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もうすぐセンバツ! その2 一流ホテルマンからの転身/松商学園・足立修監督

楊順行スポーツライター
元ホテルマンの足立監督、ネクタイ姿もよく似合う

つねづね思っていたのだが、高校野球の指導者には、社会人野球の経験者が多い。社会人というアマチュアトップの技術なり、理論なりを高校生に伝えれば、チームの強化に直結するからだろう。現に、21日開幕のセンバツ出場32校のうち、社会人野球出身の監督が8人いる。むろん、全盛期に比べて企業チームの数が減り、さらに合理化の波があり、現役引退者の受け皿が減っているのが一因にあるだろうが……。

高校野球の社会人出身監督のなかでも、現役時代の実績が飛び抜けているのは、松商学園の足立修監督だ。1979、80年の夏、松商学園の野手として甲子園の土を踏み、早稲田大時代は投手に転向して通算19勝、全日本にも名を連ねた。大学卒業後は、社会人のプリンスホテルへ。79年3月に社会人野球に参入した新興チームだが、足立が入社する86年には、すっかり都市対抗の常連になっていた。

大学時代に肩を故障したため、プリンスホテルではふたたび野手に転向。89年には、主将として都市対抗優勝に貢献している。そして、95年から廃部する00年までは、強豪の監督を務めた。いわば、アマチュア球界の大物だ。そういう足立が、母校・松商学園の監督になったのは11年8月のことだった。

当初、監督就任の打診には、ためらいもあった。プリンスホテル旗艦店の高輪・品川5340室の管理支配人という、要職にあったためだ。いわば、超一流のホテルマン。足立が当時、こんなふうに語っていたのを思い出す。

「会社にはお世話になりましたし、愛着もありました。ただ、野球部の廃部から10年という区切りを終え、東日本大震災という未曾有の出来事も、生き方を考える契機になりました。やはり、チャレンジするべきじゃないか……」

かくして、11年7月15日にプリンスホテルを退社した足立は、学校法人の広報・情報課長兼野球部監督となる。ほどなく、11年夏の長野県代表・都市大塩尻の見学に訪れた甲子園では、

「あの雰囲気に、鳥肌が立ちました。リニューアルしても、“甲子園は緑色”という私のイメージのままでしたね」。

名門も、甲子園白星から遠ざかること四半世紀

松商といえば、夏は全国最多タイの35回、センバツはそこまで15回の出場を誇る強豪だ。28年夏には全国制覇を果たし、ほかにも準優勝が春2回、夏1回という高校球界の名門ブランド。だが、足立が就任した時点で夏は3年、春は20年甲子園から遠ざかっている。13年に創部100周年を迎えるにあたり、大物OB監督を迎えて強化に本腰を入れよう……というわけだった。

ただ、いくら実績があっても野球を離れて10年である。ノックを500本も打てば手の皮がむけ、筋肉痛に悩まされた。それでも、選手の適性を的確に見抜いてコンバートを敢行するなど、社会人仕込みの手腕で、11年の秋には北信越大会でベスト4に進出する。強化は、順調に滑り出したかに見えた。

だが12年夏は3回戦、13年夏は準々決勝で敗れた。そればかりじゃない。部内の暴力問題が発覚し、昨年2月には7カ月の対外試合禁止処分が下るのである。直後、足立監督は「同じ過ちを繰り返さないように」と「野球部改革」を提唱し、行動規範として半世紀以上受け継がれてきた「部員心得」15条の改定を選手たちに呼び掛けた。

14年は、3年生が夏の大会に出場できなかったため、現3年生たちは7月7日に新チームをスタートした。

「野球ができる喜びがあるから、それぞれが自分を律し、全力を尽くすことを考えるようになる。だから秋は自然体で臨めたし、全力疾走を徹底できたと思います」

と足立監督のいうとおり、試合をすることがうれしくてたまらない選手たちは、秋の長野県大会で優勝すると、北信越でも決勝まで進出。春に限っては、準優勝した91年以来、24年ぶりの甲子園出場を果たすことになる。

長野県・松本市内にある松商学園のグラウンド。道路をはさんで薄川が流れ、ちょうど一塁線と平行する土手には、平日でも練習を見学するファンがずらりと並ぶ。いわゆる土手ファンである。足立監督はかつて、こんなふうに語っていた。

「練習方法などは、時代時代で変わっていいと思います。もちろん、私の高校時代とも違う。ただ、グラウンドも当時のままなら、土手で見守ってくださる市民の方もそうなんです」

監督に就任して何日かたった後、土手ファンの一人から声をかけられたことがある。オレだよ、覚えてるかい……。

「私の在学中から、ずっと通っている方でした」

名門の、24年ぶりの甲子園白星を見たい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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