ナックルボーラーに転向してカムバックをめざすのは大家友和だけじゃない。元クローザーや元横浜の一塁手も
昨年12月、大家友和はボルティモア・オリオールズとマイナーリーグ契約を交わした。ナックルボーラー転向後、2度目のマイナーリーグ契約だ。2014年はノン・ロースター・インバイティー(キャンプ招待選手)としてトロント・ブルージェイズのスプリング・トレーニングに参加したが、3月上旬にマイナーリーグのキャンプへ送られ、同月下旬に解雇された。2009年を最後に、大家はメジャーリーグでは投げていない。
ナックルボーラーに生まれ変わり、メジャーリーグ復帰をめざすのは、大家だけではない。YAHOOスポーツのティム・ブラウンは2月9日に「ブライアン・ウィルソンがナックルボール・ピッチャーとしてMLB復帰をめざしている」と題した記事を発表した。
もちろん、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンではない。2008~11年にサンフランシスコ・ジャイアンツでクローザーを務めた「ザ・ビアード(鬚)」のことだ。当時、ウィルソンの速球は100マイルを超え、スライダーも95マイル以上を計時した。ちなみに、登場曲は「サーフィンUSA」でも「グッド・バイブレーション」でもなく、ハウス・オブ・ペインの「ジャンプ・アラウンド」だった。
過去2年、ウィルソンはマイナーリーグや独立リーグでも投げておらず、現時点ではどの球団とも契約していない。また、2011年にはESPY賞の授賞式に、タキシードならぬ「タキシードを描いた全身タイツ」で登場したように、ウィルソンはキャラクターもユニークだ。けれども、ナックルボーラー転向はジョークではないという。
ブラウンはこんなツイートもしている。
「髭なし、スピンなし…」ナックルボールは非常にスピン(回転)が少ない。
ナックルボーラーに転向し、カムバックをめざしている投手は、大家やウィルソンの他にもいる。2009~10年にワシントン・ナショナルズで24登板したJ.D.マーティンも、その一人だ。マーティンはマイナーリーグ、韓国、独立リーグを経て、昨年6月に再びナショナルズと契約し、ルーキーリーグ→A→A+→AAとステップアップした。
投手だけではない。ダン・ジョンソンは横浜ベイスターズで24本塁打を放った2009年を挟み、2005年から2015年にかけてメジャーリーグで一塁を守ったが、昨シーズンは独立リーグとロサンゼルス・ドジャース傘下のAAで、マウンドに上がってナックルボールを投げた。
ティム・ウェイクフィールドはもともと内野手だった。R.A.ディッキー(アトランタ・ブレーブス)はメジャーデビューから数年間、速球やチェンジアップを主体としていた。彼らはナックルボーラーに転向し、ウェイクフィールドは200勝を挙げ、ディッキーは2012年にサイ・ヤング賞を受賞した。
けれども、ナックルボールを操るのは、そう容易なことではない。
2003~07年にジャイアンツでプレーした一塁手は、2009年にナックルボーラーに転向したが、メジャーリーグで投げることはできなかった。その選手の名前はランス・ニークロ。彼はナックルボーラーの父と伯父を持つ。父のジョーと伯父のフィルが挙げた計539勝――ジョーの221勝にはナックルボーラーではなかったキャリア初期の白星を含む――は、今も兄弟合計のメジャーリーグ最多記録として残っている。