国立競技場でのハットトリック
「国立最蹴章」というキャッチフレーズで行われた今年の全国高校サッカー選手権大会は、ご記憶のように富山第一高校が優勝を飾った。大塚一朗監督と背番号10のキャプテン、大塚翔の親子鷹も話題となった。
大塚監督は法政大学のDFだった。当時の法政のストライカーは青島秀幸。「国立最蹴章」のポスターには、61回大会の決勝でゴールして喜ぶ清水東高の背番号10だった青島氏が写っている。
青島氏曰く「TVで観て、ああ一朗だ、おめでとうと思いましたよ。富山第一高校に連絡を入れようとは思いませんでしたけどね(笑)」
青島氏は3回戦の九州学院戦と決勝の韮崎戦でハットトリックを演じた。第61回大会では8点を挙げ、得点王となっている。全日本ユース(Uー18)代表にも選ばれ、抜群の得点感覚を備えたストライカーだった。
「嗅覚は……考えて動くというより、自分の体が勝手に動くというかね。たとえば、ガチンって当たった時に、その状況でどこにボールが来るかが分かるんですよ。そういう蹴り方なら、ここに来るなってね」
青島氏がサッカー処である静岡県旧清水市で少年団に入ったのは小学2年の時だった。当初はGKであった。4年生でオール清水に選ばれ、小学生にしてヨーロッパ遠征、中学生でブラジル遠征を経験する。年を重ねるにつれ、ストライカーとして名を馳せていった。
「ストライカーって言ったってデカくないし、ロビングあげてもらって行くタイプじゃないし、僕はニアサイド一本だから、シュートみたいな横切るボールを蹴ってくれれば合わせるよ。点で合わせるから、面じゃないからって言っていました。スリートップの真ん中です。
ゲルト・ミュラー(元西ドイツ代表)が好きで、周りの人達からそう呼ばれていこともありました。TVには出て来ないけれど、点入れてるのはあいつだ。ゴール前でシュート決めるのは青島だみたいな感じでしたね」
彼はストライカーならではのメンタルを語る。
「ストライカーってエゴイストみたいなもんで、自分が点を入れればいいんですよ。何をやったって点を入れなきゃ評価されない。人に邪魔されて、いつもいつも削られて、99%不満のなかでやってますからね。喜びはゴールだけなんですよ」
彼は小学生時代から、自主練が好きだった。早朝のグラウンドで、来る日も来る日も、シュート板に向かってシュートを打ち続けた。清水東高入学後は、左右500本ずつのボレーシュートを日々の日課とした。
そうして掴んだのが全国優勝であり、2度のハットトリックだった。
法政大学卒業後、故郷の郵便局に勤務し、現在は清水矢倉郵便局長となっている。その一方で、保護司として12年目を迎える。道を外れようとする地域の少年少女を支えるかつての得点王。国立競技場を沸かせたあの日から31年が経過したが、その情熱は変わらないように見えた。