畿予選にて。

 穴田真規選手は阪神を退団後、社会人野球の和歌山箕島球友会で4年間プレーしました。クラブチームの日本一を決める『全日本クラブ野球選手権大会』にも3度出場。1年目は2回戦で敗退しますが、2年目の2015年は見事優勝!ところが翌年はなんと西近畿2次予選を突破できず…。全国制覇した翌年にそのチームが所属する地区は1枠増える、つまり西近畿から2チームが本大会へ進めるという状況においての予選敗退です。

 その屈辱を晴らすべく臨んだ2017年には本大会へ進み、王座を奪回。穴田選手も優勝に貢献する活躍で、和歌山の4年間を締めくくるに最高のシーズンだったでしょう。クラブチャンピオンとして出場した社会人日本選手権は、残念ながら初戦敗退。その後、12月9日に行われたチーム恒例の引退試合(引退する選手チームvs現役選手チームの対決)をもって、ユニホームを脱ぎました。その穴田選手…ではなくて穴田さんの近況や、所属したチームへの思いなどは、のちほど書かせていただきます。

ことしも決めたクラブ選手権出場!

1試合目は、和田投手が1安打完封で7回コールド勝ち!写真はチーム提供です。
1試合目は、和田投手が1安打完封で7回コールド勝ち!写真はチーム提供です。

 まずは7月8日の西近畿2次予選で『第43回全日本クラブ野球選手権大会』出場を決めた和歌山箕島球友会について。この日は穴田さんも応援に駆けつけました。初戦はこの日の第2試合で、兵庫県警察硬式野球部県警桃太郎と対戦。相手エラーも重なって4回に大量7点を取り、10対0で7回コールド勝ちでした。和田拓也投手が1安打完封勝利。この1安打は4回、ライトへの飛球が強い風にあおられて三塁打となったものです。

2試合目は寺岡投手が先発。故障明けのぶっつけ本番でした。写真はチーム提供です。
2試合目は寺岡投手が先発。故障明けのぶっつけ本番でした。写真はチーム提供です。

 続けて行われた第3試合・西近畿第1代表決定戦は、NOMOベースボールクラブが相手。先発の寺岡大輝投手が6回まで投げ、ホームランによる1失点のみ。7回は北面成也投手が同じ選手にソロホームランを浴びますが、8回からは再び和田投手が登板して2イニングを無失点。攻撃はヒットに相手のミスや四死球も加わって、9対3の勝利。2年連続8度目の本大会出場となりました。ちなみに白地のユニホームが新しく変わって、脇の部分がオレンジ色になっています。

西川監督「穴田ロス?あるある!」

 では試合後に伺った、和歌山箕島球友会の皆さんの話をご紹介しましょう。まず穴田選手が引退して“穴田ロス”はあるのか?という質問をさせていただいたところ、西川忠宏監督は「あるある!」と即答です。「去年は全部で10人が上がって(引退して)、チームの3分の1が変わったんですよ。レギュラーでは水田と岸と、2年目の夏見しか残っていない」。確かにスタメンも新しい名前がありますね。

2次予選を突破、西近畿代表となった記念写真。私の隣で穴田さんも別のカメラを持って撮影中です。ちゃんと撮れたのかなあ。
2次予選を突破、西近畿代表となった記念写真。私の隣で穴田さんも別のカメラを持って撮影中です。ちゃんと撮れたのかなあ。

 「最初はあまりなかったのに、段々と感じてきましたねえ、穴田ロス。彼は雰囲気作りがうまかったし、それはもう練習の時からで。おちょけるのはダメだけど、真面目だけでもアカン。そういう雰囲気作りは天性のものがありました。明るいチームを作ってくれたと思う。よかった」。ことしキャプテンを任された岸翔太選手も大変?「穴田と岸でバランスが取れていたから、それがなくなって岸も苦労していますよ」

 9月の大会に向けて「厳しいものはありますが2か月で仕上げないと。去年みたいな勢いがないから。チームが若くなったこともあるし、自信をつけさせてね。2、3年はかかると思ったけど、ことし(本戦へ)行けたので」と西川監督。ここから勢いが出てくるかもしれません。楽しみにしています。

原井コーチ「すごく必要な選手だった」

 原井和也コーチはグラウンドからスタンドの穴田さんに「代打いくぞ、用意しとけよ」というサインを送ったり、試合後も一緒に写真を撮ったり、再会を本当に喜んでいました。でも、穴田選手が抜けて変化は?と尋ねたら「穴田の穴は、ちっちゃい穴」と本人に言って大笑いです。

原井コーチ(左)との2ショット。どれだけ嬉しいのか、ものすごい笑顔の穴田さん。
原井コーチ(左)との2ショット。どれだけ嬉しいのか、ものすごい笑顔の穴田さん。

 そのあと「最初はよく穴田の名前が出ていた。監督もよく言っていましたねえ。野球がすべてじゃなくて、ベンチの盛り上げ方とか知っていたでしょう?すごく必要な選手だった」と振り返り「こうやって駆けつけてくれるのが可愛いですよね!」とまた笑顔。

 原井コーチの夢も連覇ですか?「夢は寝てみるもの。夢じゃなくて目標」。失礼しました。目標をかなえてください!

