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神宮で見つけた来春センバツのヒーロー候補①阪下漣(東洋大姫路)

楊順行スポーツライター
(写真:岡沢克郎/アフロ)

「センバツの決勝でもう一度やろう」

 明治神宮大会、準決勝。横浜(神奈川)との緊迫のタイブレークは敗れたものの、10回を自責1で完投した東洋大姫路(兵庫)・阪下漣は、横浜の左腕エース・奥村頼人にそう、声をかけたという。2人は中学時代、同じ近畿地区のボーイズでしのぎを削った間柄だ。

 西宮ボーイズ時代から評判の右腕。履正社時代に寺島成輝(元ヤクルト)、DeNAから1位指名された竹田祐(三菱重工West)らを育てた岡田龍生監督を慕い、東洋大姫路に進むと、1年夏からベンチ入り。2024年夏の兵庫大会では、初戦の葺合戦で15三振をマークした。8月の地区予選で右手首を骨折したが、リハビリの過程でプロの投球フォームや球筋を研究。目に止まったのが、高橋光成(西武)だ。

「足の使い方に共通点がありますし、変化球が苦手なのでカットボールを参考にしました」

 復帰した県大会では、そのカットボールが左打者の内角に有効で、準決勝の神戸国際大付戦では延長10回、12奪三振で完投と見事な復活劇を見せた。さらに、近畿大会。龍谷大平安(京都)との初戦は初回に大量リードすると、

「6、7割くらいで打たせていき、ピンチにはギアを上げようと思っていましたが、そこまで上げる場面は少なかった」

 という省エネ投球で、7回を4安打7三振で無失点。圧巻は大阪学院大との準々決勝で、6安打無四球の90球と、公式戦初完封にマダックスで花を添えた。阪下はいう。

「相手はまっすぐに強いというデータでしたが、変化球で逃げず、そのまっすぐで勝負できたのがよかったと思います」

強豪ひしめく近畿大会で防御率0.33!

 智弁和歌山との決勝は、不運な内野安打で大会初失点を喫したが、強力打線を相手に1失点完投。近畿大会4試合に登板して3完投、27回3分の2で防御率はなんと0.33だから、絶対的なエースだ。「阪下に尽きる」という岡田監督は、寺島や竹田といったかつての教え子の名前を挙げ、「そういう子たちのレベルに近づいていると思います」。

 神宮大会でも、ゼロ行進は続いた。聖光学院(福島)との初戦は、5回コールドを2安打無四球で完投。チームに大会初勝利をもたらし、「強気の投球ができた。勝利に貢献できて、すごくうれしいです」。敗れた聖光の竹内啓汰主将は、「速いというより、伸びがすごい」と脱帽だ。救援で3回を投げた二松学舎大付(東京)との準々決勝は1失点したが、先述の準決勝と 合わせて3試合18回を自責点2である。

 最速147キロのスピードが武器だが、「中学時代から苦しんだことはありませんし、自信がある」というコントロールもそうだ。つねにストライクが先行するから優位に立てるし、マダックスを達成したのも、まさに秀でた制球力があるからだ。横浜戦は四死球4と、阪下にしては多めだったが、大会を通じて5。近畿大会ではわずか3で、それでも本人は「150キロを投げてもコーナーをつかないと意味がない。150キロを投げ、さらにピタピタとコースに決まるように磨いていきたいです」とどん欲だ。

 目標は「日本で一番になりたい」。一番になるには、「技術がすごく高い」(阪下)という横浜などが立ちふさがる。横浜には奥村頼、1年生の織田翔希という、投手としてのライバルもいる。気が早いが、センバツでは両者の対戦をもう一度見たい。阪下の言葉を借りるなら、それが「決勝」だったらおもしろいぞ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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