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海難が多発する「魔の海域」がなくなった理由

饒村曜気象予報士
救命浮き輪(写真:アフロ)

海難事故はどこでも発生する可能性がありますが、とくに多く発生する海域のことを「魔の海域」といいます

房総半島沖(野島崎沖)には「魔の海域」がありました。

ここでは、昭和44年に「ぼりばあ丸」、昭和45年「ソフィア・P号」「アントニオ・デマデス」「かりふぉるにあ丸」という大型船が相次いで沈没したからです。

複雑な波となっている魔の海域

大西洋のバミューダ沖や太平洋の房総半島沖といった、大きな海の西側で、近くの陸地がL字型になっている海域では、海の西側特有の速い流れに加え、同時に南西からの波と南からの波が入って複雑な波となっていることが多いことから海難事故が多い海域です。

つまり、「魔の海域」といわれてきました。

図1 魔の海域での船舶の遭難地点
図1 魔の海域での船舶の遭難地点

昭和44年と45年に相次いだ冬の海難事故

昭和45年は、1月5日夜にタンカー「ソフィア・P号」が房総半島沖(野島崎沖)で20メートル位の波、それも、全く違った方向からきた波によって真っ二つになっています。翌日分裂した船は沈没し、船長以下7名が行方不明となっていますが、船尾にいた乗組員22名が救命ボートで脱出、1分半ほどで分裂した船の様子を証言しています。

翌2月は、7日に貨物船「アントニオ・デマデス」、9日に鉱石船「かりふぉるにあ丸」が同じ海域で相次いで遭難・沈没しています。

このため、前年1月5日の鉱石船「ぼりばあ丸」の遭難・沈没と相まって、房総半島沖(野島崎沖)が「魔の海域」として注目を集めました(図1)。

これらの遭難は、強い寒気の吹き出しに伴って、低気圧が急速に発達した後面(西側)に、再度新鮮な寒気が入ってきたときにおきています(図2)。

図2 ソフィア・P号が遭難したときの地上天気図(昭和45年1月6日9時)
図2 ソフィア・P号が遭難したときの地上天気図(昭和45年1月6日9時)

無くなった「魔の海域」

現在は、苦い海難の教訓から造船技術の改良が行われ、世界中の海域で様々な気象や波の実況や予報が提供されています。

そして、気象や波の予報についても、予報精度が向上し、利用技術もあがっています。

波が高いといっても、それが予想できれば、多少時間と燃料がかかっても、迂回して進む、波がおさまるまで待機するなどの運行形態を変更することで海難は防げます。

つまり、「魔の海域」は無くなったのです。

しかし、「魔の海域」ではなくなっても、海難事故の起きやすい海域であることには変わりがありません。

常に気象や波のなどの情報入手に努め、運行形態を絶えず見直す必要がある海域なのです。

油断できない海域なのです。

図の出典:饒村曜(1999)、イラストでわかる天気のしくみ、新星出版社。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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