Yahoo!ニュース

[高校野球]前田三夫・帝京前監督の左打者論①

楊順行スポーツライター
全国優勝3回を誇る名将、帝京・前田三夫前監督(撮影/筆者)

【たとえば昨年のセ・パ両リーグの打率十傑を見ると、どちらも左打ちが7人を占める。かつて打撃ベストテン独占に迫ったほどの勢いはないが、それでも左打者全盛時代はまだ続きそう。そしていまをときめく村上宗隆(ヤクルト)を筆頭に、セは5人、パは6人が右投げ左打ち。つまり右利きの左打者だ。帝京・前田三夫監督も、足の速さや体の使い方を見て、選手に左打ち転向を勧めることがあったという。たとえば、元広島の松本高明がそうだった】 

 確か、松本が2年になった2001年の秋です。「左で打ってみたらどうだ」と声をかけました。足も速かったですしね。そうしたら本人も、「やってみたい」と。むろん、最初は全然サマになりません。本人は一生懸命に素振りをしているんでしょうが、それを見た周りの連中は笑いをこらえるのに必死で、冗談交じりに「小学生以下」などといわれたようです。

 それがだんだんかたちになってくると、空振りしていたのがチップし、ファウルになり、フェアグラウンドに飛び、やがていい当たりをする確率が上がってきた。本人はひたすら素振りをしたようですが、数よりもむしろ意識を集中して振ったといいます。本人なりの、いろいろなチェックポイントがあったんでしょう。

 それでも3年になった春先の練習試合では、最初は左打席で打ったと思ったら次は右、対戦相手は「あれっ?」という表情でした。それがいざ、02年の夏の大会が始まってみると、よく打つんです。東東京で優勝するまでの6試合、すべて初回に得点しているんですが、一番の松本が出塁して生還したのがほとんど。結局松本は、東東京で22打数13安打の・591という、チームトップの打率を残してくれました。

 甲子園でも、打率はさほどではありませんでしたが、5試合で4盗塁と持ち味は十分発揮した。初戦では個人5残塁なんて最多タイ記録も残したように、一番打者としての役割はしっかりと果たしてくれました。4年ぶりの出場だったこの年、チームもベスト4まで進んでいます。

 私が高校生だった60年代には、左投げ左打ちはともかく、右投げ左打ちはほとんどいませんでした。すぐに名前が挙がるのは、学年は上ですがスイッチヒッターの柴田勲さん(元巨人)、藤田平さん(元阪神)くらいでしょうか。それが時代が下るにつれて、少しずつ増えてきた。たとえば私の出身の千葉県なら、掛布雅之(習志野・のち阪神)、篠塚利夫(銚子商、のち巨人)……。それでも、私が帝京の監督になった1972年ころなら、左打ちは学年に一人いるかいないか、だったでしょう。

昭和の終わりころから、右投げ左打ちが増えてきた

 右投げ左打ちが増えてきたと感じたのは、昭和の終わりころでしょうか。たとえば、芝草(宇宙、元日本ハムほか)がエースだった87年のチームには、レギュラーに右投げ左打ちが3人いました。ただ、吉岡(雄二、元近鉄など)で夏の甲子園に優勝した89年は一人。増えつつはあっても打線に1、2人が平均的なところじゃないですか。95年夏に優勝したときのメンバーは、全員が右打ちでした。

 それが00年代に入ると、急増してきたように思います。松本たちの02年のチームは、左投げも含めて甲子園のベンチ入り16人中左打ちが4人。私が最後に甲子園に出た11年夏のチームは、18人中7人でした。この傾向は子どもたちの野球の指導者、あるいは親御さんに野球経験者が増え、「野球をやるには、左打者が有利だぞ」と教えるようになったことと無関係ではないでしょう。

 われわれの時代なら、遊びの野球ですから、少なくとも小学生のうちは指導者などいないようなものでした。かりに親が野球経験者だとしても、手取り足取り子どもに教えるような時間も、お金もなかったでしょう。また昔は、もともとは左利きだったとしても、将来的に不便だからと、小さいうちに右利きに直していましたよね。いまは、以前ほど左利きを矯正しないのか、左で字を書く、左で箸を使う子はさほど珍しくありません。それどころか、どんなスポーツにも有利だからと、右利きの子をあえて左利きにするという例も聞きます。左打ちが目立つわけですね。

 では、なぜ左打ちが有利といわれるのか。まず物理的に、左打席のほうが一塁ベースに近いという点。距離にして、右打席とはゆうに1メートルは違いますし、さらに左打者なら、スイングのエネルギー方向、フォロースルーのまま一塁に走り出すことができます。当然一塁到達も早く、右だったら楽々アウトの内野ゴロが、内野安打になることも少なくありません。

 また、マウンドと打席の位置、腕が出てくる角度の関係で、右投手のボールが見やすいこともメリットです。いまは少なくなりましたが、とりわけアンダスローの投手に対し、左打ちなら投球の軌道を長く見ることができました。さらに、増えてきたとはいえ右打ちに比べればまだ少ないという希少価値の優位性で、試合に出るチャンスも増えてくる。そこへもってきて、90年代後半からのイチローや松井秀喜選手の活躍が、右投げ左打ちの増加に拍車をかけたような気がしています。

 私も実際、左打者がいたら重宝したものです。出塁率が高い、走者一塁で強攻しても併殺が少ない、走者二塁のときに進塁打が打てる……作戦上のバリエーションが増えるんですね。また東京大会では、神宮第二球場で試合をすることがありましたが、ここは極端に両翼が狭い。右投げ左打ちは、もともとの右打席のほうがパンチ力があるものですが、左打席でもジャストミートすれば、簡単にホームランになってくれるという事情もありました。(つづく)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

楊順行の最近の記事