東京新聞 望月記者の出版記念でサプライズ「きのうの敵はきょうの友やね」
保守と革新、敵対関係にあった二人が、思想信条を乗り越え固い握手を交わしました。13日、大阪市で行われた東京新聞、望月衣塑子(いそこ)記者のトークイベントでのこと。なぜこうなったのでしょう? その前に、このイベントのことからご紹介します。
記者クラブの“知る権利”!?
望月記者はこのほど新著を出しました。その発売を記念して大阪で開かれたトークイベントで、望月記者は驚くべき話を明かしました。
菅義偉官房長官の定例会見で、事実誤認の質問や問題行為があるとして、首相官邸が内閣記者会(官邸クラブ)に申し入れの文書を送った問題。望月記者のことを指すことは明らかで、「記者の質問を制約している」と批判も上がっています。
この話題に触れた望月記者は、官邸クラブ内のある記者が他の記者に述べた発言として、次のように紹介しました。
「これは国民の知る権利と、我々記者クラブの知る権利と、どちらが優先するかという闘いなんだ」
…そもそも記者クラブの“知る権利”なんてあるのでしょうか? 記者が取材するのは国民の“知る権利”に応えるためのはずです。国民の知る権利より、自分たちの仲間内の都合を優先するという、本末転倒の発言です。
この発言について私が直接見聞きしたわけではなく、本人に確認もしていませんから、社名や個人名を明かすのは控えます。しかし、もしも本当にこのような発言があったのだとすれば、それは記者としての資格を自ら放棄したとしか言いようがありません。
記者同士の連帯を示してくれた望月記者
この日のイベントで登壇したのは、望月さんのほかに思想家の内田樹さん、そして私です。内田さんは本の中で対談を行っていますから当然ですが、私はなぜ登壇したのか? それは私が望月さんに助けてもらったことがあるから。その恩返しとして、そのことを紹介するために登壇しました。
私はNHKで森友事件の取材にあたっていましたが、政権に都合の悪い特ダネに対し様々な圧力を受けました。最後は記者を外されることになり、記者を続けるためにNHKを辞める決意をしました。その時、望月さんは私の境遇に共感して、転職先の候補を紹介してくれるなど、手をさしのべてくれたのです。
朝日新聞の南彰記者(新聞労連委員長)も同様でした。彼らは利害を超えて記者同士の連帯を示してくれたのだと思っています。そのことをこの日の会場で紹介しました。
ところで望月さんの新著は《「安倍晋三」大研究》。私が退職の経緯などを記した本は《安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由》。どちらも安倍首相の名前が付いています。そんなところにも不思議な縁を感じます。
“あの”お二人がサプライズ登壇「きのうの敵はきょうの友」
イベントもそろそろ終盤というところで、司会者が「ここでサプライズゲストがいらっしゃいます」と宣言。舞台の脇から登壇したのは、籠池泰典さん。言わずと知れた森友学園の前理事長です。
「どうも日本はマズいことになっています。75年ほど前、大東亜戦争のような統制の世になってきている。歴史は繰り返します。統制も繰り返します。安倍さんのおじいさん(故岸信介氏)が東条内閣の商工大臣をやっていた時のようにね」
「皆さん、安倍首相にだまされてはいけませんよ。まあ、最初にだまされたのは僕やけどね(爆笑)。だまされたと言うより、たぶらかされたんやけど」
ここでもう一人のサプライズゲストが登場。共産党の元衆議院議員、宮本たけしさんです。宮本さんは国会で森友事件追及の急先鋒に立ち、証人喚問で籠池さんを問い質したこともありますが、籠池さんとこういう形で会うのはこれが初めてです。思想的に対極にあった二人が壇上で手を取り合いました。
宮本さん「この方と握手する日が来るとは思ってもいませんでした」
籠池さん「きのうの敵はきょうの友やね」
かつて敵対した二人の固い握手に、会場から大きな拍手が送られました。
イベント終了後、宮本さんは、籠池夫妻としばらく言葉を交わしました。そこで諄子さんに「いい本でしたよ」と声をかけました。諄子さんが逮捕起訴され勾留中、弁護士に書いた手紙をまとめた本を読んでいたのです。その名は《許せないを許してみる 籠池のおかん「300日」本音獄中記》。一方、籠池さんは宮本さんが4月に大阪12区の補欠選挙に出た際「宮本さんしかいない」と応援を公言しています。二人は互いにエールを送り合う関係になったのです。