どん底で変わり始めたジョブズ 〜スティーブ・ジョブズの成長物語〜挫折篇(9)
再起したジョブズだったがことごとく事業に失敗し、遂にじぶんの人格や経営手法にこそ問題があったのだと受け入れざるを得なくなる。そして彼は変わり始めた。その変容なくば今、Appleはこの世に存在せず、iPhoneも無く、サブスクで音楽産業が復活する未来も霞んでしまっただろう───。没後十周年を記念する集中連載第9弾。
■夜明け前。どん底で変わり始めたジョブズ
一九九二年、若きジョブズを追放したスカリーCEO率いるAppleがパソコン販売台数で世界一を記録。対してジョブズの方は、もはや資金の限界に達していた。
なにもかも諦めてしまおうか。中学生の長女リサと、生まれたばかりの長男リードと、最愛の妻ロリーンとで静かに暮らそう…。
当時、そんな相談を周囲にしていたという[1]。人生の目標が家庭の幸せと安定だというならば、彼はもうそれを達成しつつあった。
もうひとつの会社ピクサーでは、世界初のCGアニメ映画『トイ・ストーリー』をディズニーと創るという、起死回生の企画が進行していたが、ディズニー側に脚本を改悪されてしまい、制作は難航していた。
側近たちも次々と辞めていった。
片腕だったCTOのバド・トリブルは、「私はサンに行きますから」といって去っていった[2]。ハードウェアと工場へマニアのようにのめり込むボスに疲れてしまったのだ。ネクストのほんとうの強みはソフトウェアにあるというのに。
バドの妻で、CFOだったスーザン・バーンズも「まわりの忠告をいつまでも無視しているといずれ破滅しますよ」と言い残して去っていった。ジョブズは復讐心で、片付けに来たふたりをオフィスに入れなかった。
Appleからネクストについて来た創業メンバーは全員辞めた。
翌一九九三年の二月、ネクスト社はハードウェア事業から撤退した。工場は日本のキヤノンに売却。五三〇人いたスタッフから三〇〇人を解雇した。ハーマンミラーの高級チェアやレーザープリンター、工場に積まれたネクスト・キューブ等々、廃品回収業者は容赦なく競売にかけていった。
「ネクストは失敗したということですか?」
事業撤退を嗅ぎつけた記者は直球をジョブズの頭にぶつけてきた。
「こんなインタビューは、勘弁してくれ」ジョブズは力なく答えた。「こんなインタビューは耐えられない」
彼は打ちのめされていた。
「スティーブはあの経験で謙虚になったと思います」と広報マネージャーだったカレン・スティールは振り返る[3]。
「必要なら頭を下げて詫びたいとまで言うようになりました。過去、傷つけたひとたちに、申し訳ないと思える人間に変わったのです」
その年、食器を割ってしまってクローゼットに逃げ込んだ長女のリサに、ジョブズは「赤ん坊の頃、おまえを捨てて悪かった」と謝った。
失意のどん底で、彼は変わりはじめていた。
じぶんを変えてでも会社を救い、最後まで育て抜く。彼の魂はそう決意したのである。天賦の才を覆っていた闇が、遂に払われた。偉大なる「経営者スティーブ・ジョブズ」が生まれようとしていた。
だが世界は容赦のない追い打ちをかけてきた。 ディズニーが『トイ・ストーリー』の制作を停止すると言ってきたのである。ジョブズの経済を立て直す、起死回生のチャンスは断たれようとしていた。
私生活でも、痛ましい事件が訪れた。
その頃ジョブズ家では、投石で窓ガラス十六枚と愛車のフロントガラスが割れる事件が発生する。数日後、ずた袋を持った男が道の向かいに座っているのを、妻のロリーンが目撃。男の髪はぼさぼさで正気を失っていた[4]。
警官が駆けつけると、それはかつて、初代マッキントッシュのハードウェアを創りあげた天才エンジニア、バレル・スミスの変わり果てた姿だった。
彼の友だったMacOSの中心開発者ハーツフェルドそしてジョブズは、双極性躁鬱病を患ったバレル・スミスが問題を起こすたびに身元引受人として警察へ向かうことになった。
鉄柵を挟んで、初代Macを創った三傑が揃った。
「俺の身に同じことが起こったら君は…」ジョブズは言った。「バレルにしてやってるように、俺の面倒を見てくれるのだろうか?」
ハーツフェルドはぎくりとして、うまく答えられなかった[5]。(続く)
■本稿は「音楽が未来を連れてくる」(DU BOOKS刊)の続編原稿をYahoo!ニュース 個人用に編集した記事となります。
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[1] Alan Deutschman "The Second Coming of Steve Jobs" (2001), Crown Business, Chap. 1, p.73
[2] Idem. Chap. 3, p.157
[3] Idem. Chap. 3, p.157
[4] Idem. Kindle edition, Location No.2539
[5] Isaacson "Steve Jobs", p.277