埋蔵金を見つけたら誰のもの?実際に見つかった埋蔵金とまだ見つからない日本三大埋蔵金。
埋蔵金と言えば、糸井重里さんが赤城山を発掘しているのをテレビで放送されていたのをうっすらと覚えています。
この時に探していたのが徳川埋蔵金でした。
結局、番組では見つからなかったと記憶していますが、もし一見つかっていたら糸井さんや番組のものになっていたのでしょうか?
落とし物とはチョット違う気がするので、今回はその辺を踏まえて日本三大埋蔵金についても紹介して行きます。
埋蔵金を掘り当てたら誰のもの??
まず埋蔵金を見つけたら、すぐに警察に届けてください。
ネコババをしてしまうと占有離脱物横領という罪に問われ、【1年以下の懲役または10万円以下の罰金もしくは科料】が科せられます。しかも、発見から1週間以内に届け出をしないと、後述する報労金の権利も消滅してしまうので注意しましょう。
そして、6カ月以内に所有者が判明した場合は、埋蔵金の価格5%~20%を報労金としてもらうことができます。これは、財布を拾った時に落とし主からもらえる報労金と一緒です。
埋蔵金の場合は、本人はすでに亡くなっているので、所有者は埋めた人の相続人ですが、実際に埋めた人とその相続人を証明できるケースは難しく、所有者の確定はほぼできません。
もし、所有者が確定できなければ、発見した人とその土地の所有者と折半です。しかし、自宅の庭などで見つけた場合は、全部もらうことが可能です。
埋蔵金が文化財だったら?
6カ月たち所有者が見つからなく、晴れて自分のモノとなっても油断は禁物です。
発見された埋蔵金が歴史的価値のある重要な文化財だったら【文化財保護法】によって、自分のモノにならないかもしれません。その時は、いくらかの報奨金が支払われるようです。
小判を掘り当てて報奨金をもらうより、同じ額の現金を拾った方が手元のお金が入るかもしれません。
日本の三大埋蔵金
さて、埋蔵金を掘り出した時の対処法を学んだところで、これから埋蔵金を掘り出しに行く人もいるかもしれません(笑)。そこで、日本の三大埋蔵金と呼ばれるまだ発見されていない埋蔵金について紹介しましょう。
日本で埋蔵金伝説は史料が存在し、ある程度の裏付けが取れるモノだけでも百件を超すとも言われています。その埋蔵金伝説の中でも、徳川埋蔵金・秀吉の埋蔵金・結城家の埋蔵金が有名で日本の三大埋蔵金と呼ばれています。
日本で最も有名な 徳川幕府の埋蔵金
何度もテレビに取り上げられ、日本で最もメジャーな埋蔵金伝説となっているのが、徳川埋蔵金でしょう。
さまざまな説があるようですが、1868年に江戸城が無血開城された時に、新政府軍は徳川幕府の御用金をあてにしていたようです。しかし、江戸城の金庫には御用金が残されておらず、幕府が隠ぺいしたと判断。
新政府が【御用金】探しを行いましたが結局何も見つけられずに終わりました。
幕府の役人・勝海舟が
【軍用金として360万両有るが、これは常備兵を養うための金で使うわけにいかない。】
と日記に記していた事から、360万両がどこかに隠されているのではないかとされています。
また、テレビ放送していた赤城山の発掘では、人工的な空洞を見つけていましたが1940年に当時の近衛文麿内閣が軍人を集めて発掘作業した物だと分かりました。
徳川埋蔵金伝説は、多くの伝承が飛び交っているので上記の説が通説とは限りません。
将来を案じて貯金した!? 豊臣秀吉の埋蔵金
日本の埋蔵金伝説の中で一番の埋蔵量・4億5000万両が埋まっているとされているのが豊臣秀吉の埋蔵金。
二度目の朝鮮出兵後に病に倒れた秀吉が、豊臣家(秀頼)の将来を案じ大阪城内にあった4億5000万両を多田銀山に埋蔵したと言われています。
実際に埋蔵に関わった人物もいたとされますが大坂冬の陣で亡くなり、その真相は分からなくなってしまいました。
ところが、第二次大戦後に山本徳次郎氏の家などから、埋蔵金関連の文章や絵図が発見されて新聞等で大きく取り上げられました。史料の発見で埋蔵金伝説の信ぴょう性が高まり、山本氏を中心に発掘作業を行いますが見つかっていません。
また、見つかった文章を専門家が読んでみると…
【大阪城には4億5000万両があり、当面はこれ以上の金は必要ない。多田銀山の採掘を中断し将来、必要なときのために鉱脈を書き残しておく】
と言った内容だったらしく『銀山は閉山するために埋めたが4億5000万両は埋めてはいない。』と言う見解もあるようです。
家康も狙ってた!?結城埋蔵金
結城家初代当主・結城朝光は、源頼朝が奥州討伐の際に武功を挙げて、奥州藤原氏がため込んでいた黄金をほとんど恩賞として受け取ったと伝えられています。
結城家の重臣が書いた文章によると、金延べ棒が5万本と約1兆8千億円とも…
これらの遺産を代々結城家が受け継ぎ、17代目の晴朝が福井に移封した時に金銀・財宝を埋めたとされる事から埋蔵金伝説がささやかれるようになりました。
一説によると家康に狙われて埋蔵したとも…
これまで、結城城跡や晴朝が隠居して住んでいた場所などを子孫などが発掘を試みましたが、発見には至っておりません。
昭和30年代は埋蔵金のゴールドラッシュ
昭和31年の小松ストアー工事現場から慶長小判と享保小判が208枚と一分金60枚が発見されました。銀座のど真ん中から小判が出たという事で話題となりました。
昭和31年…小松ストアー工事現場
昭和32年…台東区第一信託銀行菊屋橋支店の工事現場
…中央区銀座富士銀行数奇屋橋支店の工事現場
昭和34年…台東区営団地下鉄工事現場
昭和35年…千代田区岡崎ビル工事現場
昭和38年…港区ビル工事現場
…日精製油本社ビル工事現場
昭和39年…目黒区水道工事中
…有明コロシアム周辺の埋め立て地
上記のように昭和30年代の東京ではゴールドラッシュと言わんばかりに工事現場から埋蔵金が掘り出されています。昭和39年の有明コロシアムの周辺の埋め立て地では、弁当を持って一日中穴を掘っている人もいたのだとか。
江戸時代の商人たちは財産を安全に保管するために、ツボなどに入れて床下に埋めることが日本中で行われていました。そのために、商人が集まっていた江戸(東京)の土の中に大判・小判が埋まっていたのしょう。
うわさでは、日本で見つかっていない埋蔵金の総額は150~200兆円とも言われています。もしかするとあなたの住んでいる庭や床下にも埋蔵金があるかもしれません。
もし見つけたらまずは警察に届けてくださいね。