光る君へ イケメン伊周没落の伏線?「くらべ弓」は高校の古文で習っていた?
関東圏の穴場ずらし旅の愛好家、とらべるじゃーな!です。以前に私塾で古文を教えていた時期があります。古文の世界は、少しかじっておくと、旅行の世界が大きく広がります。
大河ドラマ公式(外部サイト)
※歴史書の『大鏡』にある競(くら)べ弓(=弓争い)は、教科書、受験教材等に幅広く採用されています。
弓が得意だった道長
実は弓が得意だった藤原道長。
写真の平安神宮(京都市左京区)は、明治時代に、平安遷都1100年を期に建立されれました。戦国時代や安土桃山時代の遺構ですら限られているなか、平安時代の皇居(大内裏)の一部を、当時の建築で再現した貴重な場所です。
光る君へでは、まひろと道長が対峙した五節の舞姫の一場面(第4話)や、若き道長が、得意だった弓を携える場面(第2話)のロケ地として使用されています。
平安神宮
京都府京都市左京区岡崎西天王町97
京都駅から地下鉄烏丸線、東西線を乗り継ぎ東山駅へ。徒歩13分。
開門 6:00~18:00
イケメン伊周の没落
道長と、関白(天皇を補佐する権力者)の座を争った藤原伊周(ふじわらのこれちか)。史実としてもイケメンであったとされています。
光る君へ第18回・岐路では、道長による逆転勝利を許す展開として描かれました。
『大鏡』にある競(くら)べ弓
思い出されるのが、伊周(これちか)と道長が弓矢で争った回(第15回)。場面は、伊周の父・道隆の邸宅でした。
途中で姿を見せた道長は、伊周より身分は下。実子を特別扱いし出世させた後ろめたさもあったのか、道隆は丁寧にもてなします。その後の弓矢の勝負は、弓が達者な道長が、忖度をせず的中数2本差で勝利。
しかし道隆や取り巻きは、2本分の延長戦を提案。これは実質的に道長に2本の矢を故意に外し、引き分けて伊周のメンツを立てよという圧でもありました。
理不尽な延長戦を道長は渋々受けますが、2本目に放った言葉が印象的です。
「摂政・関白すべきものならば、この矢当たれ」
道長は、格上の伊周に物怖じせず、「もしこの私に摂政・関白に就く天命があるならば、この矢よ当たれ」と矢を放ち、連続してど真ん中を的中します。気まずい雰囲気の中、父・道隆は解散を命じました。
『大鏡』にある競(くら)べ弓は本当の話?
『大鏡』は平安後期の歴史書(物語形式)で、ある程度客観性を持つものの、道長の栄華を伝える趣旨があります。
競(くら)べ弓は、道長の勇ましく大胆な面をとりたてて強調する描き方ですが、史実としてもやや虚構性が強いと考えられています。(典拠 教材研究の基礎)
競べ弓のストーリーは、現代に置き換えれば、内閣総理大臣の私邸のダーツのパーティーのようなもの。
取り巻きは、総理の息子に勝たせるための手加減をしますが、登場したライバル(現在なら小泉進次郎風?)が「私が次の総理になるなら、ダーツよ当たれ」と宣言し、息子に大恥をかかせる場面です。
このように、古文の内容がピンと来ないと感じたときや、記憶に留めておきたいときには、現代に置き換えてみるのがコツです。
注 競べ弓の延長戦に関して2本ではなく、2回4本という説もあるようです。
「大鏡」の競べ弓の原文・現代語訳は下のサイトに掲載されています。
古文テスト対策問題100題 「光る君へ」関連回も掲載(受験ネット)