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【深読み「鎌倉殿の13人」】再び工藤祐経が登場。背後にいた二人の子供は誰か

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
工藤祐経は一条忠頼を襲撃した際、十分な働きができなかったという。(写真:アフロ)

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第17回では、再び工藤祐経が登場し、その背後には二人の子供がいた。二人の子供は誰なのか、詳しく掘り下げてみよう。

■工藤祐経とは

 今回、久々に工藤祐経が登場した。一番の役どころは一条忠頼を襲撃する場面だったが、祐経は情けないことに何もできなかった。この事実は、『吾妻鏡』にも書かれている。改めて祐経の来歴を確認しよう。

 坪倉由幸さんが演じる祐経は祐継の子として誕生したが、生年は不詳である。父の祐継は、祐経が幼い頃に病没した。その際、祐経を養育すべく手を差し伸べたのが、伊東祐親である。

 祐経が元服を迎えると、妻を迎えた。その妻は祐親の娘で、祐経と祐親は婚姻を通じて、強固な関係を結んだ。その後、祐経は祐親とともに上京し、平氏一門の平重盛(清盛の子)に仕えることになった。普通に考えると、栄達の道である。

■祐親の悪行

 祐経が重盛に仕えている頃、養父だった祐親は祐経の領有する伊東荘(静岡県伊東市)を奪い取った。祐親の悪だくみは、それだけでは終わらなかった。

 祐親は祐経の妻となっていた娘を離婚させ、有力な豪族の土肥遠平に嫁がせたのである。祐親が娘を離縁させたことは、祐経との一切の関係を断つことを意味していた。

 祐親の裏切り行為は、祐経にとってまったく予想外の出来事だった。祐親は娘までを嫁がせた祐経に対して、なぜこのような酷いことをしたのだろうか。

 祐親の祖父は、工藤祐隆である。祐隆は子の祐家が夭折したので、祐継(祐経の父)を養子に迎え、本領の伊東荘・宇佐美荘(静岡県伊東市)を与えた。これが、問題の発端である。一方、祐家の子だった祐親には、河津荘(静岡県伊東市)を与えるに過ぎなかった。

 つまり、祐隆はもともと保持していた伊東荘・宇佐美荘・河津荘を分割して祐継(没後、祐親が継承)に与えたのだが、これに対して祐親が不満を抱いたのである。ゆえに、祐親は祐経から伊東荘と嫁がせた娘を奪い取ったのだ。

■祐経の逆襲

 むろん、祐経は妻も伊東荘も奪われたのち、黙っていたわけではない。安元2年(1176)10月、祐経は祐親に反撃をした。祐経は配下の郎党に命令して、祐親の殺害を計画したのだ。

 ちょうど祐親と子の祐泰は、伊豆奥野(静岡県伊東市)に狩りに出掛けていたので襲撃させた。その結果、祐親は難を逃れたものの、子の祐泰は討たれてしまった。

 祐泰には、妻と一萬丸、箱王という二人の兄弟がいた。二人の兄弟は元服して、曽我祐成、曽我時致と名乗った。曽我兄弟は、建久4年(1193)に祐経を討ち、父の仇を取った。これが有名な曽我兄弟による仇討ちである。

 この二人こそが、祐経の背後でちょろちょろしていた男の子なのである。ドラマではあるが、この時点で祐経は、のちに二人に討たれるとは思わなかっただろう。

■むすび

 相変わらず祐経は情けない感じで描かれていたが、実際はそんなことはなかっただろう。視聴者のなかには二人の子供の素性に気付いた人もいたに違いないが、こういうことである。曽我兄弟の仇討ちについては、追々ドラマの進行にあわせて取り上げることにしよう。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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