11年前のモウリーニョとのインタビュー、変心した名将はなぜパリSG戦で敗れたのか?
モウリーニョの誤算
「コーナーキック二本を守れないのなら、それは我々が勝利に値しなかったということだ」
欧州チャンピオンズリーグ、パリ。サンジェルマン(以下パリSG)に延長戦の末に敗れたチェルシーの指揮官、ジョゼ・モウリーニョの口調は皮肉めいていた。
「敵は一人少ない展開で攻めてくるしかなかった。シンプルな戦い方を選択できた。我々はだからこそ、メンタル面でいい準備をしておく必要があった。その点、選手たちは強い責任を感じて試合に挑み、2点目を入れ、時間稼ぎをしながら、選手を入れ替え・・・とても頭を使った試合をしたと言える」
にもかかわらず、彼のチームは敗れた。いや、厳密に言えば2-2で引き分けて敗れてはいないが、2試合合計のアウエーゴールルールで敗れ去った。パリSGの得点はCKからで114分。あと6分、守りきれなかった。
チェルシーはパリSGと凄まじいインテンシティの攻防を繰り広げている。モウリーニョは選手たちの闘争心を最大限にかき立て、肉弾戦、消耗戦を仕掛けてきた。セットプレーでは一気に圧力をかけ、ゴールをこじ開けている。算段通りだったが、猛り狂ったジエゴ・コスタはどこか我を忘れているように見えた。モウリーニョの率いるチームは高い戦闘力を誇るが、レアル・マドリー時代のぺぺやアルベロアのように選手が凶暴性を持ち、混乱を招くことがある。
勝利への並外れた執着は功罪いずれもあり、前者によってモウリーニョは世界最高の指揮官になったと言える。
しかしこの日は、その采配が凶と出た。
相手より一人多い状態にもかかわらず、ほとんど攻める意志を見せない。時間の経過をひたすら待った。選手は必然的にその緊張に追い立てられた。パリSGの決勝点となったチアゴ・シウバの得点シーン。エリア内でテリーが味方のケーヒルをマークするという珍事が起こっている。ピッチ内では想像を超える破綻が起きていたのだろう。フットボールの基本はボールゲームにある。それを完全に捨て去ると、選手の感じるストレスは尋常ではない---。
11年前のインタビュー、意外なクライフへの憧れ
2004年春、筆者はFCポルトでチャンピオンズリーグで準決勝進出を決めたばかりのモウリーニョをクラブハウスを訪ねたことがある。当時41歳だった彼は、若白髪が交じった短髪で、その眼光鋭く、感電しそうな覇気を放っていた。しかしその若々しさ故だろうか、インタビューでは闊達さも失われていなかった。
「ヨハン・クライフにはもっと現役監督を続けて欲しかったよ。彼がこれほど早く一線を引いてしまうのは残念でならない」
その後、親の敵のように罵り合うオランダの伝説的名将についても、彼は素直に絶賛していた。あるとき同じ便に乗り合わせ、自らクライフの席に近寄って教えを乞うたほどだったという。
「(クライフと)戦術的布陣は異なるが、私とコンセプトは同じ。ボールポゼッションが基本にある。ボールを失って後ろから追いかけ回し、あちこち駆け回れば選手は疲れてしまう。そんな無駄なことはない。先日、ある監督と電話で話をしていたんだが、彼は『試合から三日も経ったのに選手が疲れていて困る』と嘆いていた。三日も疲れたまま? 我々にはあり得ない。なぜなら、ボールをキープしていればそんなに疲れることはないからね」
今では信じられないが、モウリーニョの原点はポゼッションからのアタッキングフットボールだった。
彼はその後、ボールゲーム哲学を裏切ることになる。
「敗者には何も残らない」
それが新たな真理となった。
勝利とは、それほどの媚薬である。