「なぜ青函トンネルはJR北海道の区間なのか」という疑問について
大赤字と伝えられる北海道新幹線。
一説によると年間赤字は100億円近くに達するらしい。
東京駅を出る新函館北斗行の「はやぶさ」はいつも満席に近い乗車率ですが、仙台で半分が下車します。
仙台から2~3割の乗車があるものの、盛岡、八戸で多くの乗客が下車。新青森を出るとお客様は1~2割程度。
ほとんどガラガラの状態で北海道新幹線の区間へ入ります。
経営立て直しが急務なJR北海道が、国策で計画されて、予定よりも30年も遅く、それも函館までの部分開通の新幹線を持たされることは何となく理不尽な気がしているのは筆者だけではないと思いますが、では、「なぜ年間100億円もの赤字が出るのか。」というと、考えられる大きな原因というのは青函トンネルの維持管理費だと考えます。
筆者のバイブルである時刻表を見てみると。
JTB時刻表で確認すると新青森までがJR東日本であり、新青森から先はJR北海道の区間になっています。
「えっ? どうして?」
そう思われる方も多いのではないでしょうか。
新青森を出ても青森県内に奥津軽いまべつという駅が存在します。
本当ならそこまでが東日本のはずです。
そして青函トンネルのちょうど中間に位置する津軽海峡直下の青森県と北海道との道県境で会社の区間が分かれるのが自然ではないでしょうか。
時刻表の巻頭の地図を見てみましょう。
新幹線の新青森を出てすぐのところに赤いマークがあります。
地図の記号によると、この赤いマークは「JR旅客会社の境界」を示すもの。
東北新幹線は新青森までが東日本で、新青森からは青森県内であっても北海道の路線なのです。
そして、実際問題として中間地点ではなく、青函トンネルは全区間JR北海道が維持管理しているということになります。
もう一つ同じようなところとして、瀬戸大橋があります。
時刻表の巻頭地図で瀬戸大橋線を見てみると、やっぱり児島を出てすぐのところに会社間の境界線があって、瀬戸大橋はJR四国の路線に入っています。
もう一つ、西日本と九州を分ける関門トンネルはどうかというと、
こちらの境界線はトンネルの真ん中、山口県と福岡県の県境と同じ場所にあります。
ただし、調べてみると関門トンネルの所有はJR九州となっています。
このように青函トンネルも瀬戸大橋も関門トンネルも、どれもが本州側の会社ではなくて、島会社と呼ばれる海の先に渡った側が維持管理するようになっています。
どうしてなのでしょうか。
日本の田舎はみんな東京を向いている
筆者は学生時代にオートバイで各地を走っていましたが、ある時、長野県側から埼玉県側へ山越えの峠道を走っていた時のことです。
詳しい場所は忘れましたが、川上村から奥秩父へ抜ける小さな道路だったと記憶していますが、こんな山道が…と思えるほどきちんと舗装されていて、とても走りやすい道路でした。
ところがそれは長野県側の話で、県境を越えて埼玉県側に入った途端にそれまでの舗装道路が未舗装の砂利道になりました。
長野県から埼玉県に向かうということは東京方面に向かっているのですが、東京から遠い長野県の山道は舗装されていて、東京に近い埼玉県の道路は未舗装の砂利道ということがとても不思議に思えた筆者は、学生なりにいろいろ調べたところ、「日本の田舎はみんな東京を向いている。」ということに気がつきました。
筆者は東京生まれの東京育ちですので、地方に住んだ経験がありませんでしたが、ちょうどそのころ大学で交通論を専攻していたこともあり、各自治体ベースで考えると、それぞれの自治体が東京に向いている道路に力を入れる傾向があるということがわかりました。
つまり、長野県としては東京に向いている埼玉県方面への道路に力を入れていたので、山道でも舗装道路だったのですが、埼玉県としては東京を向いた場合に長野県側の道路は背中に当たりますから、あまり力を入れてなかったのです。
これは筆者が学生だった40年近く前の話ですから、今の時代は埼玉県側の道路も舗装されているとは思いますが、地元自治体が力を入れるのは東京に向いている側であり、東京とは反対側の、背中側に当たるところは、今でも後回しになっているのではないかと思います。
そのことを簡単な図にしてみましたが、この図で左側の東京を向いていると考えた場合、A県にとってはB県側は背中に当たります。
ところがB県にとってみると、A県側は正面に当たりますから同じ道路でも力の入れようが違っていたということになります。
ローカル鉄道が置かれた構造
これと同じことを道路ではなくてローカル鉄道で考えてみましょう。
一番左が分岐駅があるA市。
このA市には特急列車が走るJR路線があって、県庁所在地であったり東京方面への列車が発着していると仮定します。
そのJR路線から分岐するローカル線がA市からB町を通ってC村の終点へ延びています。
こういう路線構造が、だいたいどこの田舎のローカル線にもあります。
一番人口が多いのがA市であり、内陸に入っていくにしたがって、B町、C村と人口が減っていきますが、これも全国共通でしょう。
こういう地域の場合、A市は自分の町から県庁所在地方向、あるいは東京(大阪)などの大都市方面を向いていますから、簡単に言うと奥へ入っていく、つまり背中側に当たるローカル支線には興味がありません。
ところが、B町やC村にとってみたら、東京方面からの入口である分岐駅へ向かうこのローカル鉄道が無くなったら、自分たちの地域は陸の孤島になってしまいますから、鉄道に対する思いが強い傾向があります。