新生チームで連覇を目指す!

 ここからは球友会の選手のコメントです。まず決勝で先発した寺岡投手。実は2週間前に左股関節(腰の後ろ付近)を痛めてしまい、しばらくピッチングもしていなかったそうで、岸選手は「練習のしすぎ」とツッコんで…いえ指摘しています。結局ぶっつけ本番の実戦になったわけですが、投げ終えた寺岡投手からは「アドレナリンって、薬よりすごいですね」という言葉が出てきました。

投手リーダー・寺岡投手が、試合後に見せてくれた岩本投手のグラブ。
投手リーダー・寺岡投手が、試合後に見せてくれた岩本投手のグラブ。

 「ピッチング練習の時に痛みがあって…。でもマウンドでは痛みが気になりませんでした。しかも初球は148キロ出てた!自己最速を更新したんですよ。去年147やったんで」と自分でも驚いた様子。“薬を超えるアドレナリン”、名言ですね。しっかり覚えておきましょう。

 この日、寺岡投手が使っていたのは3年前、阪神時代の岩本輝投手から穴田さんがもらってくれたグラブです。昨季までは本体と紐が同色でなければ試合に使えなかったのですが、今季から紐の色が違ってもOKになったとか。また「僕の手には大きくて。でも紐を締めたらちょうどよくなった」というわけで解禁しました。

 なお試合の前日に、ルートインBCリーグの福井ミラクルエレファンツ所属の岩本投手が、オリックスバファローズに入団すると発表されたばかり。だから寺岡投手はとても縁を感じたと言います。「(福井工大付属)福井高の先輩もエレファンツにいるし、岩本投手のNPB復帰が決まったし。このクラブで頑張ろうと思いました。同い年で、名前の輝の字も一緒なので」

本大会でもチームを引っ張ってください

兼任コーチの水田捕手(右)と、盾を持つ主将の岸選手(左)。
兼任コーチの水田捕手(右)と、盾を持つ主将の岸選手(左)。
『西近畿地区代表』の盾。ことし新しくできたみたいです。
『西近畿地区代表』の盾。ことし新しくできたみたいです。

 続いて、やはり同い年の岸選手です。新キャプテンだけあって「ひと安心です。都市対抗はスットコで負けたんで」という第一声。ただし「予選でホームランがなかったの初めてですわ~。ちょっと迷っていたというか。でも調子は悪くなかったので、歯車が噛み合えばと思っていました」と自身の成績には少し不満のよう。本大会は?「そろそろ首位打者を獲ろうかな(笑)」。そりゃもう、ぜひ!最後に「穴田ロス、ありすぎですよ!あのハレンチがおらんかったら…」だそうです。

 いろんな面でチームの要・水田信一郎捕手は大会に向け「優勝は3回経験しているんですけど、連覇がないので。目指します!」と抱負を語ってくれました。そしてこの日、中3時間で登板した和田投手は「2試合目も投げる気でいました」と涼しい顔。クラブ選手権では「連覇して、2年連続MVP!そして日本選手権で先発して勝つ!」と気合十分。期待しましょう。

しんどくて楽しかった和歌山の4年間

 お待たせしました。昨季限りで野球人生にピリオドを打った穴田さん自身の話をお送りします。兵庫へ引っ越してからも、和歌山へ行くことがあれば球場に顔を出し、試合も何度か見ているとか。8日の西近畿予選も大雨でずれ込んだものの、何とか仕事が休みの日曜日で観戦できました。グラウンドを駆け回る選手を見ながら、ふと”やりたいな”と思ったりしない?

