一年前の思い出――錦織圭、IMGアカデミーでの取材記
■『錦織圭 リターンゲーム』取材記■
昨年の11月に上梓しました、拙著『錦織圭 リターンゲーム』。
その取材のために、今から約1年前の4月上旬、IMGアカデミーを訪れました。その時の取材の様子を備忘録的に書いたものです。
※こちらのfacebook記事からの転載になります。
■2015年4月上旬 IMGアカデミーにて■
4月上旬とはテニス界にとって、北米を中心としたハードコートシーズンが一つの区切りを迎え、4月中旬から始まるクレーコート(赤土)へと戦地を移す移行期にあたります。錦織圭もこの時期は約2週間、自宅にほど近いIMGアカデミーに腰を据え、フィジカル強化とクレーへの準備に打ち込んでいました。
錦織圭が13歳の頃から拠点とするIMGアカデミーは、フロリダ州のブラデントンという、人口約5万人の小さな町の中にあります。
高い建造物も見当たらぬ平穏な町の一角に、約2平方kmの広大な土地を占めるアカデミーは、その内に52面のテニスコートや12面のサッカーフィールド等と、アスリートの卵たちが発する膨大な熱量と野心を抱え込み、門構えからして「我こそがこの町のボスである」と胸を張るような威厳に溢れていました。
そのアカデミー全体を覆う喧騒から少し離れ、敷地内の奥まった地点に並ぶ“グリーン・クレー”…しかし実際はグレーに見える土のコートで、錦織圭はツアー選手相手に、ゲーム形式の練習で汗を流していました。
これは明かすのが大変お恥ずかしい話なのですが、実はわたしは未だに、取材対象者との距離感が上手くつかめていません。
こういう練習の時は、声を掛けて良いものだろうか?
あまり近寄らず、邪魔にならないよう見ていた方が良いだろうか…?
いや、逆にそれは失礼にあたるだろうか……?
そんなことを思い、ややビクビクしながら、少し離れたところから様子を伺うのが常なのです。
この時もそんな風にモジモジしながら、少し距離を置いたところで……それでも人が少ないので、どうしても向こうからも見えてしまうだろう場所に立って練習を見ていました。
するとこちらの存在に気付いた錦織の方から、柔らかい笑みを浮かべて「こんにちは~」と声を掛けてくれます。
「あ~、そっか。彼はアカデミーに居る時は、こんな顔で笑うんだ…」
それはトーナメント会場ではあまり見ることのない、心からリラックスしている表情のように映りました。
午前中のポイント練習が終わり、昼食等を挟んで行われた午後の練習は、マイケル・チャンとダンテ・ボッティーニのダブルコーチによる、反復練習やサーブ等の練習が中心になります。ドロップショットからロブやパッシングショットにつなげるコンビネーション、あるいは頭上を越えていくロブを追って身体を反転させながら打ち返す……それらクレーで起こりうる、様々なパターンの練習を繰り返します。まだ4月上旬だというのに蒸し暑く、休憩時にベンチに座ってうつむく彼の前髪からは、水を被ったように大量の汗が流れおちました。
そんな錦織の練習の様子を、フェンス越しにじっと見つめている2人のアジア人の少年・少女の姿がありました。話し掛けてみると、日本から来たばかりの練習生とのこと。少女はテニスのためですが、少年の方はサッカー目的の留学。しかし練習を食い入るように見ているのは、むしろ少年の方でした。
「テニス、大好きなんです! こんなに近くで錦織選手の練習が見られて、感激です!」
2人は練習が終わるまで、立ったまま熱い視線を送り続けていました。
午後の練習も終わり、クールダウンとマッサージなどを終えた後に、錦織に話を聞かせてもらうことに。
場所はアカデミー内のカフェテリアですが、選手以外はカフェそのものに入ることができないので、入口前のロビーで行うことになりました。
約束の時間の少し前にロビーに行き待っていると、ほどなくして、ラフな普段着に着替えた錦織がやってきます。
「何か飲みますか?」
彼の口から開口一番放たれたのが、この言葉。
ご厚意に甘えてコーヒーをお願いすると、「ミルクと砂糖は要りますか?」と念入りな確認が。「ブラックで大丈夫!」と虚勢を張り、世界4位(当時)が持ってきてくれたコーヒーをありがたく啜りつつ、この時は主にプロになってからのキャリアや思い出深い試合について、詳細に話を聞かせてもらいました。
話を聞き始めて、20~30分ほど経った頃だったでしょうか。彼の携帯が小刻みに震え、幾つかメッセージが届いたことを告げます。
ちらりと携帯に目をやった錦織さんは、こちらに向き直り申し訳なさそうな笑顔を浮かべると「あの……時間はぜんっぜん大丈夫なんですけれど、あとどれくらい掛かりそうかだけ教えてもらえますか?」と控え目にたずねてきます。
ふとその時、「あっ…そういえば……」と思い当たることがありました。実はちょうどこの日、西岡良仁選手が隣町のサラソタで行わるチャレンジャーに出るべくアカデミーを訪れており、夜はみんなで夕飯を食べにいくという話をしていたのです。きっと送られてきたメッセージは、時間になってもレストランに現れない彼に対する、催促だったのでしょう。
「すみません、じゃあ後15分だけ!」
申し訳なく思いながらもそうお願いし、どうしても聞きたいことだけを駆け足で聞いたつもりですが、結局は宣言した15分をオーバーしてしまったように思います。
「ありがとうございました」
最後の質問を終えたときには、忙しいなか時間を作ってくれた錦織選手の方が、なぜか丁寧に頭を下げました。
「時間押しちゃってすみません。皆さんに、わたしが謝っていたとお伝えください」
こっちも恐縮しながら、ペコペコと頭を下げた次第です。
この日の深夜にマイアミ発の飛行機に乗る予定だったわたしは、インタビュー終了後にはブラデントンを去り、4時間ドライブしなくてはいけませんでした。
もっとも、深夜のロングドライブがさほど苦痛でなかったのは、
「お気をつけて!」
と、錦織さんから送られたエール(?)のためだった訳ですが…。