オールスターズという古い瓶に注がれたジャズという名の新酒
“オールスターズ”という名称が
付けられているだけで心配して
しまうのです。
というのも、そのコンセプションが
両刃の剣になると言うよりは、
自爆してしまう可能性のほうが
高いんじゃないかという
先入観をどうしても拭えないから。
ところが、このアルバムを
聴いていると、どんどん
引き込まれてしまって、
“2度見”ならぬ“2度聴き”を
してしまっている自分に
気がついていました。
クレジットから察するに、
“ロバート・グラスパーを
中心に結成”であることを
ウリにしているようなので
彼を認めるか認めないかという
バインドも掛かるアルバムでは
あるのだけれど、
いわゆる“ロバート・グラスパー色”で
まとめられているのかというと、
違うと答えることになります。
だから逆に、
グラスパー・サウンドの延長線上で
このアルバムに興味をもったら、
戸惑うかもしれませんね。
「なんでこんなにジャズな
内容なの?」って。
それほどこのユニット、
ジャズ、それも1960年代の
ニュー・トラディショナルな
ジャズをリスペクトしているという
内容なのです。
そうした独特の“磁場”を作るのは、
ユニット名を見れば明らかなように
“ブルーノート”というレーベルの
“魔力”とも言うべきものなのです。
特にウェイン・ショーターの曲を
かなりフォーカスしているところに
その“磁場”のヘソを感じたりする
わけなのですが、それはサックスの
マーカス・ストリックランドに
60年代ショーターの面影を
重ねることができるところ
だったりします。
そのへんでこのバンドのカタチが
決まったのだとすれば、
さもありなん、だったりしています。
まあ、結果的にそのカタチが
一般的なグラスパー色を薄める
ことにつながったということに
なるわけですが、それを
グラスパーが許容しているところに
彼のジャズ観あるいはジャズとの
距離が出ているとも言えるわけで、
そんな妄想を広げてくれる
演奏だったりするのです。
この顔ぶれとこのサウンドをして
“新たな時代と世代のジャズ”と
括ってしまうのは簡単だけど、
実は彼らの本意が
“もっとジャズをこじらせたい”
という方向に傾いているのではないか
と感じる部分が多々あったりします。
確信犯的なこじらせジャズ!?
“こじらせたい”というのは、
まさに20世紀半ばの社会現象と
リンクしていたジャズのベクトルに
沿うものでもあるはずなのです。
ということは、ブルーノートという
レーベルが75周年を記念して
結成させたこのバンド、
こじれている(アメリカの)状況に
一石を投じる意味もあるのでは…。
と“こじれている”音を聴きながら
思ってしまったわけです。
つまりここには、
「問い掛けるジャズ」
があると感じています。
それにタップリと応えてくれる
だけの「こじらせ具合」のある
内容ですから。