おお!右派雑誌『WiLL』分裂騒動はついに第2幕に移ったか
2冊の雑誌が送られてきた。4月26日発売予定の『WiLL』6月号と、飛鳥新社から花田編集長が創刊した『月刊Hanada』だ。『月刊Hanada』という誌名はなかなかすごいが、本人の手紙が入っており、こう書いてあった。「タイトルはちょっと図々しくて照れますが、なかなかいい出来です(自画自賛体質は変わりませんね)」
発売前だから内容の詳細は書かないが、既に明らかになっていた通り、『WiLL』の連載はそのまま『月刊Hanada』へ移行。しかし、では『WiLL』の方はどうかというと表紙に櫻井よしこさんの写真があり、執筆陣もここれまで通りの右派論客だ。まあこれまでの『WiLL』のような雑誌が2冊になったというわけだ。しかも発売日も同じで市場を食い合うことになる。今度の号は話題になるから両方とも売れるだろうが、問題は今後、この市場が果たして2冊分あるくらい大きいものなのかということだろう。書き手もかぶっているし、いったいこれからどうなるか興味深いところもあるが、この分裂騒動、意外ときちんとレポートしているところがないので、発売中の月刊『創』に書いた記事をここに転載しておこう。今回の分裂の背景がわかるはずだ。
取締役を解任された花田編集長
右派雑誌『WiLL』をめぐって分裂騒動が起きている。
3月18日付で同誌発行元「ワック」(鈴木隆一社長)は、『WiLL』編集長でもあった花田紀凱常務取締役を解任。花田さんは、取締役会も開かない一方的な解任は認められないとしている。
結果的に、花田さんと『WiLL』編集部全員がワックを退社。飛鳥新社から新雑誌を発行することになった。一方、ワック側は今後も『WiLL』を発行し続けることを宣言した。しかし、花田さんは連載陣も含めて新雑誌に移行するとしており、双方から執筆陣への働きかけがなされているようだ。
花田編集長が編集した最後の号となった『WiLL』5月号では、誌面では何の説明も行われていないのだが、定期購読者や関係者には雑誌とともに「ご報告」という文書が送られた。そこには花田編集長に代わって、『歴史通』編集長の立林昭彦さんが新編集長に就くことが説明され、こう書かれていた。
《立林新編集長は文藝春秋在職中に『諸君!』編集長をつとめ、硬派の雑誌を8万部にまで伸ばし、その後『文藝春秋』編集局長を歴任したベテラン編集者です。もとより『WiLL』の編集方針は変わりません。》
あらかじめ説明しておくと、花田さんは、かつて『週刊文春』編集長として辣腕(らつわん)をふるい、業界では有名な人だ。またワック社長の鈴木さんは元新潮社の編集者で、『WiLL』は鈴木さんの会社に花田さんが入って2004年に創刊した雑誌だ。
今回の分裂騒動で、今後はワックから『WiLL』が、そして飛鳥新社から『WiLL』と似た新雑誌が発行される予定だ。『WiLL』は花田さんが創刊以来編集長を務めてきた雑誌で、右派言論界に一定の影響力を保ってきた。したがって今回の分裂は、右派言論人を巻き込んだ騒動になっている。
どうしてこういう分裂劇が起きたのか。その経緯を報告しよう。
実は筆者は花田さんとも長いつきあいだし、花田さんを解任したワックの鈴木社長とも、彼が新潮社にいた頃から面識がある。近年では、読売巨人軍をめぐるいわゆる「清武の乱」に際して清武英利さんと親しかったワックと読売新聞グループが激しく対立した時、『創』は鈴木社長のインタビューを掲載している。
今回、もちろん鈴木社長にも詳しい話を聞こうと取材申し入れを行ったが、既にこの件は弁護士に任せているとして文書でのやりとりとなった。
また一方の当事者である花田さんには、実は3月24日に呼ばれて詳しい事情を聞くことになった。花田さんは、櫻井よしこさんらが運営している「言論テレビ」というネット放送で毎週、『花田編集長の右向け右!』という番組を持っており、その25日夜の放送で「『WiLL』場外論戦」というテーマを扱うので、インタビュアーを務めてくれないかというのだった。私は3月4日の放送にもゲスト出演しており、中立的な立場で花田さんから経緯を聞き出すという役割で呼ばれたのだった。
