尼崎連続変死事件有罪判決:精神鑑定「学習性無力感」と責任能力
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壮絶な事件でした。そして、難しい判断が問われています。
■「責任能力」とは
刑法によれば、責任のない者は罰しません。責任が弱い者は罰を軽くします。たとえば、私がバイト先の上司に「このボタンを押して」と指示されて押したボタンが爆弾のボタンで、人が死んだとしても、私はまったく知らなかったわけですから、罰せられません。
1歳児がとなりの子に噛み付いたとしても、刑法で罰せられません。善悪の判断ができず、責任能力がないとされるからです。15歳の子がそんなことをすれば、責任を問われますが、大人よりは責任能力が弱いので、罰は軽くなります。
統合失調症などの心の病で、善悪判断が全くつかない、自分の行動をコントロールできない人が、全裸で外を歩いても、皇居に無理やり入ろうとしても、警察官を押し倒して怪我をさせたとしても(統合失調症の人は普通はおとなしいですが)、「心神喪失」状態と認められれば責任能力はなく刑罰を受けません。「心神耗弱(しんしんこうじゃく)」とされれば、責任能力が弱く、刑罰は軽くなります。
統合失調症ならばいつも心神喪失ではなく、その時々の状態が精神鑑定などによって調べられます。
■今回の場合・これまでの場合・人格障害・マインドコントロール
今回は、精神鑑定の結果から弁護側も「診断名のある精神疾患ではない」と言っています。つまり、「○○病」と名前がつくような精神の病気ではないわけです。
心の病は、分類や診断名が時代によって変わります(精神分裂病が統合失調症になったように)。精神鑑定で近年よく聞くのが、「人格障害(パーソナリティ障害)」です。
人格障害とは、個性の範囲を超えた大きな人格のゆがみです。精神鑑定の結果、被告は反社会性人格障害(以前の言葉だと精神病質)とか、境界性人格障害といった診断がつくことがあります。弁護側は、だから責任能力がない(責任無能力)、弱い(限定責任能力)と主張することもあります。しかし、人格障害だけでこれらが認められることは、ほとんどありません。
オウム事件のときは、「マインドコントロール」が話題になりました。弁護側は、精神鑑定を行ってマインドコントロール状態だったと主張しました。しかし、裁判所は責任能力がないとは判断しませんでした。
■学習性無力感
今回の精神鑑定では、「学習性無力感」という用語が使われています。これは、度重なる失敗経験によって、自分の努力は無駄だと思い込まされている状態です。たとえば、監禁状態で絶対に逃げられない、逃げようとしたらひどい罰を受けたという経験を重ねると、人間は鎖につながれていなくても逃げられなくなってしまいます。
この状態は、精神疾患(心の病気)ではありませんが、弁護側は、学習性無力感状態のために、角田元被告に服従するしかない状態だったと主張したわけです。
■心の状態と責任能力
私は、マインドコントロールも、学習性無力感も、人格障害も、理解したいと思います。これらは、一般の人が思っている以上に、とても強力です。責任能力がない、弱いという主張にも、心理学者として賛同したいと感じます。
しかし、心理学者、カウンセラー、教師や宗教家などが、この人だけを責められないと判断するのと、司法の場における「責任能力」は同じではないでしょう。
実は、統合失調症に関しても同様だと思うのですが、それらの心の問題について詳しい人が調べれば調べるほど、様々な事柄がでてきます。本人だけの責任は問えないことになります。
しかしそうすると、多くの犯罪者たちの責任が問えないことにもなりかねません。社会の秩序を保つために、それでよいのかという疑問もわくでしょう。
人には、様々な事情、環境があり、様々な心の状態があるけれども、法的な心神喪失(責任能力がない)、心神耗弱(責任能力が弱い)とするのは、限られたものにしようというのが、現在の考え方です。私も、それはいたしかたないと思います。
オウム事件のマインドコントロールも、これまでパーソナリティ障害の診断が出たケースも、責任能力はあり有罪だが、「情状酌量」(同情できる諸事情を考慮して刑罰を軽くする)とされました。
今回の判決でも、同様でした。
■裁判員制度
私は、個人的には裁判員制度に賛成です。しかし、今回も難しい判断が求められました。精神の状態、様々な心理学の概念は、それほど浸透していません。
統合失調症、精神病、神経症、精神鑑定などと聞いて、きちんと説明できる人は、それほど多くはないでしょう。ましてや、マインドコントロール、洗脳、学習性無力感といったことを最初から理解しておけと言うのも無理な話です。
指紋、声紋、ポリグラフ(うそ発見機)、DNA、人格障害、マインドコントロール、学習性無力感と、次々新しい技術、用語がでてきます。あまり判例がない、新しい判断が求められるときには、普通の裁判以上に困難があるでしょう。
心理学者として長い目で見て申し上げれば、裁判員裁判でこういう議論が行われるのであれば、学校で血液型やDNAの勉強をしていくように、精神病や心理学の学習も進めていただければと思います。裁判の問題だけはなく、人間理解を深めるためにも有意義ではないでしょうか。
■心の問題とこれから
心の問題があるからと言って、簡単に責任能力が弱かったとは言えないとするのが、現状です。しかし、少しずつ変化はしています。「劣悪な環境」というだけではなく、「虐待」や「トラウマ」や「解離性障害」や「人格障害」といった考えを通して、被告人の理解が進み、より良い裁判が行われることもあるでしょう。
あるいは、体の傷があれば「傷害事件」でも、「心の傷」の場合は以前なら認められませんでした。しかし最近では、「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)を傷害と認める判決も出ています。
私たちは、少しずつ心の問題を重視するようになってきたのでしょう。
■今回の事件と判決
裁判としては、「情状酌量」しかできなかったかもしれません。しかし私たちは、心の問題を理解し始めています。逆らえなかったという事情を、洗脳やマインドコントロールや学習性無力感という言葉を使うことで、深く理解し始めています。
どの事件の加害者に対しても、安易な同情はできません。しかし、様々な観点から「理解」を深めることは、本人の更生と犯罪予防と、より良い社会作りのために大切なことではないでしょうか。
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「心の王国」崩壊(新潟青陵大の碓井真史教授) :角田美代子容疑者自殺 尼崎連続変死事件(日本経済新聞)
毎日新聞 2012年10月26日 大阪夕刊
新潟青陵大大学院の碓井真史教授(社会心理学)は「家族の誰かを悪者にし、家族を分断するのはカルト宗教に典型的な手法。家族愛が働くので警察には通報せず、お金も集めてしまう。それが結果的に家族の崩壊を招く」と分析する。一方で美代子被告は、養子縁組などで自分の周りに「疑似家族」を作った。碓井教授は「一度そこに入れば他に帰る場所はなく、仲間とともに罪を犯せば一層抜け出せない。結婚した瑠衣被告も本当の家族だと言い聞かせ、必死にしがみついたのでは」と内面を読み解いた。