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「金泳三」の評価は「金大中」よりなぜ低い?

辺真一ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

金泳三元大統領が死去した。金元大統領とは日本で一度、韓国で二度会っている。一度目は大統領になる前の1988年、即ち1987年の大統領選挙で盧泰愚候補に大統領選で敗れたばかりの浪人中に来日した時だ。

滞日中に田原総一朗さんが司会を務めていた「サンデープロジェクト」の前身、「爽論争論」というテレビ番組に出演したことがある。韓国の政治家が日本のテレビに生出演したのはこれが初めてだったと記憶している。番組では全斗煥元大統領のスキャンダルを赤裸々に暴露していた。隣で聞いていて、金泳三氏の勇気ある発言はとても新鮮に聞こえた。

ところが、帰国して2年後、何と第二野党を率いる金泳三氏は全斗煥―盧泰愚と二代続けて軍人大統領を輩出した与党及び政敵である金鍾泌元総理の第三野党と電撃統合し、1992年の大統領選挙に与党候補として立候補した。そして、ライバルの第一野党の党首、金大中候補に190万票の大差を付けて当選を果たした。

二度目の挑戦で念願の大統領になったものの与党への寝返りでそれまでの民主化闘士としての輝かしい経歴に傷が付いたのは確かだ。韓国の大統領は、李承晩初代大統領から現在の朴槿恵大統領まで数えて11人目となるが、金泳三元大統領に対する国民の評価、人気は決して高くない。むしろ下から数えたほうが早いほど低いかもしれない。

前述した「変身」や政権末期に次男ら親族が不正蓄財に関与したことも一因だが、それだけではない。何よりも、国家経済を破綻させ、国際通貨基金(IMF)の管理下に置いたことだ。それが故に「経済に失敗した大統領」とのレッテルを貼られている。後任の大統領となった金大中氏が直ぐに経済を回復させただけに金泳三氏の「無能」「無策」ぶりが際立つてしまった。

では、「両金」を比較すると、どちらが大統領としての資質があっただろうか?圧倒的多数は「金大中」と答えるだろうが、「金泳三」だと思う。その理由を幾つか挙げてみる。

一つに、金泳三政権でなければ、「過去の清算」即ち、元・前大統領の全斗煥と盧泰愚の両氏を不正蓄財で逮捕し、裁判に掛けることはできなかったはずだ。クーデターで政権を奪取した全斗煥・盧泰愚軍事政権にNOを突きつけることができたのは、金泳三大統領が指揮権を発動したからこそ可能だった。仮に金大中氏だったら、当時の状況からして軍部によるクーデターか、ケネディ大統領の暗殺が再現されたかもしれない。金泳三氏の中道・文民政権が誕生したからこそ次の金大中氏の革新・民主政権の誕生に繋がったとも言える。

二つに、南北首脳会談は2000年の金大中政権下で実現したが、その下地を作ったのは他ならぬ金泳三氏である。

金泳三氏は1993年の政権発足当初「民族の他に同盟に勝るものはない」との名言を吐いた。金日成主席はこの発言を歓迎した。そして、紆余曲折はあったものの最終的に金主席は訪朝したカーター元大統領を通じて「金泳三大統領と会ってもよい」と南北首脳会談に応じた。ところが、一カ月もしない内に金主席が急死してしまい、首脳会談は流れてしまった。

仮に実現していれば、金泳三氏は歴史に残す大統領になったはずだ。後任の金大中大統領が2000年に後継者の金正日総書記を相手に首脳会談を実現させ、ノーベル平和賞を受賞したが、金主席が死ななかったなら、金泳三氏がノーベル賞を受賞しただろう。皮肉なことに、金泳三氏が南北首脳会談という宿題を残したことで金大中氏の国内での存在感が増したとも言える。

三つに、核問題で北朝鮮への軍事攻撃を検討していたクリントン大統領を説得し、戦争勃発を阻止したことだ。

ソウルの自宅を訪れ、インタビューした際、1994年6月の核危機について金泳三氏は「1時間にわたって戦争をしてはならないと電話でクリントンを説得した。私の許可なく、勝手に軍事行動を起こすなら、私は韓国国軍最高司令官としてこの戦争に韓国軍誰一人参戦させないと言ってやった」と語っていた。

当時大統領室長の朴寛用氏は「核疑惑が浮上したとき、米国は北朝鮮を叩こうとした。米国の雰囲気は軍事行動に向かっていた。我々は、『戦争はあってはならない』と米国を押さえにかかった。米国は我が大統領をどっちつかずと批判していた。金大統領は朝鮮半島で戦争が起きることは絶対に容認できないとクリントンに言っていた」と証言している。

金泳三氏にとって金大中氏は永遠のライバルだった。同じ野党の政治家でありながら、金大中氏は国内外で常に脚光を浴びていた。だが、金大中氏に比べて、金泳三氏のほうが部下の面倒見が良かった。政党人として、党をまとめる政治力も抜群だった。議会人と言われたほど国会で存在感を示した、当選回数も金大中氏より多い。何よりも、国内で民主化運動を主動し、全斗煥政権に終止符を打つ原動力となった。それだけに共倒れとなった87年の大統領選挙では金泳三氏のほうが野党統一候補としては適任だった。ところが、金大中氏が党を飛び出して新党を作り、大統領選挙に立候補すると言い出した。裏切ったのは金大中氏だった。

金大中氏は獄中生活を何度も経験している。光州事件の時も引っ張られ、死刑宣告されている。外国での亡命生活が長く強いられ、民主化闘士としての名声では金泳三氏を圧倒していたのは間違いない。一方の金泳三氏は逮捕、投獄されてない。自宅軟禁で止まっている。

金大中氏は冷遇された分だけ「民主化闘士」として高い評価を受ける結果となった。仮に1992年の大統領選挙が野党党首同士の一騎打ちならば金泳三氏は勝てなかったかもしれない。そう考えれば、金泳三氏が与党に寝返ると言う選択は賢明であり、大統領になるにはそれしか道がなかったとも言える。

ジャーナリスト・コリア・レポート編集長

東京生まれ。明治学院大学英文科卒、新聞記者を経て1982年朝鮮問題専門誌「コリア・レポート」創刊。86年 評論家活動。98年ラジオ「アジアニュース」キャスター。03年 沖縄大学客員教授、海上保安庁政策アドバイザー(~15年3月)を歴任。外国人特派員協会、日本ペンクラブ会員。「もしも南北統一したら」(最新著)をはじめ「表裏の朝鮮半島」「韓国人と上手につきあう法」「韓国経済ハンドブック」「北朝鮮100の新常識」「金正恩の北朝鮮と日本」「世界が一目置く日本人」「大統領を殺す国 韓国」「在日の涙」「北朝鮮と日本人」(アントニオ猪木との共著)「真赤な韓国」(武藤正敏元駐韓日本大使との共著)など著書25冊

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