その番組で花田さんはかなり詳しく騒動について話したのだが、その内容をもとにここで経緯を書いていこう。もちろんワック側は、花田さんの説明とは別の解任理由を公表しているので、それも後で紹介する。
昨年8月に突如、退社通告
まず3月18日にワックは株主総会で花田さんの解任を決めたというのだが、花田さん自身はそれをどう聞かされたのか。24日の番組収録時の説明はこうだ。
《先週の日曜日、会社に片付けに行きましたら、いきなり鈴木社長が紙を持って「花田さん、取締役会で解任になりましたから」と言うんです。「どういう理由ですか?」と言ったんですが、はっきりわからない。「その紙をコピーとって下さいよ」と言いましたが、「それは弁護士事務所から送られますから」と。だから私はなぜ解任されたのか、いまだにわからないんです。しかも私は取締役だけれど、取締役会が開かれるという知らせもなく、そのまま解任です。》
会社に片づけに行ったら、という説明でもわかるように、その解任通告の前に既に花田さんはワックを辞めることになっていたのだが、その経緯の発端は昨年8月にさかのぼるという。本人の説明はこうだ。
《2015年8月26日、突然、鈴木社長が「花田さんが私のストレスになっている。だから部員一同を連れてどこかの会社に移ってくれ。何なら広告担当のMさんも連れて行っていい」と言ってきたんです。僕は青天の霹靂(へきれき)というか、びっくりしました。
実はその頃、鈴木さんは精神的にナーバスになっていて、言動もおかしなことがたくさんあったんです。そういうことがあったので、気が高ぶってそういうことを言っているのかもしれないから、僕はしばらく放っておいたんです。そうしたらまた何度もそういうことを言ってくる。「年内でどこか出版社を決めてくれ」と。移行には時間がかかりますからね。そうしたら「4月発売号をめどに替わってくれ」と。こういう話だったんです。
そう何度も言われるんじゃしょうがないなと。それで僕は、出版社にも知り合いが多少いますから、いろんな方に話をして、飛鳥新社の土井尚道社長がぜひということで決まりました。
決まったものですから、12月の初めに鈴木社長に報告したんです。飛鳥新社という名前はその時は出さずに、「ある出版社に決まりました」と。すると、いきなり鈴木さんは「花田さんもその出版社の社長もビジネス感覚がないね」と言うんです。まあ実際僕はビジネス感覚はないんですけどね(笑)。
鈴木社長は「私はタダで持って行けとは言ってませんよ。そんな虫のいい話がありますか」と言う。「売る」と言うんですよ。「売ると言ったって鈴木さん、あなた出てってくれと、しかもしつこく言ってきたから私は探しただけだ」と。その間に売るなんていう話は一度も出ていませんでした。「そんなことは聞いてない」と言っても「それじゃビジネス感覚がない」と、この一点張りです。
「じゃあ念のために伺いますが、いくらで売るんですか?」と訊いたら「5億円だ」と。今の出版大不況の中で、5億円も出して私と4人の編集部員とDTP担当1人を入れた5人を引き取って雑誌を継続しようなんていう出版社はないですよね。だから「そんなところないですよ。だったら鈴木さんが探して下さい」と言ったんです。》
《そのうちにいつの間にか、5億円という話は曖昧(あいまい)になってしまいました。一方で飛鳥新社には既に話はしているから、そちらはそちらで進んでいくしかない。それで、ワックで仕事をしながら飛鳥新社とも話を進めていました。一応5月号まではワックでやるということになっていたので、それまでは私は淡々と雑誌を作ろうと。よしんば別れることになっても、泥仕合ではなく淡々と別れましょうということはしきりに言っていて、その時は鈴木社長も「そうしよう」と言っていたんです。だけど、だんだん鈴木社長の言動もおかしくなるし、言っていることもエキセントリックになってきたんです。》
「私のストレスだ」と社長が語った意味は
