【衆院選】 小池マジックも効果なしか。苦戦する希望の党
集まったのは進次郎氏の5分の1
なぜこれほどにも変わってしまったのか。あの頃の熱気はどこへ行ったのか。
10月13日午後4時20分、渋谷駅の改札を出てセンター街方向に向かうと、希望の党の街宣車があった。9月28日に安倍晋三首相が公明党の山口那津男代表と一緒に街宣し、10月8日には小泉進次郎氏が熱弁を振るった場所とほぼ同じ位置だ。
昨年7月の都知事選では、自民党の推薦を得られず、孤立無援で戦った小池百合子東京都知事。それを支えたのは百合子グリーンのグッズを持って集まった支援者たちだった。だがこの日の渋谷では、そうした人たちの数は少なかった。第一、人が集まっていない。ざっと見て、進次郎氏の時の5分の1程度だろうか。安倍首相の時にも及ばない。
「この日本、変えるべきところは思い切って変える。守るべきところは断固として守る」
小雨降る中、百合子グリーンのレインコートを着た小池知事は街宣車の上で声を張り上げた。しかし演説が終わった後、街宣車の近くにいた筆者の元には、拍手もかけ声も聞こえてこなかった。
この日の最高気温は20度を下回り、真夏のような暑さだった前日とは10度もの差があった。晩秋のような肌寒さとともに、小池知事は自らの失墜を感じていたのかもしれない。
聞こえてくる恨み節
一体どこで間違ったのか。希望の党の関係者はそう思っているに違いない。民進党から希望の党への候補者の公認調整を担当した玄葉光一郎元外相は、10月13日に地元で演説会を開き、「(小池知事の)排除発言がなければ、希望の党は200議席に迫っていたはず」と悔いている。
しかしながら政党とは、政治理念を同じくする者の集まりだ。選挙のために離合集散されては、有権者としてたまったものではない。
さらに希望の党の不振の本質はそこではない。そもそも小池知事の“賞味期限”が切れたのかもしれない。
サプライズやウィットを組み込んだイメージ戦略。これが小池知事がとってきた戦法だ。たとえば1992年に、国会に初登院した時の小池知事のいでたちは緑色のサファリジャケットとヒョウ柄のミニスカート。「永田町には猛獣や珍獣、それに狸もいらっしゃると聞いたので」と述べて話題になった。
だがこのセンスはバブル期までのものだ。また「アウフヘーベン」や「ベイシックインカム」など、カタカナを多用する言語感覚も、バブル期にもてはやされた。要するに中味がなくても新語を使っていればインテリに思われるという感覚だ。
そしてバブルが崩壊して30年たとうとしている今、もうそのような機運はない。何よりも若い世代はバブル期の記憶がない。最初は面白く思われても、すぐに飽きがくる。
まさかの若狭氏苦戦
実はその兆候はメディア各社が行った世論調査にも出ていた。小池知事のおひざ元である東京10区(豊島区及び新宿区、中野区、練馬区の一部)で、若狭勝氏が予想外の苦戦を強いられているのだ。
若狭氏の相手は自民党の鈴木隼人氏。実は鈴木氏に自民党の公認が決定した後も、一部の地方議員が反対していた。「鈴木氏では若狭氏に勝てない」というのがその理由だった。さらに「鈴木隼人では立憲民主党の鈴木庸介にさえ負ける」とまで言われていたのだ。
ところが直近の世論調査では、鈴木氏の健闘ぶりが目立っている。実際に10日の公示日には池袋東口で小泉進次郎氏の応援を得て約3000名も動員した。同じ日に若狭氏は小池知事とともに池袋西口に立ったが、昨年の知事選や衆議院補選には遠く及ばなかった。というのも、街宣車の前には人が入れない謎の空間が作られたが、これはメディアや聴衆を外側に押し出し、人がたくさん集まっているように見せる戦法だ。そんな手段を使わなければならないほど、勢いはなくなっていたのかもしれない。
さて10月22日の投開票まで後1週間になった。小池知事は希望の党が沈まないようにいろいろと手を打ってくるに違いない。それで有権者の関心は戻るのか。もはやそういう時代ではないような気がする。