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「ノーパンしゃぶしゃぶ」と「胸さわっていい?」を許す残念な組織

河合薫健康社会学者(Ph.D)
(写真:アフロ)

財務省の福田淳一事務次官が24日、自身のセクハラ疑惑を受けて辞任した。

財務(旧大蔵)省の事務次官が辞任するのは、「ノーパンしゃぶしゃぶ」などが問題となった

1998年の大蔵省接待汚職事件以来となる。

「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは、ミニスカートにノーパン姿の女性店員が接客をするしゃぶしゃぶ料理店のこと

ノーパンしゃぶしゃぶ事件(大蔵省接待汚職事件)に関わった官僚が、接待を受けていたのだ。

この事件では佐川氏と同期だった証券局の課長補佐が収賄容疑で逮捕。3人の自殺者も出た。

事件の経緯はこうだ。

総会屋の人物が証券会社の株を大量購入し、大株主の立場を利用して、不正取引を要求。

総会屋の株購入資金の出所が第一勧業銀行(当時。現みずほ銀行)であることが判明した。

当時、「MOF(Ministry Of Finance)担」と呼ばれる銀行幹部社員がおり、彼らは大蔵官僚に対する接待の担当者だった。

大蔵官僚は接待の見返りとして、第一勧業銀行など大手銀行への検査に手心を加えていたのである。

そこで注目されたのが、大蔵官僚への接待の舞台だった「ノーパンしゃぶしゃぶ」。

女性がミニスカ、ノーパンの店を接待に選んだ理由は、

「通常の風俗店と違い、飲食費として領収書を落とせる」

というものだった。

私も含め、女性たちの多くはそんな店があることを知らなかったので、かなりショックを受けた。

しかも、大蔵省。わが国のエリートたちが、そういった店での接待を喜び、領収書で落としていたとは、空いた口が塞がらなかった。

【ハレンチ事件が続く理由】

アレから20年。

今度は“事務次官”自身が、「おっぱいさわっていい?」「腕しばっていい?」といった、下品極まりない言葉を発し、辞任。当人はセクハラを否定しているけど、ノーパンしゃぶしゃぶ事件の頃と、全く財務省のメンタリティは変わっていない。

「世間とズレている」と批判されても、全く響かない。

なぜなら、彼らの「文化」では、いかなる“言葉遊び”も、いかなる“ハレンチな状況”も、全く問題なし。仕事の場で女性に「性的なまなざし」を注ぐことに違和感がない。

「なんで? 何が悪いの?」ーー。そう思っているから、口を開く度に信じ難い発言がポロリと出る。官僚だけでなく、政治家も一緒。

「ある意味で犯罪だ」(by 下村元大臣)

「はめられた」(by 麻生財務大臣)

さらには、批判を受け謝罪した下村元文部科学大臣は、

「日本のメディアは日本の国家を潰すために存在しているのか」

とも述べたと報じられている。

いったいなぜ、エリートたちは懲りもせず、意味不明の言動を繰り返すのか?

理由はシンプル。

だって人間だから。

人間は観念の動物であり、自分で解釈を変えることもできれば、見えてい るものを見えなくすることもできる。

自分たちの“当たり前”を、批判されたところで痛くもかゆくもないのである。

【赤のスペードがハートに見える?】

トランプに「赤のスペード」と「黒のハート」を混ぜ、ほんの数秒だけ見せて「なんのカード だったか?」を聞くと、ほとんどの人が「黒のハート」が「スペード」に見えるとした実験がある(トーマス・クーン「科学革命の構造」)。

黒のハートの4を見せると「スペードの4」と答え、赤のスペードの7を見せると「ハートの7」 と答える。

このカードの実験は、米国の教育心理学者ジェローム・セイモア・ブルナー博士が行ったもので、ブルナーは「人の知覚」に関する研究に生涯を捧げた研究者である。

心理学における「知覚」とは、「外界からの刺激に意味づけをするまでの過程」のこと。

例えば熱いお茶を飲んだ時に、皮膚が「温度が高い」という情報を受け取り、それに対して「熱い」という意味づけを行うまでの過程が知覚だ。

しかしながら、同じ80度のお茶を飲んでも、その「熱さ」の感じとり方は人それぞれ。

猫舌なんて言葉があるのもそのためである。

先のカード実験でいえば、本来、「黒のハート」は「黒のハート」として見えるはずだ。

ところが“心”は「ハートは赤く、スペードは黒い」と信じ込んでいるので、「黒のハート」 を「黒のスペード」と知覚する。

なんともややこしい話ではあるが、私たちは目の前に存在する絶対的な物体でさえ、視覚機能を無意識にコントロールし、能動的に見る術を持っているのだ。

その理由について、ブルナー博士は次の言葉で説明した。

「心は習慣で動かされる。知覚とは習慣(=文化)による解釈である」と。

職場にはびこる数々の意味不明においても、「知覚とは習慣(=文化)による解釈」であり、 「心が習慣」で動かされていることが深く関係している。

権力が集中し何をやっても許される「文化」、男尊女卑の「文化」ーー。そういった残念かつ時代錯誤の文化が、霞ヶ関に根付いているのだろう。

どこまでも深く、マリアナ海溝より深く、だ。

そして、若いときは意味不明を嘆いていたヒラ社員でさえ、階層社会の階段を昇るうちに、高い知識やモラルが育まれる一方で、怠惰、愚考、堕落などのマイナス面も同時に生じ、習慣に適応する。

残念な文化、残念な職場……、そして、“意味不明”の世界に埋没し、残念な人になっていくのである。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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