昨年8月に鈴木社長から「花田さんは私のストレスだ」と、辞めることを申し渡されたのが騒動の発端なのだが、「私のストレス」とはどういうことなのか。花田さんの説明はこうだ。
《あの会社で鈴木社長より年上なのは私だけでした。ワンマン会社だから、他の連中は異常なことがあっても何も言えないんです。これまでにも次々と社員を辞めさせてきました。でもそういうことについて、おかしいとか変だとか、誰も言えないんです。ところが私は多少言える。
私は経営能力はないから、経営に関しては何も言わないようにしてきたんだけど、この10年間で、鈴木社長が営業ですね、広告。私が編集。そういう分業でやってきた。時には鈴木社長がいろいろ言ってくることもありましたが、私はそれがいいと思えばやったし、そうでなければ従わなかったんですよ。そういうことが、ワンマン社長の彼にとっては面白くなかったのかもしれません。》
そういうなかで騒動の遠因となったのは、鈴木さんが病気を患って入院したことだった。
《僕が言っていたのは、もし鈴木さんに万が一のことがあったら、この会社はたちまち立ち行かなくなる。そうしたら30人近い社員とその家族が路頭に迷うことになる。だから、鈴木さんが信頼できる人、どこかの会社のOBでもいいし、経営がわかる人を連れてきておいて、顧問でも社長でもいいですが、置いておかないと、万が一の時に大変になる。そう何度も言ったのです。でも彼は全然聞かない。そういうことがきっとストレスと言えばストレスだったのかもしれない。さっき言った編集のこともあるし、病気になってからそういうことを言ったのも嫌だったのかもしれない。でもそういうことを言えるのは僕しかいないわけですよ。他は全員年下で、言うことを聞かざるをえないわけだから。》
花田さんは鈴木社長の人事や采配がどうおかしくなっていったかを具体例をあげて細かに説明しているのだが、その詳細は割愛しよう。結局、花田さんはワックを辞めることを決意するのだが、もしかすると鈴木社長の誤算だったのは、花田さんだけ辞めるかと思っていたら、編集部が一緒に移籍することになったことだったかもしれない。
編集部員全員が辞表を提出
《鈴木さんから「編集部員を連れて出て行け」と言われた後に、僕は若い編集部員と相談したんです。こういうふうになった、私は出て行かざるをえないが、あなたたちはどうする?と。そしたらみんな「一緒に辞めます」と。それで私が一応上司だから、3月いっぱいで辞めるというみんなの退職願を預かって、鈴木社長に渡したわけです。》
《編集部員には編集部員の考え方がある。鈴木さんと近しい人もいたし、僕とずっと長い人もいた。だからいろいろ考え方はありますよね。だからそれは彼らの判断なんです。「私は残ります」と言われたら僕はしょうがないわけです。だから部員に説明して訊いたら「私たちも辞めます」ということになった。鈴木社長は少なくとも一人くらいは残ってくれると思っていたんじゃないでしょうか。》
《結局、編集部員は全員辞めたわけです。それからずっと担当だったDTPも辞めた。『歴史通』の編集長を建前上の編集長にして、部員は誰もいないんだけど慌てて募集しています。でも集まったにしても、それをまとめていく役がいませんから難しいでしょうね。というか、私は筆者の方々にはお話して、連載は全部持って行くんですから。》
花田さんとしてはもちろん『WiLL』という雑誌に愛着があるし、できれば雑誌そのものをもって移籍し、『WiLL』を編集発行し続けたかったのだろうが、ワック側が了承しない限りそれは難しい。
《『WiLL』はロゴも私が考えたし、タイトルもiは小文字にするというのも私が考えた。それから私は『LIFE』という雑誌が好きなんだけど、あれを真似て赤地に白抜きにしたし、文字の太さも同じようにした。だからすごく愛着はありますよ。だからそれでやらせてくれと頼んだのです。》
《別れるにしても11年間苦労してやってきたし、僕も最後じゃなくなっちゃったけど、最後の場を与えてもらった。だから鈴木さんに恩義は今でも感じているんです。だから少なくとも泥仕合はやめましょうと。そう言っていたにもかかわらずこういうことになって、非常に残念なんです。》
