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トライアウトを経験した、元ソフトバンク投手が語る当日朝の心境とは?

田尻耕太郎スポーツライター
元ホークスの近田怜王。現在はJR西日本の職員

今日12日、甲子園でトライアウト開催

今年の「12球団合同トライアウト」が、11月12日に甲子園球場で実施される。プロ野球選手として現役人生を懸けるこの舞台は、野球ファンの注目を集める場にもなっている。

その前夜、大阪で、かつてトライアウトの舞台に立った野球人と会った。

近田怜王。

報徳学園高では3年夏にベスト8に進出するなど甲子園3回出場したサウスポー。‘08年にドラフト3位で福岡ソフトバンクホークスに入団するも4年目で戦力外に。最後は外野手だった。

‘12年11月、仙台で行われた12球団合同トライアウトに投手として参加している。その前夜、そして当日朝の様子を回想してもらった。

はじめは、地方に行くという意味では普段の遠征と変わらなかった感じでした。ただ、僕らはチームに所属しているときは、チームみんなで移動するし、宿舎もチームがとってくれます。それが完全に一人っきり。ホテルも自分でビジネスホテルを予約しました。現地に着いたときに、すごく違和感を覚えました。

夜は牛タンを食べたのを覚えています。せっかく仙台に来たからという感じで。翌日に大事なトライアウトを控えているわけだからお酒を飲むわけにはいきません。一人ぼっちでしたしね。

そして夜中。次の日に備えて眠らないといけないんだけど、僕はなかなか寝つけませんでした。それだけはすごく覚えています。布団に入るけど、目が冴えて、眠れないんです。それまで不安はありながらも、正直期待もありました。まだ若かったし(当時22歳)、投手で受けるけど、もしかしたら育成でもいいから獲ってくれる球団があるかな、と。

でも、とにかく眠れませんでした。どうやって寝たか覚えていない。ただ、翌朝はばっちりと目が覚めた。気が張っていたんでしょうね。

朝、球場に向かう。

僕はタクシーで向かいました。電車で行くことも考えました。クビになって、お金に余裕があるわけではなかったし。実際に前の日には電車の時間と行き方を調べていましたから。でも、僕はタクシーを使った。『プロ野球選手』という自分のプライドを持って、球場に入りたかった。それは最後まで本当に考えましたね

JR西日本でプレーし、現在そのまま会社員

果たして、‘12年のトライアウト。近田の記憶「打たれた記憶だけ」。打者4人と対戦して最初の打者の古木克明(元オリックスなど)からは140キロ直球で見逃し三振を奪ったが、中村真人(元楽天)らにヒットを浴びるなどその後の3人には2安打1四球と好結果は残せなかった。

その後、NPB球団からのオファーはなく一旦は引退を決意するも、社会人のJR西日本で3年間プレー。‘14年には都市対抗野球に出場した。昨年をもって選手生活にピリオドを打ち、現在はJR西日本の職員として働いている。「普通に駅のホームに立っていますよ」と笑顔を見せた。

”聖地”甲子園で、もう一度花咲かせられるか

今年、トライアウトは甲子園球場で行われる。プロ野球選手ならば誰もが、かつては栄えある未来を夢見て目指した舞台。そこで行われるトライアウトというのは何とも皮肉だ。

しかし、近田は「僕の考えは違います」と言った。

「野球人にとって甲子園は聖地そのもの。最後に、その場所で勝負をさせてもらえる。もう一度花を咲かせられるか、それとも…。もしダメでも、甲子園で精いっぱいやってダメならば諦めもつくと思うんです」

11月12日、果たしてどれだけの選手に朗報が届くのか。運命の一日となる。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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