中国の児童誘拐。14年ぶりに誘拐された息子に再会
会議室のような部屋に、一組の中年の男女がいた。そこにはカメラマンなどメディア関係者らしき姿もあった。制服を着た女性警察官が、男女の脇で何やら話しかけ、男性は、渡された一枚の紙を真剣に読んでいた。その後、その部屋の扉の一つが開くと、高校生くらいの少年が小走りに駆け込んできた。男性は、その少年を認めると走り寄り、少年を折れるぐらいの勢いで抱きしめた。
涙を流す男性があげた声は、泣き声どころではない。絶叫だった。
14年ぶりに誘拐事件が解決
本日12月6日午後、中国中央テレビが報じたニュース。それは、14年前に広東省の深圳で息子を誘拐された両親が、行方知れずとなっていた息子との再会を果たした瞬間だった。
私は、このニュースを涙なくしては見られなかった。なぜなら、少年を抱きしめて絶叫した男性、即ち誘拐された息子を探し続けた父親を、私自身が過去に取材していたからだ。
孫海洋さんの息子、当時4歳の卓君が行方不明になったのは2007年10月9日。孫さんは、一旗上げようと、深圳で小さな饅頭店を開いた。店の仕事に忙殺され、仮眠をとっている間に、店の外で遊んでいた卓君が、行方不明になってしまったのだ。午後7時頃だった。
後に近くに設置されていた防犯カメラに卓君と見られる少年と不審な男性が一緒に映っていることなどが分かった。卓君は、その男に誘拐されたものと見られたが、警察の出足は遅く、当初、事件としてまともに取り合ってもらえなかったという。孫さんは憤慨していた。
息子を探し続けた父
それから孫さんは、情報提供を求めるチラシを作って尋ね歩いたり、他の誘拐の被害者家族と連絡を取り合ったりなどして、自ら息子を探し始めた。
私が、孫さんを取材したのは、2014年。
息子を探し続けてすでに6年以上が経ち、孫さんは40歳になっていた。その時でも息子を見つけ出せると固く信じて気丈に振る舞っていたが、あてもない捜索に奔走する生活に疲れ切っていたのか、「中国は広すぎます」と、ほんの少しだけ弱音を吐いた。
中国では児童誘拐が多発している。その理由の一つに、長く続いた一人っ子政策があったとも考えられる。また、女児よりも男児の誘拐が多いことから、特に農村などに根強く残る「男尊女卑」の考え方も無関係ではないかもしれない。男の子に恵まれなかった家庭が、男の子を買うというケースが実際にある。
映画のモデルにも
息子を自ら必死で探す孫さんの姿は、中国で児童誘拐を扱った映画のモデルにもなった。日本では「最愛の子」のタイトルで公開された。
それゆえに、今回の孫さん親子の再会劇が、警察のお手柄として、中国でも大々的に報じられたのだろう。警察は9月から11月の間に、孫さんの事件を含む広東省で十数年前に起きた3つの誘拐事件を解決し、9人を逮捕したという。
すでに高校生になった息子の卓君は、育ての親の家庭で、自らの出自について知らされていなかったという。中国中央テレビが報じたインタビューの中で、卓君は「2人の姉や育ての親もとても良くしてくれた」と話している。卓君の屈託のない様子や、綺麗な家具が揃った勉強部屋などから、大きな不自由のない環境で、大事に育てられたであろうことは想像できた。
誘拐事件は一応、解決したわけだが、時間が経ち過ぎてしまった。14年の月日は戻せない。当事者たちの今後の生活には、苦痛や困難が伴うかもしれず、単純なハッピーエンドではないのかもしれない。だが、息子の手がかりが全く掴めず、焦燥する孫さんが、当時話していた言葉を思い出した。
必ずしも子供を取り戻したいのではない
「(子供を誘拐された)親たちは必ずしも子供を取り戻そうとしているわけではないのです」
そう言った上で、孫さんが続けた言葉の意味を、今一度噛み締めた上で、今回、事件が一応解決し、孫さんの不安に苛まれ続けた日々に、終止符が打たれた事実は、素直に喜んであげたい。
「願っているのは、子供が良い家庭で暮らして、学校にも行って、怪我をさせられたりしていないことです。もし私の息子を買った人がいたとしても、『息子を買いましたよ。ここにいてちゃんと生きていますよ。良い生活を送っていますよ』と教えてくれれば、それだけでもいいのです」