ワック側が公表した花田さんの解任理由
さて、花田さんの説明は以上の通りだ。それに対するワック側の説明も紹介しておこう。3月28日にホームページで公開された「月刊『WiLL』読者の皆様へ」という文書だ。鈴木さんからは、その文書を公開したから見てほしいというファックスが28日当日、私のところへ送られてきた。
《読者の皆様より弊社取締役花田紀凱氏の解任の理由が十全には理解できないとのご質問を多数いただきました。個人情報への配慮、ならびに社内情報ということもありあえて公開することを控えておりましたが、結果的に説明不足になりましたことを反省致しております。お騒がせしたことをお詫びしつつ、改めて社としてご説明いたします。》
そう前置きしたうえで、解任理由が以下のように説明されている。
《はじめに、株主総会議事録から花田氏の取締役解任に関する部分を引用します。
「花田紀凱氏は当社の承認なくして、当社が発行する月刊誌『WiLL』につき、当社所属の編集部員全員を株式会社飛鳥新社に移籍させ、自らも編集長として同社に移籍し、『New WiLL』なる名称で平成28年4月以降『WiLL』に類似する月刊誌を株式会社飛鳥新社において発行させようと企て、当社の取締役在任中に人材の勧誘その他の準備作業を行っている。かかる行為は、明らかに取締役の競業避止義務並びに善管注意義務及び忠実義務に違反する行為である。
よって、同人を取締役から解任すべく議場に諮ったところ、満場一致をもって賛成可決されました。」》
《次に花田氏がこうした行動に出た背景につきご説明いたします。一言でいえば会社の経営方針に従わないこと。業務命令違反です。
一、まず、際限ない増ページについて。『WiLL』は特別号を除いて256ページが適正頁ですが(最初は240ページ)その後、増ページが常態化しピーク時には334ページに膨らみました。およそ100ページ増です。当然印刷費、用紙代はもとより、原稿料等も嵩み雑誌の収益を圧迫したのです。金額にすると年間約三千万円以上の損失になりました。
編集の内容でみれば、本来の『WiLL』にそぐわないエンターテイメント系の連載が増えつづけました(AV監督の人生相談、爆笑問題の対談、等々)。》
《一、編集経費について。年間、千五、六百万円をほぼ花田氏が一人で費消していたので、削減を申し入れました。しかしながらこれもまた聞き入れられませんでした。媒体の性質にもよりますし、花田氏は役員でもあるのでプラスアルファ分をみてもその二分の一が小社の適正範囲と考えます。》
《一、他業と本業とのバランスを欠く。花田氏はWeb番組のレギュラー番組二本、紙媒体のレギュラー連載数本を持ち社外で活躍していますが、ここにきて社でその姿を見かける機会が減り簡単な打ち合わせにも不便を感じさせるほどでした。まったく報告のない週もありました。社長ならずとも本来の社業は大丈夫かと思わせるほどでした。
以上が解任にいたる経緯です。》
内容の一部は割愛した。
妙に細かい説明もあって、そんなことで解任になるのかと思われる部分もあるが、鈴木社長にしてみれば、そういうことが積もり積もって「私のストレス」になったということなのかもしれない。
この騒動を最初に報道したのは産経新聞なのだが、その2月26日の「『WiLL』花田編集長が飛鳥新社に移籍、新雑誌創刊へ」という記事では、花田さんが「ワックとは編集方針の違いがあった」とコメントしていた。本人に聞いてみると「編集方針の違いなんてないんですが、あの時はそう言わざるをえなかった」というのだが、今回の分裂に方針の違いという問題はなかったのか。改めて聞くと花田さんはこう答えた。
「鈴木さんと路線の対立は全くないですよ。両方ともちょっと右寄りですから」
「いや、ちょっとじゃないでしょう」と私は返したのだが、むしろ編集方針の対立である方が、この騒動は議論の対象になったかもしれない。
この騒動、現時点で決着はついていない。同じような雑誌がふたつ発行されることも含めて、混乱はまだしばらく続きそうだ。