『新潮45』10月号めぐる新潮社文芸部門の行動に拍手を送りたい。でも背景は深刻だ
この2~3日の『新潮45』10月号 杉田論文擁護特集をめぐる動きは目が離せなかった。新潮社だけでなく出版界にとって大事な問題を提起したと思う。朝日、東京、毎日などの新聞各紙も連日、この問題を報じている。
9月21日のTBS「ニュース23」は冒頭でこのテーマを取りあげ、私へのインタビューも放送された。22日朝の「サンデーモーニング」でもそのインタビューを流すらしいが、どうしたって1時間ほど話したうちの3分くらいしか使われないから、もう少し詳しくここで、この問題について書いておこうと思う。
もともと『新潮45』杉田論文についての私の見解は以前、書いた通りだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20180807-00092326/
この時点では「危惧」と書いたが、心配した通りの展開になってしまった。
『新潮45』8月号の杉田論文は、この半年ほどの同誌のネトウヨ路線への転換の中で出てきたものだ。同誌が部数減に悩んだ末に、今の日本の思想の座標軸が右へずれたことを背景に生じた新たなマーケットに敢えて突き進もうとしたものだろう。
そうした中で、LGBTは「生産性が低い」という8月号の杉田水脈議員の論文を載せ、多くの反発を買った。編集部は当然、そのうえでどうするか考えたのだろう。9月号はネトウヨふう特集でなかったので、私は、大きな批判を浴びて少し軌道修正したのかと思った。
でもそうではなかったようだ。編集長の判断だろうが、むしろもう一度世論にあえて逆らって話題にするという策に打って出たのだった。9月18日発売の10月号で今度は「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という居直りの特集を掲げた。
当然、前回の何倍もの反発を買ったのだが、確かに雑誌は売れたらしい。でもあまりにリスキーなやり方は、別の大きな反発を受けた。新潮社から本を出している作家たちが反発、それを受けて社内の文芸部門編集者たちが行動に出た。そしてついに9月21日に同社社長がその特集を批判する見解を発表した。
https://www.shinchosha.co.jp/news/20180921.html
『新潮45』に対する作家たちの批判の声
特に大きな反響を呼んだのは、『新潮45』発売後、多くの作家たちがツイッターで批判の声をあげたのに対して、新潮社社内の「新潮社出版部文芸」というツイッターでそれをリツイート。会社上層部の意向で削除されるとまたたちあげ、「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事(佐藤義亮)」という社是をツイッターに固定するという明白な抵抗の意思表示がされたことだった。それを見て、他の作家や、岩波書店や河出書房新社など他社からも次々と共感のメッセージが寄せられた。
作家たちからの批判のツイートは、例えばこういうものだ。
●平野啓一郎《『新潮45』編集部は、新潮文庫で『仮面の告白』を読んでみたらどうか。読者として、新潮社の本で僕の人生は変わったし、小説家としてデビューし、代表作も書かせてもらった。言葉に尽くせない敬愛の念を抱いている出版社だが、一雑誌とは言え、どうしてあんな低劣な差別に荷担するのか。わからない。》
●星野智幸《社員や書き手や読者が恥ずかしい、関わりたくない、と思わせるような差別の宣伝媒体を、会社として野放しにするべきではないと思います。これだけの文化的貢献と優れた歴史的遺産を持つ出版社が、悪意によるほころびを、まだ自分で繕えるはずなのに放置して崩壊していくとしたら、あまりに悲しいです。》
●高橋源一郎《話題の「新潮45」の「杉田水脈論文擁護特集」をじっくり読んだ。読むんじゃなかった……。小川論文とか、これ、「公衆便所の落書き」じゃん。こんなの読ませるなよ、読んでる方が恥ずかしくなるから! あと、事実でおかしいところが散見されたのだが、最強の新潮校閲部のチェック入ってないの? 謎だ。》
このほかにもたくさんの批判の声が上がったのだが、それをリツイートする文芸部の動きに対するこういう声も上がった。
