「ズックがくさい」と書いた小学生が……
実家の整理をしていると、なんと小学2年時の作文集が出てきた。んー、つまり1967年。他界した母親は確かに物持ちがよかったが、それにしても60年近く前の作文とは。当然書いた本人も内容は忘れているのだが、そのうちのひとつがあまりにおもしろかったので、ちょっと紹介したい。
『オンボロズック』
2年のときに買ったズックには二百(※注・意味不明)と書いてありました。
ズックの中にべと(※方言で「泥」のこと)が入って、足がまっ黒になったこともありました。
ズックのそこ(※たぶんインソール部分)がまっ黒になったこともありました。
ズックのそこがくさくなったこともありました。
先がやぶれて、おやゆびが見えたこともありました。
つめがまっ黒になったこともありました。
水が入ってきたこともありました。
ジャリが一億くらい入ってきたこともありました。
そのズックでボールをけったこともありました。
足がいたくなったこともありました。
どぶに入ったこともありました。
そこがパラパラひらくこともありました。
そのズックであそんでいると、ねむたくなることもありました。
先のあなからがびょ(※画鋲)が入ってきたこともありました。
下の方にがびょがささったこともありました。
下がだいぶすりきれました。ギザギザがなくなりました。
そのズックをはいていると「スルッ」とすべったこともありました。
雪の中を歩いたこともありました。
おにはりがね(※有刺鉄線)にひっかかったこともありました。
そのズックを田んぼに投げたこともありました。はたけにうずめたこともありました。
そのズックは、白が十分の一くらいしかなくなりました。
中に水を入れてはいたこともありましたが、先にあながあいていたので、そこから水が出ました。
中にどろを入れてみましたが、それもおなじことでした。
そんなまっ黒でオンボロズックなんだけど、ぼくは大すきです。
詩とも作文ともいいがたいが、小学2年生にしてはなかなかのものだと思う。そしてこれを書いた20年後、フリーのスポーツライターになるのである。
ライターとして使いたくない言葉
以後、しがないライターとして40年近く。言葉は変わるもの、ということは重々承知している。たとえば、名詞に「る」をつけて動詞にした「サボる」などは、大正期に使われ始めたとか。ほかには「アジる」「ダブる」「ミスる」などもその類いで、昭和の野球ファンなら「江川る」も懐かしいだろう。新語に敏感なある国語辞典は、「ググる」「バズる」も載せているとか。「注目を集める」はかつては避けたい表現だったように思うが、いまはNHKでも多用される。
それでも、自分では使いたくない今ふうの表現がいくつかあって、たとえば
・世界観……「この作品の世界観は」なんて、まあ、ごたいそうな。いかにも高尚で、カッコよく聞こえるけど、単にテーマとか、切り口ということでは?
・経験値が高い……「経験知」という言葉はあるけど。「経験が豊か」とか「経験豊富」じゃダメですか
・抜かされる……たとえば駅伝などでBがAを抜いたとき、「(Aが)抜かされた」とよくいうが、「抜かれた」だろう。「抜かされる」とは自分の意図以外、たとえば集団に押されるようにしてAを抜いた場合、Bに対して使うのでは? ドラフト2位で阪神に入団した今朝丸裕喜が、1学年上の前田悠伍(ソフトバンク)に対し「目標にしていたので抜かしたい」と語っていたけど、これも「抜きたい」だろう
・そうなんですね……これはおもに会話で。「ね」という助詞には、自分も知っている、あるいは予期していた、共感するというニュアンスがあるのではないか。だから、初めて知ったことに対して「そうなんですね」という相づちには違和感がある。「そうなんですか」でしょ? たとえば相手に「今日は寝坊して……」といったとき「そうなんですね」ときたら、「知ってたの?」と切り返したくなる。単に「そうなんだ」を丁寧にしたつもりでは、というのが妻の説
ほかにもいくつかありますがこのくらいにして、ともあれ、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。