ノーベル平和賞を動かした事情とは?知られざる舞台裏 ノルウェーでも驚きの声続々
核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞した。
日本でも大きく報道されていると思うので、筆者は違う視点で思いを書こう。
今回の受賞は、委員長が交代したこと、米国やNATOのリーダーとの関係の変化、被爆者の方々が地道な活動を丁寧に長年続けてきたこと、日本の若い世代が核廃絶運動を引き継いでいることが重なって実現した側面もあるだろう。
ノーベル平和賞を決めるのは、ノルウェー議会に選出された「5人」のノルウェー人だ。そして、「誰が委員長」で、「5人がどのような価値観や背景を持っているのか」、「5人を推薦したノルウェー政党の思想」は、選出に影響する。
なぜなら、選んでいるのは感情がある人間だからだ。
想像してみてほしい。もし、あなたが委員のひとりだったら、あなたの価値観はどれほど選考過程に影響するだろうか?
「委員長の交代」の度に、ノーベル委員会は新しく生まれ変わる
トルビョルン・ヤーグラン委員長の時代は、オバマ大統領やEUと物議を醸す授与が続き、公式な発表前に受賞者の名前が漏洩することもあった(これは暴露本を出した当時の秘書が関係していると言われている)。
当時のヤーグラン委員長に対する批判はノルウェー国内でも強く、その後のカーシ・クルマン・フィーベ委員長とライス・アンデシェン委員長の時代は、以前ほど物議が起きない「お利口な時代」に入った。その分、日本の被爆者が受賞する可能性は減ったと思われていた。
なぜなら米国の反感を買いかねないからだ。
巨大な国の反応を考えないことは、いかに難しいか
ノルウェーは小さな国であり、ロシアと近接しており、NATO加盟国でもある。そして、ノルウェーで人気のあるイェンス・ストルテンベルグ元首相がNATO事務総長でもあり、時にはトランプ大統領の時代でもあった。しかし、今はトランプ政権ではなく、最近、ストルテンベルグ氏も退任したので、数年前よりも「配慮しなければいけない」ことは少し減った。
え?ノーベル平和賞は国際機関による授与なのに、ノルウェーの事情がそんなに関与するのかって?もちろん、公式にノーベル委員会はそんなことは言わないだろう。
しかし、ヤーグラン委員長時代の騒動に、ノルウェー政府が「懲りた」のは本当だ。中国の人権活動家、劉 暁波氏に平和賞が授与されたとき、中国政府はそれから何年もノルウェー政府と国交が断絶状態にあった。
被爆者は常に有力候補であり続けた。しかし、この騒動から、ノルウェーの記者たちの間にも「米国のことを考えたら、難しいだろう」という見解が広がっていたのだ。
そこで、今年、新しい委員長が誕生した。
史上最年少の若きリーダー
ちょうど4月にインタビューした記事もあるので、こちらを見ていただきたい。
1984年生まれのヨルゲン ・ヴァトネ・フリドネスさんは、39歳で史上最年少の委員長として就任した。
そもそも、このイスは、ノルウェーの元首相や大臣など、ノルウェーでは誰もが知るような有名な元政治家などの名前が並ぶ。政治家などのキャリアにひとまず満足し、人生の後半に「座りたい」とノルウェーの権力者が「夢見るイス」といっても過言ではないのだ。そこに若い人が座ったことが、今年の受賞者に影響して「いない」なんて、筆者にはどうしても思えない。
新委員長の過去の仕事はなんだった?
2011年に極右思想のテロリストによって77名の命を奪った事件では、ウトヤ島で労働党の青年部の夏合宿に参加していた若者たちが銃乱射事件の標的となった。その後、フリドネスさんは、ウトヤ島で民主主義と平和を伝えるためのリーダーとコーディネーターをしていたのだ。
つまり、民主主義と平和のために生きていた若者に対する理解が非常に深い。
「労働党」は何を意味するのか
そして、彼はノルウェー最大規模の現在の首相が党首でもある「労働党」に推薦されて委員会のメンバーになった。核廃絶に熱心な政党のひとつが、この党だ。しかし、ストルテンベルグNATO事務総長がこの党の党首でもあったように、矛盾を重ねた政党でもある。
それでも、労働党では青年部の夏合宿に被爆者を招待するなど、この問題に対する関心は高い(ちなみにこの夏合宿もフリドネスさんが働いていたウトヤ島で開催される)。
もし、委員長が、中道左派ではなく、中道右派や極右の推薦者だったら、トランプ政権下だったら、被爆者の受賞はより難しかったかもしれない。
平和賞というのは、ノルウェー事情がどうしても絡むのが、現実だ。もちろん、委員会はそんなことは公式には認めないけれど!
未来には引き継ぐのは平和であり、核ではないというメッセージ
さて、若い委員長に、さらに新しい要素が加わった。「核なき世界」のメッセージを引き継いで活動をしている世界的なコミュニティと、日本の若い世代だ。記者会見でも委員長はこう話した。
オスロには被爆者の方々、そして高校生平和大使がよく足を運んできたが、その地道な平和を訴えるメッセージが実ったといえるだろう。
現地メディアも驚愕
最後に、平和賞の予測は、現地のノルウェーの報道機関の得意とするところだ。しかし、今回は誰もが「びっくりしました」と正直に述べている。
時代とリーダーが変わると、変化が起こる。そのことを改めて目の当たりにした日だった。