ロアッソとともに――熊本地震から復興2年、選手に愛される食堂から見た風景
熊本市内。光の森駅から乗り込んだタクシーでは、運転手が標準語に肥後弁を混ぜた口調で言った。
「ここらは地震の痕はもう見えません。ブルーシートのかかった家もないですし。でも、益城や南阿蘇のほうはまだまだ大変。だけん、復興にはもう3、4年はかかると言われとります。ようやく倒壊した瓦礫を撤去し、更地になりつつはあって。ただ、高齢者が多いんで、家を建て直すのは難しい状況みたいです」
2016年4月、熊本では2度にわたる震度7の大地震と度重なる余震が、容赦なく人々の命を奪い、体や心を傷つけ、町を破壊した。
スポーツ界も厳しい状況に喘いでいる。あるグラウンドは地盤が歪み、完全に使用不可能になったり、「こんなときにスポーツなんて」という声も上がった。バスケットボールBリーグ、熊本ヴォルターズは一時、存続の危機が危ぶまれたほどだ。
しかし一方で、スポーツは復興支援の先頭にも立っている。ラグビー日本代表やなでしこ(女子サッカー代表)の試合が開催され、プロ野球オールスターも今年7月の開催が決定。危機を乗り越えたヴォルターズは現在、リーグ上位を争い、人気を集める。地元スポーツが地力を見せている。
サッカーJリーグ、ロアッソ熊本もその一つだろう。一時は成績も沈んだが、今シーズンは健闘。第8節終了現在、J1昇格プレーオフ圏内の6位に位置している。
あれから2年。何が変わって、何が変わっていないのか――。
復興にかける熊本出身の元日本代表、巻誠一郎
3月29日、熊本県民総合運動公園。青い空の下、ロアッソの選手たちが出す声が響いていた。一気に気温が上がったことで、園内の桜は満開。半袖でも汗ばむほどだった。
「一緒に一枚いいですか?」
練習から引き上げてくる選手を、ファンの女性たちがつかまえ、通路は写真撮影で賑わっていた。ユニフォームを大事そうに胸に抱え、少年がおずおずとサインをせがむ。選手は笑顔を見せ、快くペンを走らせるのだった。
「(4月15日に行われるJ2リーグ、東京ヴェルディ戦となる)復興支援マッチでは、バスケットボールの熊本ヴォルターズと協力することになっています。今日も選手会で、益城で仮設住宅に住んでいる人たちのところに行って、試合に招待しようと。一軒一軒、ビラをポスティングするつもりです」
サインや写真に応じた後、巻誠一郎は汗をぬぐいながら話した。巻は元日本代表で、2006年のドイツワールドカップにも出場。熊本出身で、2014年からロアッソの一員としてプレーしている。熊本地震で被災した後は、避難所を訪れて激励するなど復興のために率先して行動してきた。
「今は復興支援の活動をNPO法人に変え、子どもたちの教育を中心にやっていますね。子供たちは、ホンモノを見れば伝わるものがあるので、選手が一緒にサッカーをしたり。継続的に活動を続けていこうと思っています。熊本のアスリートにも声をかけ、バスケットボール、ハンドボール、陸上選手と一緒になって活動していますね。何か見返りを求めているわけではありません。熊本には震災前に戻って、帰ってきた意味を見つけた、と思っていますけど」
巻は遠くを見つめる目をした。
プロサッカー選手として、忸怩たる思いはあるだろう。地震の被害を受けた一昨シーズンは、首位争いから一気に転落した。所属選手の中には車中泊を余儀なくされる者もいて、練習もままならず、明日をも知れず、肉体的にだけでなく心理的な消耗も激しかった。そして昨シーズンのロアッソは調子が上向かず、21位(22チーム中)に低迷。降格してもおかしくはない順位だった。不振が響き、平均で7千人台だった観客数は、4千人にまで落ち込んでいる。
「失った人たちを、自分たちの力で取り戻さないといけないですね」
巻は唇を噛んだ。
小さいながら、希望はある。地震でスタンドが倒壊し、使用禁止になっていた水前寺競技場で、今年5月にはロアッソの試合が行われることになっているのだ。
ロアッソ熊本の選手やスタッフが集う食事処「グルメ」
練習場から車を流して15分、食事処「グルメ」は水前寺にある。暖簾をくぐった元日本代表の北嶋秀朗、藤本主税という二人が「おばちゃん、こんちは」と挨拶し、慣れた様子で奥の座敷に陣取る。店を切り盛りするおばちゃんは、その様子に顔を綻ばせる。両者の間にある空気は、実家に戻った時の気安さに近い。北嶋、藤本の二人は選手時代から馴染みの客で、いまはトップチームのコーチとして活動し、変わらずに店に通っている。
「いつものでいい?」
おばちゃんが、注文を確かめた。
今年で営業40周年になる「グルメ」に、ロアッソの選手やスタッフが集うようになったのには、縁と絆がある。
2008年まで、ロアッソはロッソという呼称だった。当時は水前寺で練習する機会がしばしば。その近さもあって、練習後のロッソの選手が多く通うようになった。しかし当時、おばちゃんはサッカー選手とは知らなかったという。
