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”鷹の恩人”に捧げるリチャード22号!「川村さんなら、なんて言うかな」リーグ本塁打記録に迫る

田尻耕太郎スポーツライター
打席に向かうリチャード。ベンチには川村さんのユニフォームが掲げられた

 9月15日、ウエスタン・リーグ公式戦で福岡ソフトバンクホークスはタマホームスタジアム筑後で広島東洋カープと対戦した。

ガルビスが代打本塁打

【9月15日 ウエスタン・リーグ タマスタ筑後 1389人】

広島     `010010001 3

ソフトバンク `20000203× 7

<バッテリー>

【C】●アドゥワ(2勝6敗)、菊池、一岡――中村奨

【H】大竹耕、◯重田(6勝3敗)、中村亮、秋吉、田浦――牧原巧

<本塁打>

【C】林2号 【H】ガルビス4号、リチャード22号

<スタメン>

【C】8中村健 4三好 9正随 D長野 3末包 2中村奨 5二俣 6韮澤 7田村

【H】9佐藤直 7緒方 D松田 5リチャード 3野村大 2牧原巧 8中谷 4小林6勝連

<戦評>

 ソフトバンク二軍が7連勝。この日も終始主導権を握った。

 初回、佐藤直が内野安打で出塁すると、続く緒方が適時二塁打を放ってあっという間に打者2人で先制した。なおも2アウト三塁で野村大が中前へ適時打をはじき返して追加点を挙げた。

 2-2と追いつかれた後の六回、代打・ガルビスが右中間へ4号ソロを放って勝ち越し。続くリチャードは右越えの22号ソロを運んだ。

 八回には渡邉の遊撃タイムリー内野安打、真砂の2点二塁打で計3点を奪ってダメ押しした。

 先発した大竹耕は4回3安打1失点。その後も小刻みな継投で逃げ切った。

ソフトバンクは現在2位。16日からは3ゲーム差で追いかける首位阪神との直接対決3連戦(いずれも鳴尾浜)に臨む。(了)

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本塁打のリチャード、川村さんのユニフォームとグータッチ

本塁打を放って仲間に祝福される
本塁打を放って仲間に祝福される

 六回の第3打席に22号本塁打を放ってダグアウトに戻ったリチャードは、仲間たちとのハイタッチを終えるとベンチ奥の壁に掲げられていた「01」のユニフォームにそっとグータッチをした。

 そのユニフォームは2020年にクモ膜下出血で亡くなった川村隆史・三軍コンディショニング担当(当時の役職)のもの。長くチームを支えた裏方で、いつも選手に向き合い、ムードメーカーでもあった。鷹ナインなら誰もが「恩人」と口をそろえる人。この日が命日だった。

「今日は川村さんのことを意識してプレーしました。1、2打席は凡退して、川村さんがベンチにいたらなんて言うかなと想像した。たぶん『切り替えて頑張っていけよ』って背中を押してくれたと思う。だから切り替えて3打席目にも臨んでいました」(リチャード)

ウエスタン本塁打記録も射程圏内

断トツの本塁打王
断トツの本塁打王

 若鷹大砲の本塁打がまた量産体制に入っている。

 この日は2戦連発。さらに11日の中日戦では1試合2発を放つなど、直近6戦で5本塁打をマーク。8月にもウエスタン・リーグの2位タイ記録となる4試合連続ホームランを放つなど月間8ホーマーでファーム月間MVPに輝いていた。

 ウエスタン・リーグ記録の25本塁打もくっきり見えてきた。なお、この25発は城島健司会長付特別アドバイザーがプロ2年目だった1996年に記録したもの。前日14日にタマスタ筑後に視察に訪れた城島氏から「俺の記録を抜けよ」とハッパをかけられたそうだ。本人は「ファームの記録なので」と微妙な表情も浮かべるが、「一番になれるのなら、やっぱりなりたい」と表情を引き締めていた。

※写真はすべて筆者撮影

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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