首相がその辺を歩いてる国 北欧アイスランドの独特な選挙風景とは
「この国では政治家が身近な存在。首相はとても人気がありますよ。市民と同じアパートに暮らしているくらいだし」
そう話したのは、カトリン・ヤコブスドッティル首相が党首である政党「左派緑運動党」の人たちだった。
「首相が市民と同じアパートに住んでいて、洗濯機をシェアしている?」と私は困惑した。
私は北欧アイスランドの首都レイキャビクに選挙取材に来ていた。
火山やオーロラといった自然体験や、温泉やプール、ブルーラグーンなどの観光ではなく「投票率の高さの秘密」に関心があったのだ。
アイスランド国政選挙の投票率は基本的に80%を超える。
だが北欧の中でも未知な部分が多く、選挙現地の様子はノルウェーに住んでいても伝わってこない。
これまで北欧諸国の取材経験から私は「選挙は楽しめる」ということを発見してきた。今回、9月25日に総選挙が行われたアイスランドを初めて取材し、なぜ投票率が高いのか、その秘密を探りに行った。
まずは地元の人と会話してみよう。この国の選挙はどんな感じ?
私が北欧の地にたどり着いて、その国の選挙を初めて取材する時に、初日にすることは「街歩き」だ。空港から街へのバスの移動だけでも発見は多い。市内でどれほど「選挙の雰囲気」が出ているかを自分の目で確認する。
1日の街歩きを終えた私の感想は、「選挙の雰囲気、少ない!」だった。
他の北欧諸国では党員とおしゃべりできる祭りの屋台のような「選挙小屋」や街中に貼りまくってあるポスターを見かけるが、アイスランドではバス停などでポスターを見かけたくらいだった。
「この国は小さすぎて、政治家と市民の距離が近いから、ポスターに顔が掲載されているだけで十分よ」
そう答えたのは首都レイキャビクで国内唯一の猫カフェを運営する店長のギーヤ・サラ・ビョルンソンさんだ。
「バスに乗れば誰か知っている人がいて、みんな政治家ともどこかで知り合い。有名な政治家も街を歩いているし、市長は毎日カフェの前を通るわ。市民は限られた議員の顔は大抵覚えているから、街中に顔のポスターがあるだけで宣伝効果は十分なんじゃないかな」
しかし、政治家の顔だけでポスターに掲載する情報は十分となると、この国の市民の政治知識は高レベルということだ。
学校での政治教育、メディアの役割、選挙前から毎日政治についておしゃべりする文化によるところが大きいのだろう。
アイスランド版「選挙小屋」があったよ!
北欧諸国では選挙期間になると、各政党が同じ場所に集合して、様々なスタンドを設ける。
このような場所を総称して「選挙小屋」と私は紹介している。
だが、アイスランドにあったのは「選挙小屋」というよりは「選挙オフィス」だった。
北欧他国と違い、まず「複数の政党が同じ場所に集合していない」。つまり市民は各政党の公約パンフレットを一気に集めたり、同じ質問を次々と複数の政党にしたりすることは不可能だ。
オフィスはドアをノックするなどの行為が必要なため、よほどその政党に好奇心を抱いている人ではないと、訪れないだろう。
どちらかというと支持者や党員のための「おしゃべり無料カフェ」という側面が強い。
しかし、選挙が近づくと、「選挙オフィス」には投票先に迷っている人も訪ねやすいような工夫がされ「化ける」ことが後に判明した。
投票日はケーキ祭り? 地味に思われた選挙小屋の変化
「おとなしいな」と思っていたアイスランドの選挙小屋だったが、真の実力を発揮するのは、投票日だった。私はもう、本当にびっくりした。
投票日になると、選挙オフィスは無料のレストラン・カフェとなる。各政党のオフィスで「選挙を祝おう!」「セレブレーションだ!」と、みんなでケーキやコーヒーを大量に食べたり飲んだりしながら楽しくおしゃべりをするのだ。現地では「選挙コーヒー」と呼ばれている。
ケーキやお菓子の量が異常だった。しかも、大臣・議員・ボランティア党員らが、自宅で「手作り」するのが当たり前。お店で注文するよりも手作りが礼儀というのは北欧全体の傾向だが、忙しい投票日に政治家が手作りすることにびっくりした。
投票日には、まだ投票先を決めていない人も多いために、各党のパーティー会場を訪問して、コーヒーを飲みながら政治の質問をして自分の考えを固めるというのが恒例行事。現場には支援者、党員、首相、大臣、党首級の人もいる。多くの人が、「今日はお祝いだからね!」という言葉を口にした。
詩の朗読会!政治の話はしなくてもいい、文化イベントを企画
各党では、例えば、市民と党員でクイズ大会をする、コーヒーを飲んでワッフルを食べる、バーベキューをする、クラブを貸しきってお酒と音楽の夜を過ごす、読書会をするといったイベントが開かれる。
海賊党のイベントでは「詩の朗読会」があって、私は大きなカルチャーショックを受けた。しかも政治に関係ない詩を読んで感想を交換する集まりだという。さすが、本屋が多いことでも有名な読書と出版の国!
