コロナ禍での東京五輪をめぐる「官邸と皇室の暗闘」なるものをどう考えるべきか
東京五輪はいろいろな課題を残した形で閉幕となった。議論すべきことは多いが、ひとつ気になるのは、「コロナ禍での五輪開催」をめぐって首相官邸と皇室の間に認識の違い、確執が目についたことだ。そもそもが菊のカーテンの向こう側の話だから正式発表があるわけでなく週刊誌などがやや曖昧な指摘をしただけに終わってしまっているのだが、大事なことなので現時点で少し整理をしておきたい。
『女性セブン』は「暗闘30日」と見出しに
この問題を大きく取り上げたのは例えば『女性セブン』8月12日号で、見出しがすごい。「雅子さま『東京五輪毅然たる欠席』までの暗闘30日」。
開会式を雅子皇后が欠席したことについていろいろなことが言われているのだが、ここではそれを「毅然たる欠席」、つまり明確な意思表示があったと指摘している。さらにそこに至る一連の経過を「暗闘」と表現しているのだ。つまり認識の違いとかいうレベルでなく、官邸と皇室の間に明らかな「闘い」があったというわけだ。
皇后の開会式欠席について、記事中で宮内庁関係者がこう証言している。
「雅子さまを”外交のキーマン”と見ている官邸は、天皇皇后両陛下でのご出席を望んでいました。ですが、”国民不在”の五輪に雅子さまが出席されれば疑問の声が上がりかねない。”国民に寄り添う”両陛下の姿勢ともかけ離れます」
官邸は出席を望んだが、皇室が拒否したというのだ。
さらに「暗闘」の中身について記事中で官邸関係者がこう証言している。
「『無観客開催』『開会宣言の文言変更』『雅子さまのご欠席』、これら3つが、陛下が出席されるにあたっての”条件”だったのでしょう。菅総理がそれらの注文をのみ、なんとか陛下のご出席が実現した」
皇室は3つの条件を示して暗闘がなされ、官邸がそれをのんだことでようやく開会式への天皇出席が決まったのだという。
ただこの見方については、どの程度信ぴょう性があるのかわからない。皇后の開会式欠席については、例えば『女性自身』8月10日号は「雅子さま体調急変に天皇陛下の感染危機!」と題する記事で、開会式欠席の理由として「実は、雅子さまの体調が思わしくないようなのです」という別の見方を紹介している。
この問題については『週刊朝日』8月6日号も「天皇陛下ワクチン接種1回で開会式臨席、雅子さま欠席の”おもてなし”皇室の真意とは」と題して取り上げている。ただ皇后の欠席が背後にどういう事情があったのか、確かなことはよくわからない。
開会宣言に総理が最初起立しなかったことも物議
ちなみに『女性セブン』の記事では、「暗闘」の流れのひとつの現れとして、開会式で天皇が「開会宣言」を行った時、当初菅総理がぼんやりとして起立せず、小池東京都知事が目くばせしながら席を立ったのを見て慌てて立ち上がったという話を書いている。
これについて組織委員会は7月27日、起立を促す場内アナウンスが流れなかったことに起因する混乱と説明したのだが、「菅総理が皇室を軽んじている証左だ」という見方があることも同誌記事では指摘されている。
発端は宮内庁長官の「拝察」発言だった
そもそも官邸と皇室の間に「コロナ禍の五輪開催」をめぐって認識の違いが明確にあることを最初に示したのは6月24日の宮内庁長官による「拝察」発言だった。
「五輪開催が感染拡大に繋がらないか陛下がご懸念されている、ご心配であると拝察している」というものだが、その後の記者との質疑で「拝察」をめぐって、それはオフレコでなく公式発言かといったやりとりがなされた。長官はそれに対して「オンだと認識している」と明確に答えている。天皇の意向が反映された「拝察発言」だったことは明らかだ。
背景として指摘されたのは、その会見の2日前に、菅総理が天皇に国政について報告する「内奏」があったことで、経緯を考えれば、その内奏で示された菅総理の見方に、天皇が明確に懸念を表明したということになる。これはなかなか重たい事実だ。
『週刊新潮』7月8日号で匿名の記者がこう語っている。
「陛下が総理の報告にご不満を覚え、何がしかの見解を示されたように感じます」。
