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近畿の21世紀枠候補・山城は、0.004%の激レア皆勤校! 次の100年につなぐ壮大な夢とは?

森本栄浩毎日放送アナウンサー
21世紀枠候補の山城は第1回夏の地方大会から皆勤の激レア校だ(筆者撮影)

 センバツ21世紀枠で近畿の推薦校に決まった山城(京都=タイトル写真)は、全国に15校しかない、109年前の第1回夏の選手権から、一度も途切れることなく地方大会出場を続けている「皆勤校」だ。今夏の地方大会に出たのは、全国で3715校(3441チーム)なので、全校に占める比率が、タイトルのような0.004%という数字になった次第。それほどまでに貴重な存在と言える。

皆勤の15校は東海以西に集中

 まずはその皆勤15校を列挙する。東海以西に限られていて、旭丘(愛知一中)、時習館(愛知四中)、岐阜(岐阜中)、山城(当時京都五中)、西京(京都一商)、同志社(同志社中=京都)、市岡(市岡中=大阪)、関西学院(関西学院中=兵庫)、神戸(神戸一中=兵庫)、兵庫(神戸二中)、桐蔭(和歌山中)、鳥取西(鳥取中)、米子東(米子中=鳥取)、松江北(松江中=島根)、大社(杵築中=島根)という、そうそうたる顔ぶれで、大社の今夏の活躍(選手権93年ぶり8強)は、記憶に新しいところだ。また山城は、大正7(1918)年、京都三中になるまでは、京都五中だった。

野球の吉田、サッカーの釜本の傑物を輩出

 長い歴史を持つ山城は、野球よりもサッカー名門として知られる。Jリーグ以前の日本サッカー界で、エースストライカーの象徴とされた釜本邦茂氏(80)は、日本が唯一、五輪でメダル(銅メダル)を獲得した、昭和43(1968)年のメキシコ五輪得点王でもある。正月の全国高校サッカー選手権で優勝経験があり、平成に入ってからもプロ選手を多数、輩出している。一方の野球部は、長い歴史の割には大舞台の経験が少なく、甲子園出場は4回(春1、夏3)にとどまる。昭和25(1950)年の夏の選手権に遊撃手として出場していたのが、元阪神監督の吉田義男氏(91)で、現役時代は華麗な守備で「牛若丸」と称され、背番号「23」は阪神の永久欠番。また監督として昭和60(1985)年、阪神を初の日本一に導いた名将でもある。野球、サッカーの2大スポーツで、史上に残る傑物も、山城の学び舎から巣立った。

狭いグラウンドはサッカー部と共用

 野球部は昭和36(1961)年夏に、京滋大会決勝で滋賀1位の近江を破って甲子園に出場にして以来、60年以上、聖地から遠ざかっていて、勝ち星もない。今秋は京都大会で、東山、鳥羽という甲子園経験校を破って準決勝に進出したが、惜しくも近畿大会出場を逃した。校地は、北野天満宮や金閣寺など、全国的にも有名な観光地にも近く、住宅地にあるグラウンドは非常に狭い。

照明を頼りに狭いグラウンドで練習する山城の選手たち。ネットの後ろにはサッカー部の選手たちもいて、サッカーボールが飛び出し、打撃練習が中断する場面もあった(筆者撮影)
照明を頼りに狭いグラウンドで練習する山城の選手たち。ネットの後ろにはサッカー部の選手たちもいて、サッカーボールが飛び出し、打撃練習が中断する場面もあった(筆者撮影)

 普段は半分に区切って、サッカー部と共用しているが、他校を招いての練習試合は狭すぎてできない。完全下校午後7時という時間的な制約もあり、工夫を凝らした練習でハンディを補ってきた。内野のボール回しは徹底しているし、打撃練習は防球ネットを張り巡らせて3か所で効率よく行う。