「みんなガタイがいいし、日に焼けているから作業員の人かな」。そんな程度だった。最初に認識したのは、ガンバ大阪などにいたFW中山悟志で、いつもカウンターの隅っこにちょこんと座る姿が印象的だったという。
そのうち、選手がほかの選手を連れてくるサイクルができて、あっという間にお店は選手たちの行きつけになった。水前寺で練習する回数が減っても、主力選手が若い選手を連れてきては、その若手が定着。成長しては、また若手を連れてきた。
「選手の注文は、ほとんどロアッソランチですね」
おばちゃんはそう言って、笑顔で説明する。
「もともと、たけちゃん(浦和レッズ、MF武富孝介)が日替わり定食で出したハンバーグと唐揚げの定食を気に入って。『今日もあれがいい!』と言うので、メニューに入れるようになったんです。それで最初は『たけちゃんランチ』と名付けました。でもいつだったか、ゆうたさん(横浜FC、GK南雄太)が『たけちゃんじゃなくて、ロアッソだろ!』と言うので、それもそうかな、とチーム名にしたんですよ」
鳥の唐揚げは秘伝のたれか、カリカリの外をかじると、中から旨味が染み出してくる。今や地元のサラリーマンにも人気。味噌汁やサラダもついて、量はかなり多めだ。
看板ドリンクは39オーレ。冷えた牛乳にコーヒーの氷とコーヒーゼリーを入れ、氷をかじりながら飲む。地元TV番組で北嶋が紹介し、当時の背番号39と感謝の気持ちを込め、値段も390円だ。
「私たち夫婦は、選手たちが明るくサッカーの話をしている姿が好き!そうやって一生懸命な選手を少しでも応援したい。何ができるわけではなくて、ただそれだけなんです」
おばちゃんは照れ臭そうに言った。「熊本のお母さん」。彼女をそう表現する選手は少なくない。グルメとロアッソは切っても切り離せない関係と言える。
しかし被災したとき、店は閉まっていても不思議はなかった。
前震、本震で熊本中に甚大な被害が出た後、2、3日経ってからだった。おばちゃんと厨房で料理を作る夫は、寸断された道路をいつもの数倍も時間をかけ、ようやくお店を確認に来た。店内で目にした光景に愕然としたという。
「厨房では食器がひっくり返って、床で割れていて。夫がデミグラスソースの入った大きな鍋をコンロに置いていたんですが、それが倒れて、辺りはドロドロになっていました。(隣の)ビルが崩れ、屋根に落ちてきたので、雨漏りもひどくて。当時は地震後、ずっと雨だったんです。それで店の壁を水が伝って、びしょびしょですごい匂いがして。そのとき、私は口には出さなかったんですが、やめよう、と思っていましたね」
しかし、店は閉まらなかった。
地震の報を受けた次男が、すかさず駆けつけてきた。東京でリフォーム関係の仕事をしていたことも助かった。すぐに少数のスタッフを連れ、被害状況を確認した後、おばちゃんが何かを言うより前に、床やクロスを颯爽と張り替え、1週間ほどの作業で店を営業できるまでにした。
そして驚くべきことに、店は一ヶ月と経たずに再開している。
<また必ず行くから!>
ロアッソから移籍した選手たちからも、心が熱くなる励ましのメッセージが届いた。
「本当にみんなのおかげで、営業を再開できるようになりました。夫もあの光景を見て、もうやめよう、と思っていたらしいです。周りが協力してくれる姿を見て、私たちが弱気になるわけにはいかないって」
おばちゃんはそう言って、朗らかに笑った。自宅も被災しているし、大変なことは少なくない。近所の更地を見ると、今も心は痛む。毎年、咲いていた桜の木はない。それだけで心は沈みかける。しかし、毅然と前を向くしかない。
水前寺競技場の修復工事が終わり、再び試合が行われる日がおばちゃんは待ち遠しいという。
「風に乗って、歓声がここまで届くんですよ。選手紹介やゴールのアナウンスとか、今日もやっているな、って感じられていいんです!被災してからは、その声が聞こえなくなっていましたから」
店が忙しくなってきたようで、おばちゃんは笑顔を残して仕事場に戻った。電話が鳴り、出前まで入ったようだ。緩やかにではあっても、元に戻りつつあるものもある。
ロアッソの公式戦を待つ水前寺競技場
黄昏時の水前寺競技場には、厳かな静謐さがあった。スタジアムのトラックでは陸上部らしき学生たちが激しく肉体を躍動させ、黙々と練習に励んでいた。崩れていたスタンドは修復され、元通りだった。スタジアムの外周をゆっくりジョギングする人たちが走りすぎていく。
「地震から1年のリーグ戦、あのときはスタジアム全体が、"熊本やるぞ"という空気が流れていて。すごい雰囲気でした。勝たせてもらった、と感じましたね」
北嶋は神妙な面持ちで言っていた。
地震から2年。4月15日には、えがお健康スタジアムで復興支援マッチとして東京ヴェルディ戦が行われる。熊本が再び一つになるはずだ。
(クレジットのある写真以外、筆者撮影)
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