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アジア最優秀外国人選手ムリキがJ3に出場した背景

大島和人スポーツライター
(写真:田村翔/アフロスポーツ)

アジア最優秀外国人選手がJ3に登場

FC東京のムリキは、2016年のJリーグでプレーする外国籍選手の中でも一番の大物だろう。ブラジル人FWの彼は2010年に中国・広州恒大へ加入すると、翌年には得点王に輝きリーグ制覇に貢献。13年にはアジアサッカーの最高峰であえるAFCチャンピオンズリーグで13得点を挙げ、優勝に貢献した。そして同年末にはAFC(アジアサッカー連盟)の年間最優秀外国人選手にも選出されている。そんなストライカーがJリーグ初ゴールを決めたのは、J3の舞台だった。

ムリキは“FC東京U-23”のメンバーとして5月1日のJ3栃木SC戦にフル出場。31分にはPKでゴールも決めた。J3には現在3つのU-23チーム(FC東京、ガンバ大阪、セレッソ大阪)が参戦している。U-23という名称が示すように、活動の主目的は若手選手が実力を磨くこと。ただ3名(GKを含めると4名)の“オーバーエイジ”が起用できる規定になっている。

ムリキは現在29歳で、オーバーエイジに相当する。4月1日にJリーグへ登録されたが、負傷明けと言うこともあってコンディションを上げていく調整段階にあった。4月10日のJ1ファーストステージ第6節・柏戦から徐々に出場時間を伸ばしているが、先発はまだなかった。彼とチームにとって、J3参戦は長い時間のプレーを試すいい機会になったはずだ。

城福監督が語ったJ3に対する危惧

彼が所属するFC東京の城福浩監督は、開幕前にこのような危惧を口にしていた。

「18人のメンバーがいて、選手交代が一人か二人。(J1に出場した選手が)次の日のJ3に出るのは現実的ではない。練習試合であれば前の日に5分出た選手を、次の日に出せばいいけど、(J3では)それが叶わない。何も考えなかったら1ヵ月練習試合もできない選手がいっぱい出てくる。そこをどうマネジメントしていくかというのは、簡単でない」

サッカー選手にとって一番“ちょうどいい”実戦の出場頻度は、1週間に90分ずつ消化していくペースだろう。しかしそれを維持できるのは特別なレギュラー選手のみ。大半の選手は練習試合などで埋め合わせをする必要がある。

練習試合ならば入れ替えは自由で、選手のコンディションに応じて出場時間も自在に調整できる。「前半30分に交代」「一度退いた選手が再登場」というような采配もザラだ。前日のリーグ戦で30分間プレーした選手なら、翌日の練習試合で45分だけプレーして下げる。そのような“ちょうどいい負荷”を選手に与えることで、次の試合にいい状態で備えられる。

ただ、J3は真剣勝負の場。J1のセカンドチームにとってはコンディション調整が一つの狙いでも、相手側はクラブと選手の運命が懸かった戦いだ。勝利を目指してベストを尽くすという大原則があり、交代枠も3つしかない。したがって、特定の選手を短時間に限定して起用することは難しい。

FC東京はムリキだけでなく駒野友一、高橋秀人といった日本代表経験者もJ3に登場させているが、これには調整だけでなく、リーグ戦に絡めない選手“メンテナンス”的な意味合いもあるだろう。しかし“O-23”の選手に残された出場枠は原則3つ。彼らはその限られた出場機会を分け合わねばならない。

セカンドチームに年齢制限は必要か?

FC東京は4月13日(水)にJ1、J3から中2日でFC町田ゼルビアとの練習試合を行った。FW平山相太、FWネイサン・バーンズ、MF水沼宏太など、直近のリーグ戦で出番のなかった選手が先発した。城福監督はその狙いを「J1とACLに出る選手がいる中で、J3を戦うというサイクルになると、どうしても試合に関われない選手が出てくる。今日はそういう選手に時間を確保したかった。そうじゃない(直近のリーグ戦に絡んでいる)選手が厳しめのコンディションでゲームをやる難しいシチュエーションは分かっていた」と説明する。

主力選手は負担がかかり過ぎてコンディションを落とす。試合に絡めない選手も試合勘を失ってコンディションを落とす。それは指揮官にとって悪夢と言うべき“二重拘束”だ。J3にセカンドチームを参戦させるクラブは、得てしてそういう危険性が高まる。限られた出場時間を分け合うぎりぎりの選択の中で、ムリキもJ3へ出場した。

選手の育成、起用はシビアな問題でおそらく全員がハッピーになる解決策はない。ただ年齢制限を撤廃、緩和して起用の自由度を強めるのも一つの方法だろう。J3に参戦するセカンドチームがU-23という形で“若手育成”に特化した形を貫くのか。それとも中堅、ベテランの調整という現実的なニーズにも応える方向へ舵を切っていくのか。そんな難題も浮かび上がらせる、ムリキのJ3登場だった。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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