今春、聴覚障害のある選手も卒業

 部員は2学年で34人。1年生の女子マネージャーが3人いる。50年以上にわたって学校が聴覚障害のある生徒を受け入れていて、頻繁に手話弁論大会も行っている。現在の2年生が入学した時、3年生に聴覚障害のある選手がいて人工内耳を装着していた。

岸本監督は、山城から三重大で投手として活躍した。三重県の中学教諭を経て、洛西で指導。母校の監督は5年目になる。普段は、北海道出身の相原佳典部長(タイトル写真右端)と、二人三脚で指導している(筆者撮影)
岸本監督は、山城から三重大で投手として活躍した。三重県の中学教諭を経て、洛西で指導。母校の監督は5年目になる。普段は、北海道出身の相原佳典部長(タイトル写真右端)と、二人三脚で指導している(筆者撮影)

 指導する岸本馨一郎監督(40)は、「一斉に声を出すと誰が出したかわからない。皆で助けようと様々なルールを決めて、困った時に協力する姿勢が身についた」と話す。障害のある先輩を助けた経験から、現在の2年生は「ルールが徹底されているので、試合でもどっしり落ち着いていて、意識も高い」と岸本監督は話す。努力と周囲のサポートが実り、最後の夏にベンチ入りも果たした彼は、今春、国立大に進んだ。

今チームからダブル主将で役割分担

 学校は水曜日以外が7限授業で、週3回以上、練習後の塾通いをしている選手もいて、部員全員が「文武両道」を実践している。主将の高尾輝(2年)は、「勉強もしっかりやりたいと思って」山城を志望したという。

攻守の要である高尾は、「守りではミスを続けないこと。攻撃では1試合8安打以上」を目標にしている。「勉強も野球もしっかり継続してやることが大事」と、皆勤をつないでくれた先輩への感謝を忘れない(筆者撮影)
攻守の要である高尾は、「守りではミスを続けないこと。攻撃では1試合8安打以上」を目標にしている。「勉強も野球もしっかり継続してやることが大事」と、皆勤をつないでくれた先輩への感謝を忘れない(筆者撮影)

 また今チームからダブル主将制にしていて、高尾には捕手として試合全般を任せ、練習メニューや生活面については、三塁手の池垣雄大(2年)が担う。岸本監督は、「役割分担することで、リーダーシップのある高尾と、気配りができる池垣のいい面を生かしたい」と、狙いを話す。しかし、高尾が鳥羽戦で顔面に死球を受けて骨折し、準決勝と3位決定戦では、前チームからエース格だった井上瑞貴(2年)ら、看板の投手陣が四死球を連発。大事な試合に連敗し、高尾の存在の大きさを痛感させられた。

選手たちへ「皆勤継続とユニへの誇り」と監督

 3位決定戦で北稜に敗れて近畿大会出場は逃したが、高尾が復帰した11月4日には、雪辱戦で勝った。「(3位決定戦は)高尾がいたら勝っていた、とは言わないが、この試合で皆が吹っ切れたと思う」と、岸本監督は北稜をリスペクトしつつも、選手たちの成長に手ごたえを感じている。「守らないといけないのは、皆勤を続けることと、誇りを持ってユニフォームを着ること」と、選手たちに言い続ける岸本監督には、「皆勤15校が、次の100年へ向けてつなぐ、皆勤校だからこそできる」壮大な夢がある。

皆勤15校で次の100年につなぐ夢

 毎年6月に、皆勤つながりで米子東と練習試合を行っている。前チームでは松江北も参戦した。米子東の紙本庸由監督(43)とも、「皆勤校で何かできないかなあ」と話しているそうだ。愛知以西に集中しているため、15校が一堂に会することは不可能ではなさそうだが、集まるとすれば夏休み期間中。この時期、秋の大会が始まっている県もあり、思ったほど簡単ではなさそうだ。皆勤校だけに、全校が集まらないとシャレにもならない。夏の大社に続いて来春、山城が甲子園に登場すれば、その機運も一気に高まりそうな気がする。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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