丁度4年前、アメリカからイギリスへ渡りG1に挑戦した武豊のエピソード
世界中どこへでも、依頼があれば駆けつける
丁度4年前の6月15日。日本のナンバー1ジョッキー・武豊の姿がイギリス、アスコット競馬場にあった。その僅か4日前にはアメリカにいた天才騎手。北大西洋を飛び越えて競馬発祥の地に乗り込んだ。一見、ハードに思えるそのスケジュール。しかし、その僅か3週間ほど前にも彼は同じような行程を踏んでいた。5月21日、アメリカでプリークネスS(G1)に騎乗した後、フランス入り。3日後の24日にエイシンヒカリ(栗東・坂口正則厩舎)を駆ってイスパーン賞(G1)に挑むと、2着に10馬身の差をつけるぶっち切りでこれを制していた。
そんな武豊はハードな日程にもむしろ笑顔を見せて言った。
「ジョッキー冥利に尽きます。声をかけていただければ世界中、どこでも乗る覚悟でいます」
冒頭の6月の話に戻そう。11日、アメリカでベルモントS(G1)に出走したラニ(栗東・松永幹夫厩舎)に跨った武豊は3着と善戦してみせた。
その後、先述した通り再び北大西洋を越えると15日にはイギリス・アスコット競馬場で行われたロイヤルアスコット開催に参戦。イギリス皇室主催の5日間連続開催となるロイヤルアスコット。その中でもメインとなるプリンスオブウェールズS(G1)にエイシンヒカリと共に臨んだのだ。
アメリカでコンビを組んだラニと同じ芦毛馬で、気性的に少し難しい面があるのも同様だったエイシンヒカリ。全馬がパドックから馬場へ向かった後、1頭だけ遅れて馬場入りしたラニとは反対に、パドックを1周することなく、馬場入り後のスタンド前の行進も無視して返し馬に向かったのがエイシンヒカリだ。それらは主催者側から義務とされていたが「失格にならず罰金で済むなら、馬の精神面を優先的に考えた」と関係者。お陰で「今までで1番、落ち着いていた」と武豊は胸を撫で下ろした。
その武豊はレース3時間半ほど前に自らの足で馬場を歩き、確認。「柔らかいけどこなせる範囲です」と言った後、空を見ながら続けた。
「まだ変わりそうですけどね……」
イギリスでのレースも数え切れないほど経験のある彼の予感が当たった。約30分後に落ちて来た雨粒は、アッと言う間に土砂降りに変わった。
1番人気で果敢に逃げる
6頭立てとなったこのレースで、エイシンヒカリは1番人気に支持された。まだJRAでの馬券が発売される前。現地でのオッズの話である。人気を背負い、前走同様、逃げたエイシンヒカリだが、ヨーロッパ勢も今度は楽に行かせてくれなかった。
「序盤はカメラを搭載して前を走る車を見て、折り合っていました。でも、最初のコーナーを過ぎたあたりで最後の直線と勘違いしたのか、行きたがってしまいました」
スウィンリーボトムと呼ばれる最初のコーナーからラストコーナーまでは長い直線で結ばれている。ここをホームストレッチと思ったのか、鞍下が力み出したと鞍上は語った。フランスでは突き放した最後の直線だが、アスコットの深く、雨を吸い込んで柔らかさの増した芝は日本の快速馬を呑み込んだ。かわされた後も一瞬、抵抗する素振りを見せたエイシンヒカリだが、最後は力尽き、最下位6着に沈んでしまった。
レース後、武豊は言った。
「断然の1番人気に支持され、自分でも充分にチャンスがあると思っただけに残念な結果でした。ただ、騎乗としては悔いの残るシーンはありませんでした。馬も落ち着いてすごく良い状態だったので、厩舎スタッフが良く仕上げてくれたと思います」
競馬の勝った負けたは時に“運”にも左右される。そういう意味では1着になるより1番人気になる方が陣営の努力は認められたと言えるだろう。今年のロイヤルアスコット開催は現地時間の明日16日、レース日程を変更して開催される。もちろん長引くコロナ禍が影響してのことだが、いずれにしろ日本からの遠征はままならず、ドラマが生まれる環境が遮られているのは残念でならない。1日も早く日常が戻り、日本馬の遠征や世界を飛び回る武豊の姿を見たい。そう思っているのは私だけではないだろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)