小平奈緒が韓国記者との取材で明かした「差し指ジェスチャー」の理由
「どうしても直接会って話を聞いてみたいのだけど、協力してくれないかな」。平昌五輪の閉幕直後に国際電話でそう連絡してきたのは、旧知の間柄であった一般紙『中央日報』のチョン・ヨンジェ記者だった。
1965年に創刊された『中央日報』は、『朝鮮日報』『東亜日報』と並ぶ韓国3大新聞のひとつとして有名だ。チョン・ヨンジェ記者はその『中央日報』で長らくスポーツ記者として活躍。筆者とは2001年からの付き合いで、これまでも数多くの現場で取材をともにしてきた先輩記者である。
そのチョン・ヨンジェ記者が「どうしても話を聞きたい」と筆者に協力を要請したのが、平昌五輪・女子スピードスケート500mで金メダルに輝いた小平奈緒であり、その気持ちは十分に理解できた。
何しろ小平奈緒は、平昌五輪開幕前から韓国では有名人だった。開幕前は“平昌五輪を盛り上げる7大美女アスリート”たちに負けない知名度を誇っていたし、大会開幕後はライバルだったイ・サンファとの“抱擁”と“友情”が話題になった。スポーツ記者ならばインタビューしたいと思うのは当然だろう。
だが、平昌五輪以降、ふたりはさらに人気者に。イ・サンファはインタビュー取材だけではなく、有名月刊誌のグラビアにまで登場するほど引っ張りダコであるし、小平奈緒も忙しい日々を過ごしている。
「日本メディアでも簡単ではないので難しいのでは…」。最初にチョン記者から相談を受けたとき、そう答えるしかなかった。
だが、2013年に第23回イ・ギルヨン体育記者賞(韓国で権威あるスポーツ記者賞)も受賞したベテラン記者は諦めなかった。アジアスピード連盟(ASU)の会長などにも協力を仰ぎ、小平奈緒にラブコールを送り続け、この6月に東京でついに取材を実現させたのだ。
その取材現場に通訳兼記者として同席したが、まず最初に感銘を受けたのは小平奈緒の丁寧な受け答えだ。終始笑顔を絶やさず、「五輪が終わって、たくさんの方々から“おめでとう”と声をかけられます。いつもサンファのこととセットで話しかけられるくらいです(笑)」と、ときには冗談を交えながら平昌五輪の思い出を語ってくれた。
そんな小平との取材を内容濃いものにしようと、チョン記者はわざわざイ・サンファにも会って東京にやってきたという。
平昌五輪後、各メディアに引っ張りダコで5月に出演したテレビ番組では「緊張した素振りを隠すためにいつも笑顔だった」など、さまざまな五輪裏話を明かしているイ・サンファ。
ただ、メディア露出も5月までで6月には済州島に出向き、所属するスポーツTOTOスケート団の選手たちとともにロードバイクにまたがる日々だという。
スピードスケート選手にとって、自転車トレーニングはオフシーズンの定番。つまり、イ・サンファはまだ現役を続ける意志があるわけだが、小平はそんなイ・サンファにエールを送ることも忘れなかった。
「期待に振り回されたり、結果が出なくなかったからやめるというのではなく、サンファが大好きなスケートを、他の人のためでなく自分のためだけに滑り続けてほしい」
トップアスリートとして互いに競い合い、「スケート仲間」として友情を深めてきた小平とイ・サンファの関係を改めて感じさせてくれる言葉だった。ふたりは4月に東京で再会するなど今も親交を深めているようで、チョン・ヨンジェ記者も嬉しそうだった。
何よりもチョン・ヨンジェ記者が今回の取材でもっとも聞きたがっていたことに関する、小平の答えが印象的だった。
「ご自身のレースを終えたあと、歓喜する観客席に静寂を促すポーズをします。私はイ・サンファ選手の抱擁以上に、あのシーンがもっとも印象的でした。あのときの心境を聞かせてください」
この質問に小平はこう答えたのだ。
「あのときの私は冷静でした。私のレースの後に2組が残っていましたし、すべての選手がフェアに全力を尽くしてこそ満足な結果が出ると考える。終わったからといって、良い記録が出たからといって感情を爆発させてセレモニーをするのは好きではありません」
―しかしファンは良い記録を立てた時に喜んで歓呼する権利があるのではないか。
「スポーツで最も重要なのは選手だ。観衆が喜んで歓呼する瞬間を抑制させたとすれば申し訳ないが私の行動に後悔はない。なぜなら五輪は選手のための舞台で、そうしてこそ成功するためだ」
フェアプレー精神を重んじ、五輪はアスリートが主役であるべきという小平のこの言葉が、私たちを清々しい気持ちにさせたのは言うまでもない。
「想像していた以上。小平選手は技術も精神力も人格も素晴らしい。その“心”が金メダルだ」
取材を終えたチョン・ヨンジェ記者が語ったこの一言も忘れられない。しなやかで凛とした小平奈緒の人間力に、韓国人記者も魅了されてしまったようだった。