刑法学で有名な「一厘事件」―些事(さじ)は取り上げず―
刑法の授業で必ず登場する有名な事件がこの「一厘(いちりん)事件」であるが、聞いてみると最近は法学部の上級生でも知らない者が多いという嘆かわしい状況になっている。
現在は、葉タバコを原料とした「製造たばこ」の製造は日本たばこ産業(JT)以外には禁止されている(たばこ事業法8条)が、タバコの栽培じたいは自由化されている。しかし、かつては煙草専売法という法律があって、葉タバコ耕作者の収穫した葉タバコは、すべて政府に納入しなければならないとされていた。この事件は、そんな制度的背景で起こった。
被告人(当時63歳)は、栃木県在住のタバコ耕作人であったが、栽培し乾燥していた葉タバコのうち価格一厘に相当する約2グラムの葉っぱ1枚を葉巻にして喫煙してしまった。この行為が煙草専売法の不納付罪に該当するということで起訴された。なお被害額の一厘は、当時の1円の千分の1(0.1銭)という最低通貨単位の被害額であった(現在の貨幣価値でいえば、おそらく2~3円くらいだと思われる)。
一審の宇都宮地方裁判所は違法だが「微罪」であるとして無罪を言渡したが、検事が控訴し、東京控訴院(現在の東京高等裁判所)は有罪として、罰金10円を言渡した。さらに被告人が上告したところ、大審院(最高裁判所の前身)は、原判決を破棄し無罪とする判決を言渡したのである。
無罪の理由は、
というもので、要するに違法な行為であったとしてもその実害がきわめて少なく、また本人の悪性(危険性)の発露でない場合にはあえて罰する必要はない、としたのであった。
仕事の合間にさて一服というとき、煙草を忘れてきた被告人が、煙草の葉っぱに囲まれていたのが不幸であった。そのまま目の前にあった葉タバコの葉1枚を思わず葉巻にして吸ってしまった。これが、当時の価格で1厘であった。そんなことくらい目くじらを立てるほどのものではないではないかという、きわめて常識的な結論を大審院は下し、零細な反法行為を無罪とした最初の判例となった。ただ、「罪とならず」というその理論的な説明は問題として残る。
ある行為が犯罪とされるためには、たんに条文に該当するだけではなく、さらに違法という性質を示していることが必要である(たとえば、正当防衛による殺人は、殺人罪の条文に該当するが、まさに正当であるので犯罪ではない)。しかも処罰のためにはある程度の違法性の実質、つまり刑罰にふさわしい実質を備えなければならない。これは可罰的違法性論と呼ばれ、かつては批判的な見解もあったが、今では刑法学の共通認識となっている。
ただ、その実質をどう考えるのかで争いはあり、実害が絶対的に軽微な場合と、本件で問題になっている不納付罪のように、税という国家の制度に違反する場合とでは区別して考えるべきだろう。
たとえば、他人の財布から(本件のように)2~3円を盗んだ場合と、税を納めなかったという違法行為とでは、その犯罪としての性質は同じではない。つまり、前者のように、端的に被害が軽微の場合にこれを厳しく処罰すると、その副作用(前科が社会復帰の障害になるなど)の弊害の方が大きいのではないかといえるのであるが、不納付罪は国家の税制度を危うくする危険な行為であるという点を強調すれば、本件程度の被害であっても可罰的違法性を否定することは難しいのではないかという議論はありうる。
だから大審院は、被害の軽微性とともに、犯人の危険性をも合わせて判断して、行為そのものの違法性が軽微だと評価し、法が予定する不納付行為に該当しないと判断したのである。
さて、授業ではここで受講生諸君に問題を出して考えてもらうことにしている。
このタバコ農園では、従来から休憩時間に、本件のように煙草の葉っぱを勝手に消費する者が多かったとする。一罰百戒のために、たまたま見つかった本件被告人を不納付罪で処罰することは正義に適うのだろうか。また、もし有罪だとして、その場合の論理はどのようなものなのだろうか?(了)