首相の所属する左派緑運動党では、クイズ大会の夜があった。投票日も、大手テレビ局は開票直前まで政治家が参加するクイズ大会を放送していたから驚いた。
イベントでは政党が無料でアルコールを市民にプレゼントする光景にもよく出会い、私はこれにも衝撃を受けた。ノルウェーやスウェーデンではありえない現象だ。
必ずしも真面目に政治の話をしなくてもいい。ほっと楽しく・くつろげる空間を市民に提供して、「何か聞きたければ質問してね!」という空気づくりをすることが重要なようだった。
大臣から電話がかかってくることも。名付けて「電話でおしゃべりの伝統」
選挙期間中に政党が市民に電話をするというのは他国でもあるが、アイスランドは北欧の中でも、この電話活動に頼る傾向が最も強い国かもしれない。
各政党に投票運動について取材していると、とにかく「電話」の重要性が語られる。大臣・党首などからも電話がかかってくることがあるそうだ。
北欧は全体的に平等を重んじる地域で、つまり「情報の透明度が高い=個人情報がだだ洩れ」となる。通信会社が市民の携帯電話番号のリストを企業や政党に売るのは当たり前なので、いろいろなところから勧誘の電話がかかってくる。
「私は4政党から電話がかかってきたわ!」「ちょうど質問があったから40分も長電話しちゃった」という市民にも取材中に出会った。
政党から電話がかかってくることは、この国では失礼でも驚きでもない。
自分の電話番号を販売対象にしない・非公開にすることを希望することはできる。それでもこの国では政党から電話がかかってくる。
「電話番号を非公開にしたって、無駄だよ。だって私の番号を政党が知りたいと思ったら、私の親戚とかに電話して聞けばすぐに分かるし。この国は小さいから、誰もが誰かの知り合いだよ」というのも取材中に何度も聞いた言葉だ。
小さいアイスランドでは「電話での会話が1票につながる成功体験の積み重ね」をしやすいと、多くの政治家が教えてくれた。
政党が投票会場までタクシーで送迎する伝統
これまたびっくりしたのが、この国では政党が投票日に市民を投票会場まで車で無料で送迎する伝統があることだ。政党が電話する際も、投票日に「もう投票しましたか?投票先に行く手段はありますか?私たちで車を手配しましょうか?」と聞くのは当たり前。もちろん投票後も家まで送ってくれる。
車内でおしゃべりはしても、市民がどの政党に投票するかを聞いたりはしない。「他の政党に投票するけど、自分が嫌いな政党に電話して投票先に運転してもらおう」という人もいるそうだ。
今年の選挙では全ての市民の自宅から徒歩10分圏内に投票会場が設置されたため、車を依頼する市民はとても少なかったという。それでも、各政党は「車担当の電話係」まで用意して、投票当日にSNSで「車が必要な人はこの番号に電話してくださいね」とアピールしていた。
大人気の首相は市民と同じアパートに住んでいる!?
投票率80%超えが当たり前な理由をカトリン・ヤコブスドッティル首相に直接聞いてみた。
「小さなコミュニティですし、民主的な権利に市民がとても意識的なんです。アイスランドでは政治に関心がある人も多い。このような高い参加率を保つことができて、私たちはとても幸運です」
「投票することは大事です。市民にとって最後の綱となる候補者が、国会の議席についている必要があります。それに政治家も市民からの強いメッセージを聞きたがっています」
ここで、気になっていたことを聞いてみた。
「アイスランドでは首相官邸がなくて、あなたは市民と同じアパートに暮らしていると聞いたのですが本当ですか?」
すると、「ええ、アイスランドは世界で一番平和な国ですから」という答えが返ってきた。
「洗濯室も住民とシェアしていますね。私はいつだって普通の市民として生活しています。自宅を購入しようと思うこともありません。部屋はありすぎず、物は持ちすぎずという暮らしが好きなんです」
選挙直前の公共局RUVが発表した調査によると、36%の市民がヤコブスドッティル首相に続投してほしいと回答している。実際に会ってみると、これまでの北欧の首相たちの中で圧倒的に親近感は湧きやすく、市民との距離の近さに納得できた。
がっかりすることもある。でも投票には行く
投票習慣が自然な形で引き継がれている国
アイスランドは2008年の金融危機で、国家が財政破綻の危機に見舞われた。2016年のパナマ文書の流失ではアイスランドの首相は辞任に追い込まれた。2つの事件は市民の政治への信頼を減退させ、アイスランド政治の風景を今も大きく変え続けている。
それでも「自分には何も変えられない」「投票には行かない」という考え方をしないのが、この国の怒り方だ。
今は市民の新しい居場所になろうと新しい政党が次々と立ち上がり、既存政党は影響力を失い、右派左派という垣根を越えての政権連立が必要とされている。
議席数が最多ではない左派緑運動党が連立政権の舵取りをしているのも、混とんとした国会で指揮をとることができるのがヤコブスドッティル首相だからだ。
投票日当日に、投票を終えた市民たちを取材したら「毎回投票する」という人も多かった。
投票を「義務」と表現する人や、「誰もが投票権を持っているわけではない」という言葉をみな口にしていて、投票先が決まっていなくても、投票会場に行くという意見が圧倒的に多かったことにも驚いた。
うん、政治家にがっかりすることもあるよ。でも投票には行こうね。時にはケーキやコーヒーを食べたり飲んだり、笑いながら政治の話をして、自分はどうしたいか考えていこう。
物語や北欧古典のサガのように、投票習慣も当たり前のように現在まで伝わってきたことを取材中に感じた。
「それでも投票はする」。厳しい自然環境の国で引き継がれてきた生存術ともいえるのかもしれない。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを一部負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】