そして問題なのは、もともと西村泰彦長官は警察官僚出身で、前の天皇つまり現在の上皇が「退位会見」をしたという経緯に危機感を抱いた当時の官邸から宮内庁に“お目付け役”として派遣されたと言われている。
官邸から皇室を監視する人間として派遣されたその宮内庁長官による、官邸批判ともとれる「拝察発言」だっただけに波紋を広げたのだ。
青木理さんの大胆な見解
これについても、果たして長官発言はどのような背景と思惑でなされたのか諸説飛び交ったままだ。
例えばジャーナリストの青木理さんは『サンデー毎日』7月18日号のコラムで「『拝察』の眺め方」と題して、かなり大胆な見方を披露している。元警察官僚である長官が宮内庁に送り込まれた経緯を考えれば、政権に無断で「拝察発言」を行ったことはありえない。「政権側とも十分に事前調整し、ある種の落としどころとして『ご懸念を拝察』することにした」というのだ。
つまり「拝察」発言は官邸との出来レースだったという見方だ。
これも真偽はわからない。ただ、こういう問題に詳しい青木さんの見方だけに気になるところだ。
「祝う」を「記念する」に変えた天皇の意思
もうひとつ、天皇の7月23日の開会宣言で「祝う」という表現が「記念する」と変えられたことも大きな話題になった。
新聞やテレビは開会式終了後の報道からそれを指摘し始めたのだが、実は事前に関係者の間では問題になっていたようで、『週刊文春』は21日発売の7月29日号で指摘していた。
記事中で関係者がこう証言している。
「五輪憲章では開催国の元首が読み上げる宣言は一字一句定められており、原文にはcelebratingとあります。JOCによる訳は『祝い』ですが、原案は『記念する』となった。訳の範囲内のギリギリの変更で、祝意を回避されたのでしょう」
皇族のワクチン接種をめぐっても様々な指摘
記事の見出しは「開会式欠席 雅子さま 遅れるワクチンとお引越し」。お引越しとは天皇家の新御所への引越しのことだが、話題の中心は、雅子皇后のワクチン接種が遅れていることだ。
記事によると「天皇は七月六日に赤坂御所で一回目のワクチンを接種されたが、雅子さまは接種されなかったという」。
なぜ皇后だけ接種されなかったのか。宮内庁関係者がこう証言している。
「多くの国民よりも先に接種されることに抵抗があったのかもしれません。陛下は多くの賓客とお会いするためにやむを得ず早めに接種したのでしょう」
つまりワクチン接種をめぐっても、皇室は自分たちが特別に早く接種することが国民にどう受け取られるか気にするなどしているという説明だ。
ただ1回目を接種した天皇にしても、2回目は開会式に間に合わないスケジュールだ。『AERAdot.』は23日に「天皇陛下ワクチン接種未完了で五輪開幕 雅子さまは欠席の”おもてなし”皇室の真意とは」という記事を配信。その中で、開会式までに天皇の接種が完了しなかったことについて評論家の八幡和郎氏が「明らかにおかしい」と批判している。
恐らくいろいろ悩んだ末に様々な判断があったのだろう。
前出『週刊文春』記事で宮内庁関係者はこう付け加えている。
「苦渋の決断だったことがうかがえます」
このあたりも、コロナ禍については、皇室は絶えず国民の側に立っている。そこが菅総理とは違うという文脈で語られているわけだ。
大事な問題なのにほとんど報じられず
いずれにせよ、「コロナ禍の五輪開催」をめぐって官邸と天皇夫妻に確執ともとれるずれがあったことだけは明白だと思われる。問題は、その認識の違いがどのように表明され、それがどんな意味を持っていたかということだ。
もちろん天皇が自分の意志を表明することの政治的意味について言及する人もおり、話はなかなか複雑だ。
でもこの問題、かなり大事なことだと思うのに、新聞・テレビは断片的に取り上げるのみで、一連の経緯の検証もなされていない。皇室報道については、新聞・テレビは基本的に宮内庁の発表を伝えるのみで、取り上げるのは週刊誌のみなのだが、それゆえにというべきか、どこまで裏がとれているのか信ぴょう性のわからない情報が独り歩きする傾向がある。
ジャーナリズムのあり方をめぐる歪みがまさに皇室報道に集約されているのだが、これについては、もう少し何とかならないものかといつも思う。