先住民に監禁された、孫太郎の軌跡
江戸時代は厳しい鎖国体制が敷かれていたこともあり、自由に海外に行くことはできませんでした。
しかし中には遭難したことによって思わぬ形で海外に行ってしまう人もおり、今回紹介する孫太郎はその一人です。
この記事では孫太郎の漂流先での軌跡について紹介していきます。
海賊に連行された孫太郎
時は1764年、元旦の朝。孫太郎たちは長い漂流の末に、ついに見えたる陸地に心躍らせました。
しかしそれは我らが知る日本の風景ではなく、マングローブの林が生い茂り、聞いたこともない鳥たちが謎めいた声で騒ぐ、異国の地であったのです。
彼らは薩摩か琉球と思ったものの、どうやらもっともっと遠くまで流されていました。
「これがどこか、神のみぞ知る」と一行はひたすら南へ南へと船を漕ぎ、15里ほど進んだところで浜辺に降り立ちました。
が、そこで待ち受けていたのは、赤い頭に変わった笠をかぶった槍や鉄砲を手にした300人もの先住民たちだったのです。
孫太郎たちはすっかり身ぐるみを剥がされてしまいました。
彼らの懇願に、先住民たちは唐米の混じった芋を分けてくれ、そしてそのままカラガンという村へと連行されました。
そこでは酋長が待ち構え、罪人のように村はずれの家に監禁されたのです。
無力な日々、故郷を思い出してはただ涙を流すしかありませんでした。
だが、運命の悪戯は止まりません。次々と仲間が病に倒れ、連れて行かれる者、帰らぬ者。
まるで自分たちは、生簀に囲まれた魚のごとく、この先どう料理されるかもわからぬ運命だと、孫太郎は後に語っています。
やがて監禁生活は終わりを迎えたものの、それは自由ではなく、さらなる試練の始まりでありました。7
人残った孫太郎たちは、奴隷商人に売られ、さらには海賊たちに連行されてしまいます。
船は西へ向かい、スールー諸島へと到着しました。
新たな地での生活が始まるも、再び仲間は失われ、孫太郎が「兄」と慕った幸五郎もまた病に倒れます。
彼の遺体を海に流すと言われたものの、孫太郎はせめて土に埋めてくれと願い、丘の上にひっそりと埋葬したのです。
参考文献
岩尾龍太郎(2006)「江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚」弦書房