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もうすぐドラフト・その1……オコエ瑠偉

楊順行スポーツライター
週刊ベースボール10月5日号もよろしく

「松坂(大輔)さんが大リーグに行ったときの移籍金で、西武球場の芝、トイレがきれいになったと聞きました。プロ野球っていうのは、スケールがでかいなぁと感じましたね」

いやいや、あなたのスケールも、高校野球では規格外でしたよ。だれって、関東一のオコエ瑠偉である。

小学生時代は、家から近かったので西武の試合をよく見に行っていた。ファンクラブにも入会し、多いときは週に2回ほど通った。カブレラの打球を見ては、「体格も、打球も同じ人間じゃないと感じ」、松坂(大輔)のピッチングに心を躍らせた。だからこそ、球場がきれいになったことをめざとく感じ取ったわけだ。

塁間、3歩?!

走って、守って、打って。100周年だった夏の甲子園を大いにわかせた「オコエ劇場」の主役が、プロ志望届を提出したのは9月15日のこと。記者会見では、

「ヤクルトの山田(哲之)選手やソフトバンクの柳田(悠岐)選手のように、トリプルスリーを目ざせる選手になりたい」

と堂々と語っていたものだ。それだけの、ポテンシャルがある。まず、「走」。夏の甲子園第6日の高岡商戦、オコエは第1打席で一塁強襲の内野二塁打(!)を放つと、大量7点を奪った3回には、2度回ってきた打席でいずれも右中間に三塁打。49年ぶり、大会史上2人目という1イニング2三塁打を達成した。関東一・米沢貴光監督は、冗談交じりにこう語る。

「塁間3歩くらいで行く(笑)。1イニング三塁打2本は、練習試合ではめずらしくありません。私は社会人野球のシダックス時代に、キューバの代表選手なども見てきましたが、それも含めて会ったことのないレベルのスピードです。ただ、"ベースだけは踏んでくれ"と言っています」

確かに、スピードに乗ったときのオコエは、ほれぼれするほどのストライドの大きさだ。だがまさか、3歩はないだろう。オコエに問うと、

「3歩……それはさすがに、人間じゃないですね(笑)。でも、ベーランは得意です。距離が長ければ長いほどよくて、二塁打はトップスピードに乗る前にベースに着いちゃうので、三塁打が一番速いですね」

なるほど、50メートル5秒96はむろん俊足の部類だが、ずば抜けて速くはない。だが、1イニング2三塁打の三塁到達タイムは、10・88秒だったという。プロ球界屈指のスピードスター・秋山翔吾が11・03秒だから、足だけならすでにプロ級なのだ。

驚愕のスピードは、「守」でもスタンドを沸かせた。中京大中京との3回戦は、初回から二死満塁のピンチ。左中間に、長打コースの大きなフライが飛んだ。抜ければ一挙3点……。だが、短距離走者のようにスピードに乗った中堅のオコエが、長い左腕を懸命に伸ばすと、グラブにボールがすっぽりと収まった。米沢監督が「オコエなら、もしかすると……」と期待した通り、立ち上がりの3点を帳消しにするスーパープレー。4万7000のスタンドは、割れるような拍手だ。

「打」は、興南との準々決勝。2年生左腕・比屋根雅也に厳しく内角を攻められ、そこまで4打数無安打2三振、守っても精彩がなかったオコエの5打席目は、3対3と同点の9回だ。二死二塁、カウント・ツーワンから、苦しんでいた内角低めの直球を「100パーセント読んで」強振すると、ライナーがレフトスタンドに。高校通算36本目の決勝2ランは、関東一に夏は初めてのベスト4をもたらした。

トリプルスリーを目ざす選手に

結局甲子園の4試合で、18打数6安打1ホーマー6打点。打席に入ったときの歓声と拍手は、早稲田実のスーパー1年生・清宮幸太郎よりも、格段に大きかった。その清宮らとともに代表に選出されたU18W杯は準優勝に終わったが、オコエは8試合に出場して打率・364で、4盗塁はチームトップタイ。さらに、最優秀守備選手にも輝いた。

「メンバーとは技術的な話はしませんでしたが、代表に選ばれた日から"いいものは盗んでいこう"と考えていました。豊田(寛・東海大相模)のどっしりした下半身、平沢(大河・仙台育英)のタイミングの取り方……全員に共通していたのが、力強く振ることです。

西谷(浩一)監督からも、"トップを早くつくれ"といいアドバイスをもらいました。木のバットではなおさら、そうしたほうが差し込まれなくなる。打ちにいくときに右足、とくにヒザの動き出しをガマンするようにして、内角もうまくさばけるようになりました」

ジャイアンツ・ジュニアに名を連ねた小学生時代、そして東村山シニアでプレーした中学時代。少年野球ではいま、足の速い子は左打ちにさせる指導者が多いが、オコエの場合は特例だ。右打席でホームランを量産していたし、また左打ちの有利さなど問題にしないほど、足の速さが桁違いだったわけだ。右の強打者がノドから手が出るほど欲しいプロ球界にとって、これはまことにありがたい。

「プロの世界に行けるだけでありがたい。いままで日本にいなかったような、(走攻守)すべてでトップレベルの選手になりたい」

高校では、100年の歴史になかったような存在感をアピールした。プロでは、どれだけのスケールに育つのだろうか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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