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日本人が知らない国際河川の水問題。ナイル川の不平等な水協定の背景にあった英国の思惑

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
ナイル川(写真:アフロ)

ナイル川の上流地域はエジプトの許可なく水を使えなかった

 ナイル川で水をめぐる争いが起きている。エチオピアがナイル川上流で建設中の巨大ダムで貯水を始めると表明し、水不足を懸念する下流のエジプトとスーダンが反発している。

「ナイルの水は譲れない…エチオピアダムに周辺国が猛反発」(朝日新聞 2021年7月9日 6:00)

「ナイル川『水紛争』再燃 エチオピアがダム貯水 エジプトは水不足懸念」(産経新聞2021年7月9日 19時50分)

 上記のとおり、すでにいくつかのメディアがこのことを報じているが、ここではナイル川の水紛争の歴史をひもといてみたい。

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 ナイル川の流域国は10か国。

 下流から、エジプト、スーダン、エリトリア、エチオピア、ウガンダ、ケニア、タンザニア、コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジ。

 ここでの水の分配は2つの協定に基づいていた。

 1つは1929年にエジプトとイギリス(当時支配下にあったアフリカ4か国を代表)で結ばれた協定(29年協定)、もう1つは1959年にエジプトとスーダンで結ばれた協定(59年協定)だ。

 この協定では、ナイル川の年間水量を840億トンと規定し、そこから100億トンを蒸発で失われる分として差し引き、残りの740億トンをエジプト555億トン、スーダン185億トンで分配するというものだった。

 ほかの流域国については、「要求があれば両国が共同対処する」(59年協定)とあるものの、エジプトの取水に影響が出るような上流国の取水事業には、事実上の拒否権をもっていた(29年協定)。

 この不平等な協定の背景には、イギリスの思惑があった。第2次世界大戦前、イギリスはエジプトの綿花栽培を重要視し、その水資源確保のために、ナイル川の上流地域がエジプトの許可なく水を使うことを禁じた。ナイル川の水は綿花に変身してイギリスに渡り、同国の綿織物産業に貢献した。

独立後も効力を発揮し続ける2つの協定

 第2次世界大戦後、流域国は独立を果たすものの、この協定に縛られ続けた。多くの国際河川(2か国以上を流れる河川)では、上流国の水利用が下流国のストレスとなる。たとえばメコン川における中国の水利用だ。

 しかしながら、ナイル川の場合は、協定によって下流国が強力な水利用権をもつという稀なケースだ。

 その後1999年には、ナイル流域イニシアチブ(NIN)が組織され、ナイル川の水資源の利用について話し合いが繰り返された。しかし、既得権確保を図りたい下流国と水利用を拡大したい上流国は対立し、膠着状態が続いた。

 そのなかで水をめぐる悲劇は繰り返された。

 2009年、エチオピア、ケニアを大干ばつが襲い、1600万人以上が食料不足に直面した。

 ケニアでは農作物、家畜を育てることができずに飢餓に直面し、将来への不安を抱きながら救援物資で生きながらえていた。汚れた水を飲んだ子どもたちが下痢や感染症になっていたが、渇きを潤すためには仕方ないとされた。水場をめぐる暴力事件も頻発し、死亡事件もたびたび発生した。

 2010年、新たな「ナイル流域協力枠組み協定」が提案され、流域各国が他国に影響を与えない範囲で自由に水を使えると規定された。上流国は「水がつかえる」と歓迎したが、下流のエジプトとスーダンは「59年協定の水量が担保できない」と反発した。

世界に国際河川は260本あるが日本にはなし

 現在、エジプトのシシ大統領は「ナイルの水はエジプトにとって生死に関わる問題だ」とエチオピアの動きに神経をとがらせている。エジプトがナイル川の水に強烈な危機意識をもつのは、増え続ける人口とも無縁ではない。2020年2月、エジプトは中東諸国では初めて人口1億人を突破した。もともと砂漠気候に位置し、雨がほとんど期待できないことから、ほとんどの水をナイル川に依存してきた。取水量が減れば、産業だけでなく、国民生活も大きな影響を受ける。

 アフリカ最大となるダムは、長年貧困に苦しんできたエチオピアにとっては、悲願のプロジェクトである。本格的に発電が始まれば、国内の電力をまかなうだけでなく、近隣諸国への売電も可能になる。

 こうした国際交渉に、権利ばかり主張しても解決しないことはエジプトでも認識されている。エジプトは節水型農業の技術研修を行うなど、水利用の効率化を計りながら、交渉を続ける構えだ。

 国境をまたぐ国際河川は世界中に260本あり、国土内に国際河川の流れる国は145か国ある。ここには水紛争の火種が燻っていると見ることができる。

 国際河川の上流にある国が大量に水を使えば、下流の水は減る。上流が汚れた排水を川に流せば国境を越えて下流国を汚染する。今後、世界各地で国際河川の利用に関するルールづくりが必要になるだろう。

 日本は島国で河川は上流から下流に至るまで国土内で完結しているため、河川の使用をめぐって他国から一切の影響を受けない。日本人が水問題に関心が薄いのは、このことも一因と考えられる。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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