集中するけど執着しない。トレエン斎藤とノンスタ井上が「ブサイク」なのにモテる理由
先月28日放送の『有吉ジャポン』(TBS系列)で、「密着!人生が激変したモテ芸人の華麗なるセレブ生活」と題してトレンディエンジェルの斎藤司とNON STYLEの井上裕介がブサイクなのに異常にモテていることがネタとして取り上げられていた。
ルックスに関する評価は美男美女が多い芸能界での相対的なものであり、彼らを本気でブサイクだと評するならば、我々視聴者の大半はブサイク(もしくはハゲ)に相当するはずだ。だからこそ、「普通の人がどうすればモテるのか」の参考になる。
「あの2人はお金と知名度でモテているに過ぎない」という指摘もあるだろう。しかし、彼らの場合は「ブサイクなのにモテる」ことが人気の源泉にもなっている。人気→モテだけではなく、モテ→人気→さらにモテという好循環を生み出しているのだ。
テレビ番組を注意深く観察していると、斎藤と井上に共通するモテ要素が見えてくる。「集中するけど執着しない」である。何に集中するのか。目の前にいる女性だ。他人からの「ブサイクのくせに一生懸命にカッコつけて口説いているぞ」目線などは一切気にしない。そして、自分自身の「オレなんかがこんな美女を口説いていいのだろうか」という卑屈さも消し去っている。
もちろん、彼らは自分がイケメンではないことは十分に認識している。笑いのネタにもしている。だからと言って女性に遠慮はせず、破れかぶれにもならず、周囲に笑われながらも紳士的かつ情熱的に口説くのだ。
少なくともこの一瞬は、世界中で私しか見ていないような真摯さで向かってくる――。この意外性と勇気に、男らしさと可愛げを感じる女性は少なくないはずだ。
一方で、斎藤と井上は1人の女性に執着することはない。フラれたり別れたりしたらさっぱりあきらめるだろう。この点は、バカリズム脚本のテレビドラマ『黒い十人の女』で10人と同時に付き合っているモテ男性の役柄にも通じる。
何よりも大事なのは、恋する女性を喜ばせること。結果として、彼女の愛を獲得するのだ。自分から心が離れてしまった女性、もしくは元から自分には興味がない女性に執着して怖がらせたりするのは本末転倒。ストーカーとは対極にある。
真逆のケース、すなわち「集中しないくせに執着する人」を想像するとわかりやすい。相手の女性をちゃんと見ていないために勝手な妄想を膨らませて恋愛感情を増幅させ、いつまでもその感情にこだわるケースだ。かなり醜い。
正直に言えば、筆者はこういう不真面目な態度で多くの失恋(集中していないので「恋」と言う資格もないかもしれない)を重ねた過去がある。自分が傷つくことを何よりも恐れたのが原因だ。
斎藤と井上は自分が傷つくことなど恐れていない。少なくとも、他人からはそう見える。その真面目さが清々しい。集中はするけれど執着をしない人には、独特の爽やかさと謎めいた雰囲気が漂うのだ。それは色気と言えるかもしれない。