●村山由佳《「新潮45」の特集に胸蓋がれる思いでいたら、同誌への批判的意見を、同じ新潮社の文芸アカウントが次々にリツイートしているのを知った。一度全削除されてもまた復活した。組織の中で闘う困難を、↓固定ツイートのこの信念が上回ったということか。
どうか頑張って。皆、出版人の良心を信じたいんだ。》
こういう作家の声を聞いて黙っている編集者は、それだけで編集者失格と言うべきだろう。当然、編集者らの行動も拡大していった。
佐藤社長の見解をどう見るか
そうした動きを受けて、ついに佐藤社長自らが公表したのが前述した見解だ。22日付朝日新聞によると、文芸部門の抵抗が拡大し、文芸誌編集長らが声明まで出そうという動きになったことを受けて、社長が突然、個人の意思で公開したらしい。
社長見解は『新潮45』の特集について《あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマです。文芸出版社である新潮社122年の歴史はそれらとともに育まれてきたといっても過言ではありません。弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です》というものだ。
この社長見解についてもいろいろな批判が寄せられている。「常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」とはどこを指しているのかわからないし、そもそもこの見解自体、謝罪でもないし曖昧でよくわからない、という批判だ。
確かにその通りで、この見解は不十分なのだが、ただ私個人の感想を言えば、これだけの文言でも、佐藤社長が見解を出したのは英断だったと思う。
新潮社は、もともと文芸部門と雑誌部門で、別の会社と思えるくらい社風が異なるのが特徴だ。そして雑誌は編集長のものという方針を徹底させ、経営が編集方針にいっさい介入しないことを伝統にしてきた。出版界の中でもそれを徹底させてきた会社だと思う。だから今回の社長見解は、新潮社にとっては極めて異例と言ってよい。たぶん佐藤社長にとっては相当の決断だったと思う。
それはつまり、社内の文芸部門の反発がそれだけ大きかったということだ。出版社と言えどひとつの企業で、会社内部でこういう動きをすることにどれほど覚悟がいるかは明らかだ。これは本当に拍手ものだ。
『新潮45』はなぜ危険な賭けに打って出たのか
『新潮45』のこの半年ほどの動きと、杉田論文をめぐる対応を見ていて「おいおい大丈夫か」と思っていたので、今回の結末についてはホッとした。新潮社は土俵際で辛くも踏みとどまったという印象だ。
ただ一方で、今回の騒動を決して他人事として眺めていていけないとも思う。『新潮45』がネトウヨ路線に転換したのは、雑誌が売れなくなったことを受けて、思い切った転換をしないといけないという危機感が編集部にあったからだろう。そこで雑誌界でもネトウヨ系が伸長していることをリサーチし、そちらへ舵を切ろうと考えたのだろう。
その思い切った転換がとんでもない方向へ向かってしまったわけだが、この数年間、出版不況にあえぐ中で次々とヘイト本が出版されるなど、『新潮45』を笑えない現実は業界全体にあった。他の大手出版社だって「おいおい、それを出すのか」という出版物はなくはない。
なぜ今回、新潮社が土俵際で踏みとどまることができたかというと、同社の主力ともいうべき文芸部門の評価まで毀損しかねないという大きなリスクがあったからだ。佐藤社長が言うように「差別やマイノリティの問題は文学でも大きなテーマ」だ。作家たちにとってみれば『新潮45』のネトウヨ路線への転換と10月号の安易な居直りは、耐えられないものと映ったろう。つまり新潮社にとってはまだ他に守るべきものがあったというわけだ。
でも、過去10年間で雑誌市場が半減という急速な落ち込みの中で、今後、大手出版社といえど苦境が進む中で、今回のようなことは今後も出て来かねないと思う。その意味で、今回の事件はなかなか深刻な問題だ。今回作家や編集者たちが示した出版人としての矜持が、出版界を支えているといえるが、それだって安穏として保たれていくほど現実は甘くないと思う。