岸田首相、突然の不出馬表明 その背景に見える「次の方策」
突然の不出馬表明
岸田文雄首相が8月14日、9月に行われる自民党総裁選に出馬しないことを表明した。11時30分から開かれた会見で、岸田首相は「所属議員が起こした重大な事態について組織の長として責任をとることに、いささかの躊躇もありません」と説明し、不出馬は「今回の事案が発生した当初から重い定め、心に期してきたところ」と明かしている。
そして「自民党が変わることを示す最もわかりやすい最初の第一歩は、私自身が身を引くこと」と述べ、清和会のパーティー券問題に始まる一連の政治とカネ問題の責任を自らが背負って、官邸を去る意思を示した。 約3年にわたる岸田政権は、長期にわたった安倍・菅政権の見直し時期でもあった。「新しい資本主義」を提唱し、30年にわたる日本経済の停滞からの脱却を図ろうとした。日本の国力を低下させる(悪い)円安を阻止すべく、日銀が今年3月にゼロ金利政策から脱却したことで、ようやく成長の成果が家計にも染み渡る経済が実現する予定だった。憲法改正に意欲を見せ、防衛費増など安全保障政策にも積極的に取り組んだ。ハト派の宏池会系としては、珍しくタカ派の政策まで切り込んだ。これは本来ならタカ派政治家であるにもかかわらず、第2次政権で社会福祉などにウイングを広げて政権基盤を盤石にさせ、通算3188日も総理大臣の地位にいた故・安倍晋三元首相に倣ったものかもしれない。
安倍政権との違い
にもかかわらず、岸田政権の支持率が伸びなかった理由は何か。7年8か月続いた第2次安倍政権では、菅義偉官房長官を要として各省庁をあまねく掌握。押しが強いことで知られる今井尚哉秘書官(後に補佐官を兼務)も霞が関ににらみを利かした。 党務では自転車事故で負傷した谷垣禎一幹事長に代わって、二階俊博幹事長が就任した。二階氏は財務と人事で党を仕切り、志帥会の勢力を拡大させたが、総理総裁の野心はなく、ひたすら安倍首相に忠誠を尽くしてみせた。また菅政権でも留任し、在職日数は歴代最長の1885日を記録した。
一方で、岸田首相の懐刀はもっぱら木原誠二氏ひとりだった。その木原氏に週刊新潮は木原氏の「もうひとつの家庭」を報じ、週刊文春は木原夫人の前夫の死をめぐる疑惑を報じ続けた。内閣官房副長官として華々しく活躍していた木原氏だが、スキャンダル発覚後は官邸を去り、幹事長代理兼政調会長特別補佐として党務に封じこめられる形となった。もちろん岸田首相からの呼び出しに応じて、引き続き官邸には入りしていた。
幹事長の支えも強くなかった。当初は総裁選でいち早く支持してくれた甘利明幹事長が就任したが、2021年10月の衆院選で落選し、復活当選したことで辞任。その後任に手を挙げたのが、外務大臣だった茂木敏充幹事長だった。 こうして麻生太郎副総裁と茂木幹事長は岸田政権の屋台骨となった。しかし茂木氏には総理総裁への野心がある。しかも1955年生まれの茂木氏は、1957年生まれの岸田首相より年上だ。
次期総裁選は予想もつかない展開に
9月に行われる総裁選では、すでにそれぞれの思惑が乱れ飛ぶ。世論調査で「次の首相」の上位を占める石破茂元幹事長や河野太郎デジタル大臣が出馬の意欲を示し、高市早苗経済安全保障担当大臣も同志と会合を重ねると同時に、全国で演説会を行い、党員らの支持を集めている。
また小泉進次郎元環境大臣や小林鷹之前経済安全保障担当大臣といった若手の名前も挙がっている。小泉氏は43歳で、小林氏は49歳。若手の彼らが総裁選の中心となれば、自民党は一気に若返りが実現する。 だがそうなれば、60代以上の政治家に対する事実上の表舞台からの引退勧告になりかねない。それでも党内で力を発揮するにはキングメーカーとして君臨する他はないが、あるいは岸田首相はそれを狙っているのかもしれない。だから自民党にとっての宿業ともいえる「政治とカネ」問題をひとり背負って、表舞台から降りようとしているのだろう。
総裁選不出馬宣言の冒頭で、その前日にキルギスのジャパロフ大統領やモンゴルのオユーンエルデネ首相と電話会談を行い、「この夏の外交の一区切りをつけた」とした岸田首相は、外務大臣を通算1687日間務めた自負をのぞかせた。 岸田首相が総裁選に出馬しないことで、党内力学が大きく変わることは間違いない。9月に行われる自民党総裁選から、ますます目が離せなくなった。