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前田三夫と小倉全由。東京の高校野球を牽引した2人の接点とは

楊順行スポーツライター
指導者講習会で講演する前田三夫氏(撮影/筆者)

 12月3日、東京都高野連は指導者講習会を都内の海城高で3年ぶりに開催した。集まった約100校、230人の指導者の前に、講師として登壇したのが前田三夫氏。帝京高を50年にわたって率い、甲子園通算51勝、春夏合計3回の優勝を誇る。現在は名誉監督についている。

 前田氏はこれまでの指導者人生を振り返り、

「高校1年のとき、練習のあまりの厳しさに一時は野球をやめかけた。挫折しかけているんです」

「PL学園と対戦したときは、試合前に相手の中村順司監督をジッとにらんでいました。若気の至りで、まことに失礼な限り。でも中村さんも中村さんで、"かかってこいよ"というポーズを返された」

 なとど、ユーモアを交えて語りかけた。最後の質疑応答では、日大三高・小倉全由監督からこんな質問が。

「自分が関東一の監督時代、初めて甲子園に出たのが1985年の夏です。そのときの東東京の決勝の相手が帝京さんで、ウチの選手はホームインするたびに帝京さんのベンチに向けてガッツポーズをしていました。前田先生が、中村順司監督をにらんだようなものですが(笑)、そのときにはどんなお気持ちでしたか」

 これに対して前田氏、

「中村監督が私にやったように、"かかってこいよ"でしたかねぇ(笑)」

東京を牽引した好敵手

 ちなみに85年当時、小倉監督は28歳。帝京はこの年、センバツで2度目の準優勝を遂げるなどすでに強豪で、小倉監督の関東一は、どうしてもかなわない。

 監督に就任した81年秋こそ準決勝で勝っているが、82年秋は準決勝で、初めて夏の決勝に進んだ83年は2対3で敗れている。

「甲子園に出場するために、どうしても倒さなければならないのが帝京さんでしたが、つねにはね返されていました」(小倉監督)

 関東一は85年夏、ようやく甲子園に足を踏み入れるのだが、85、86年の秋も、決勝で帝京に敗れている(ただしどちらも、翌年のセンバツに東京からアベック出場している)。

 小倉監督は97年から母校・日大三に移り、夏の優勝2回を含む甲子園通算36勝。都内では、前田監督に次ぐ数字だ。東東京の帝京と西の日大三、夏の対戦はなくなったが、2019年秋には、東京の準々決勝で対戦した。

 会場の神宮第二球場は過去、数々の名勝負が繰り広げられてきたが、再開発のためにこの日がラストゲーム。締めくくりが東京の好敵手対決とは、野球の神様もなかなかイキな計らいをする。ちなみにこのときは帝京が2対1で勝利。前田監督は、翌年夏限りで勇退することになる。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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