 「ちょっとそういう気持ちになるかと思ったけど、一切ないなあ。試合を見ていても特に。ただ3年目で辞めていたら一生、未練が残っていたかも」。まさかのクラブ選手権予選敗退により、すべてが7月初めで終わってしまった2016年を、自身の集大成とはできなかったんですね。私も当時、言いました。日本一になって終わろう!と。やって良かったですね。「うん!いい4年目やったなあ」

 和歌山箕島球友会の4年は、どんな時間?「休みがなかった」。ものすごく端的な答えですね。初めて経験する仕事と野球の両立。スーパーでの勤務は朝5時起きで午後3時まで、それが終わると夕方から練習。夜9時すぎに練習が終わって、ご飯を食べて洗濯をして。「ちょっと何かしたらもう12時を過ぎるから、あ~5時間寝られへんやんって思う」。また会社が休みでも練習はあるので、完全な休日は月一度しかない。それがきつかったと言います。でも…

昨年の全日本クラブ選手権で優勝!穴田選手は中央に。いい笑顔ですね。写真はチーム提供。
昨年の全日本クラブ選手権で優勝!穴田選手は中央に。いい笑顔ですね。写真はチーム提供。

 「楽しかった!ほんまに楽しかった。あのメンバーやったから。しんどかったけど、みんなに会えると思うと練習に行くのも楽しかった!一日でも長く、このチームでやりたいなと思っていました」。中でも同期入団の人たちとは、年齢に関係なく仲がよかったですね。「(平井)徹さんとは今も飲みに行っていますよ。林(尚希)さんとは和歌山へ帰ったら、いつも会って泊めてもらうし。西口(稔基)さんとはまだ会えていないけど」

 ではクラブ選手権での活躍を祈って、和歌山箕島球友会のみんなへエールをお願いします。「メットライフドーム優勝、それと京セラドーム1勝!俺らができんかったことやから」

1本のヒットが嬉しかった阪神の3年間

 2010年ドラフト組は、1位の榎田大樹投手(現西武)が社会人、5位の荒木郁也選手が大学生で、2位・一二三慎太投手、3位・中谷将大選手、4位・岩本輝投手、そして育成1位・阪口哲也選手、同2位・島本浩也投手、同3位・穴田選手。高校生が一気に6人も入ってきたので、すごく印象に残っています。本当に仲のいい6人衆でした。

昨年10月1日の鳴尾浜。阪神ファームとの交流試合でサードを守る穴田選手です。
昨年10月1日の鳴尾浜。阪神ファームとの交流試合でサードを守る穴田選手です。

 2013年、その中で最初に穴田選手の退団が決まったのです。11月末、穴田選手が寮を出る前日に6人揃って写真を撮りました。撮影したのは2つ後輩の北條史也選手。その画像をみんな自身のSNSなどでプロフィールに使っていて、ウルッと来たのを覚えています。穴田さんは今も使っていますね。

 プロでの3年は「マジで地獄やった。メッチャきつかった!朝から晩まで野球やったし。俺と哲だけ早出練習があって、試合に出してもらうためにベンチの一番前で汗だくになって声出して。出られへんけど、出た時のために練習を必死でやって」と回顧する穴田さん。だからこそ「たまに代打で使ってもらった時、打ったのがボテボテの内野安打でもポテンヒットでも、ホームランを打ったぐらい嬉しかった!」と言います。

阪神のコーチや選手たちに、今季限りと告げたあとの表情。
阪神のコーチや選手たちに、今季限りと告げたあとの表情。

 「哲とも話したことがあるんですよ。社会人ではそこまでないけど、プロではほんまに嬉しいと思ったよな!って。だって壮さん(筒井コーチ)が、メチャクチャ嬉しそうに喜んでくれるから」。わかります。一塁上でグータッチをする筒井コーチは、今も飛びっきりの笑顔ですから。「支配下選手になって、1軍で活躍して、年俸が上がったらボッテガのバッグをプレゼントする約束やったのに。それが心残り」とも。今から稼いで買いましょう。

 筒井コーチをはじめ、阪神のコーチや選手たちには昨年10月1日、鳴尾浜で行われた交流試合の際に挨拶をしています。試合後しばらく姿が見えないなと思ったら、笑っているような泣いているような複雑な面持ちで現れた穴田選手。カメラに向けた笑顔も微妙で、もう鳴尾浜に選手として来ることはないんだなと悟りました。やはり、この時みんなに引退を告げていたそうです。

「営業部の穴田真規です」

西近畿予選にて。穴田さんと同じく昨年で引退した高橋道岳さん(右)、期待の大型新入・小川大樹選手(中)、負けないくらい大きくなった?穴田さん(左)。
西近畿予選にて。穴田さんと同じく昨年で引退した高橋道岳さん(右)、期待の大型新入・小川大樹選手(中)、負けないくらい大きくなった?穴田さん(左)。

 それらしい話は聞いていたものの、昨年12月22日に本人から「仕事が決まりました!正式に野球も引退しました。報告が遅れました(笑)」とLINEで連絡があり、そのあと「本当にお世話になりました。いつもこんな僕を記事にしてくれてありがとう。こんなん言うたら気持ち悪いと思うけど、ほんまに感謝しています!」という文章が続いていたもので…「確かに気持ち悪い(笑)」と返信しながら、実はウルッときたんですよね。