これが沿線の自治体間の温度差というもので、入口の自治体は奥に入っていく鉄道にはあまり情熱がありませんが、奥の自治体になればなるほど皆さん熱くなってくるのです。
そして、たいていの場合は入口の自治体が一番規模が大きく力があって、奥の自治体はだんだんと小さく、弱くなっているのが日本の田舎の現状です。鉄道路線の維持管理には、奥にある小さな自治体が大きな負担を強いられるという構造が全国的に存在しているということになります。
JR東日本には青函トンネルは不要である
こういう全国共通の東京志向を考えた場合、青森県も岩手県も秋田県も、基本的には皆さん東京を向いていますから、背中側に当たる青函トンネルは必要性が低いものということになります。
ところが、北海道にとってみたら、東京へ向かう重要なパイプが青函トンネルですから、とても重要なルートということになります。
「だったら青函トンネルは北海道がやりなさい。」
おそらくこれが国が取り決めた大人の事情です。
まして、一般論として、交通というものは起点から遠くなるにつれて需要が先細りする傾向がありますから、東北新幹線の場合は起点である東京から離れるにつれてだんだんと輸送量が減って来て、新青森でさえ3割程度の乗車率というのが実際のところですから、そこからさらに需要が先細りする区間は、「じゃあ、全部北海道さんにお願いしましょうか。」という思考になるのは当然といえば当然ですね。
同じことが瀬戸大橋にも言えます。
日本はみんな東京を向いているという原則に従えば、岡山県の人は大阪、東京方面が正面になりますから、瀬戸大橋線は背中側に当たります。
ところが四国の人から見ると、瀬戸大橋は大阪、東京へ向かうために重要なパイプになります。
こうして当然のように瀬戸大橋線は、JR西日本ではなくてJR四国が管轄するところとなるのです。
このように、自治体ばかりでなく、JRの会社間でも、体力がない側が、大きな負担を強いられることになる。
これがこの国の実際だと筆者は考えます。
では青函トンネルは要らないのか?
では、青函トンネルは要らないのでしょうか?
筆者はそうは思いません。
なぜなら、交通の歴史を見る時に、青函トンネルをなぜ作ろうかと思ったのか。そこに私たちの先人たちの思いがあるからです。
それは1954年(昭和29年)に発生した青函連絡船の洞爺丸事故の教訓です。
台風で青函連絡船が沈没し、1000人以上の犠牲者が出た海難事故です。
同じように、瀬戸大橋がかかる区間は岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ宇高連絡船という鉄道連絡船で結ばれていましたが、1955年(昭和30年)に沈没事故を起こし、修学旅行へ向かう学生たちなど多くの犠牲者が出ました。
その時、私たちの先輩たちは「もしここにトンネルがあったら。もしここに橋があったら、こんな犠牲を出さずに済んだかもしれない。」という反省から、国を挙げてトンネルや鉄橋の工事に取り組んだのです。そして多くの年月とたくさんのお金を費やして完成したのが青函トンネルであり瀬戸大橋でありますから、現代を生きる私たちは、そういう先人たちの反省と願い、そして努力の上に成り立っているこうしたインフラを有効活用することが求められていると筆者は考えます。
だから、青函トンネルも瀬戸大橋も必要であり、それらを引き継いだ私たち現代を生きる人間は、きちんと有効活用していかなければならないという使命があると筆者は考えるのです。
ただし、そういう多くの犠牲の上に今存在している青函トンネルや瀬戸大橋のようなインフラを、経営が厳しい鉄道会社が維持管理していくという、そういう仕組みは変えなければならないと思います。
さらに、これから先のことを考えたときに、北海道新幹線の札幌延伸は本当に必要なのかということも議論されています。
筆者は、北海道新幹線の札幌延伸は必要だと考えます。
どちらかというと札幌-函館間を先に作ればよかったと思うほどです。
なぜなら、札幌、函館という都市間を考えた場合、多くの潜在需要が眠っているわけで、新幹線ができることによってその潜在需要が必ず顕在化しますから、北海道の利益になるのはもちろんですが、国益にもなるからです。
でも、それをJR北海道にやらせる必要があるのでしょうか。
ただでさえ経営が立ち行かないような会社が、さらに大きな負担を抱えることになるとすれば、潜在需要を顕在化するのではなくて、顕在需要を潜在化させてしまう危険があると、今までのJR北海道のやり方を見てきて筆者はそう考えます。
利用者数がどんどん右肩下がりになって来ているということは、顕在需要を潜在化させていることだと筆者は考えます。
だとしたら北海道の利益になる、あるいは国益になるどころか、逆の効果になるということですから、そろそろ考え方を変えるべきだと思います。
こういう大きなお荷物を押し付けておいて、都合の良い時だけ「お前さんたちは株式会社だろう。きちんと経営しなさい。」と言うのは、いかがなものでしょうか。
なにしろみんな東京を向いているということは、遠くなればなるほど負担が増えるということになるのですからね。
今、日本全国を歩かせていただいて、全国どこでも皆さん東京を向いていることを感じますから、その部分が地方の皆さんにとっての落とし穴にならなければ良いなあと考えているのです。
※文中の写真はすべて筆者撮影です。