 1月20日まで和歌山のマツゲンで働いてから引っ越し、兵庫県尼崎市にある『株式会社ヤマキン』という農機具や車、医療器具の部品を扱う会社の営業マンをしています。代表取締役である山田熙(ひろし)社長自らが担当していたので、これまで営業という部署はなかったのですが、彼の人となりを知った社長が営業部員として雇ってくださったとか。

帰りのバスで、カメラにポーズを取るのも恒例。これは昨年9月のメットライフドームです。
帰りのバスで、カメラにポーズを取るのも恒例。これは昨年9月のメットライフドームです。

 今は仕事を覚えるため社内を行ったり来たり、また車で配達をする毎日です。でも先日「初めて社長と2人で新規の会社へ営業に行った」と話す顔が輝いていました。会社へ入る前に、山田社長から「野球では花が咲かんかったかもしれんけど、セカンドライフのこの仕事で営業マンとして成功して花を咲かそうって。いい言葉をもらった」と穴田さん。お世話になろうと思った理由の1つだそうです。

 営業マン・穴田氏いわく「接待のような感じで甲子園へ行くこともありますよ。ことしはもう4、5回観戦しました。ライトスタンドですよ!初めてライトスタンドで野球を見た。楽しかった~。お酒も飲めるし。なんか阪神ファンみたいやな(笑)」とのこと。やはり関西は阪神ファンが多いですもんね。いい接待ができるよう、もと同僚たちに頑張ってもらわないと。

今も、これからも気になる同期

 先に書いた通り同い年6人衆は本当に仲がよかったのですが、中谷選手は大阪の実家にも何度か訪れていて穴田選手の家族とも親交が深かったですね。それに和歌山箕島球友会で、穴田さんの背番号はずっと「60」でした。1月末に引っ越したばかりの新居へも遊びに行っています。ことしはファームで1軍の開幕を迎えた中谷選手を心配していたので、5月に昇格した際は本当に大喜びです。

 「同期はやっぱり気になりますね。あ、岩本にも電話しました」

懐かしいでしょう?2011年の安芸キャンプで、新人選手の初休日イベントです。荒木選手(前列)と高校生6人衆。
懐かしいでしょう?2011年の安芸キャンプで、新人選手の初休日イベントです。荒木選手(前列)と高校生6人衆。

 NPB復帰、オリックスへの入団が決まった岩本輝投手に「すごいな、ガンちゃん。よかったな。おめでとう!」と連絡をしたそうです。「そしたら、近くに住みたいな。またメシ行こうって言ってた。また楽しみが増えたわ。オリックス戦も見るで。頑張れ!応援してる」。自分のことのように喜びを表す穴田さんですが、考えたらまだ25歳。今も白球を追う同級生たちを見て、うらやましいと感じることはないのでしょうか。

 「うらやましいとは思わない。いいなとは思いますけど。中谷が活躍していて、俺もそのチャンスがあったらなって。でも実力的に無理やというのは自分で整理して考えたらわかることやし。自分のことは自分でわかる。野球を辞めたのも、“これ以上はないな”と感じたから。だから余計に、すごいなあと思いますね」

もうすぐパパになります!

 同期6人で撮った写真を掲載するにあたって全員に連絡したところ、二つ返事で快諾してくれ「懐かしいなあ!」という言葉。もちろん一二三選手、ではなく一二三さんも「いいですよ」と返事をくれました。元気に働いているそうですよ。

 最後に、今は2人だけになった阪神の同期に穴田さんからメッセージをもらいました。

 「中谷へ。不動のレギュラーになってくれ!またご飯連れてって(笑)」

 「島本へ。嫁さんと仲良くな。怒られるようなことすんなよ!」 

2013年11月、退寮する穴田選手のために全員で撮影。本当は横一列ですが2段に分けました。上段左から一二三、中谷、穴田。下段左から島本、岩本、阪口。写真は穴田さんの提供です。
2013年11月、退寮する穴田選手のために全員で撮影。本当は横一列ですが2段に分けました。上段左から一二三、中谷、穴田。下段左から島本、岩本、阪口。写真は穴田さんの提供です。

 島本投手からは「お前もな!」と返事が来そうですね。実は穴田さんも1月に婚姻届を提出済みで、12月には赤ちゃんが生まれます。本当に子ども好きで、チームメイトのお子さんが来ていたら延々と相手する姿を何度も見ました。子どもも、それがわかるのか穴田さんのそばを離れません。きっと優しいパパになるんでしょうね。

 野球をやってほしい?「野球をするならいいけど、させることはしない。女の子もいいなあ。でも健康やったら、どっちでも構わない」。思いのほか真面目な答えが返ってきました。「そやろ?俺はもともと真面目なんやで」。はいはい。

    <記載のない写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

岡本育子の最近の記事