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定年目前のデビュー戦が大やけどで幻に、悲運のボクサーはそれでもサンドバッグを叩く

渋谷淳スポーツライター

■計量会場に包帯グルグル巻きのボクサー

2016年も押し迫った12月18日、ボクシングの計量会場で異様な光景を見た。目の前にいた選手がおもむろにズボンを脱ぐと、両脚は何と包帯でグルグル巻き。難しい顔で苦労しながら包帯を外すと、両脚の裏側が「うわっ!」と声を上げたくなるような真っ赤なやけどでただれていたのだ。

あっけにとられたコミッション職員が計量作業の手を止め、やけどのボクサーと話し合う。どうやら選手は出場を訴えているようだ。そこに現れたドクターは、足の状態を一瞥し、静かに首を振った。あえなくドクターストップである。

試合6日前に大やけどをした小泉
試合6日前に大やけどをした小泉

ボクサーの名前は小泉雅也。翌日はデビュー戦だったとはいえ、どう考えても試合のできる状態ではない。それでも彼が一縷の望みを抱いてスーパー・フェザー級のリミット、58.9キロまで体重を落とし、計量会場まで足を運んだのにはわけがあった。

小泉の年齢は36歳。年が明けて1月1日には37歳の誕生日を迎える。日本のプロボクシングは、健康管理、安全管理を理由に、37歳の誕生日にライセンスが失効するというルールがある。俗にいう37歳定年制だ。つまり小泉にとってデビュー戦は、プロのリングに立てる最初で最後のチャンスだったのだ。

「めちゃくちゃショックでした。友だちも応援してくれていたし、自分も戦う姿を見せたかった。『なんでやらせてくれないんだ』とも思いましたけど、あの傷では仕方ないのかなと。本当に残念でしたね…」

■21歳で結婚、工場勤務の傍らボクシングに励む

19歳でボクシングジムに通い始め、21歳からは元世界王者の小熊正二さんが主宰する埼玉県川越市の小熊ジムでトレーニングを続けている。いつかはプロになるつもりが、リングまでの道のりは思いのほか遠かった。マーガリンやホイップクリームを作る食品加工会社の工場で勤務しているため、遅番が多く、連続してジムに通うことが難しかったからだった。

工場の仕事を辞めて、時間の都合のつくアルバイトなどに切り替えれば、練習に通うこともできただろう。しかし、子どもができて21歳で結婚をした身に、定職を手放すという選択肢はなかった。30歳を過ぎて妻とは離婚をしたが、養育費を払うという責任はしっかり果たしたかった。

「プロテストに30歳すぎて受かったあと、試合は何度も組んでもらおうとしたんです。ジムに行けないときは自宅で練習していましたが、会長の出した条件は、会長の目が届くジムでしっかり練習すること。ジムに行くためには仕事仲間に遅番を任せなくちゃいけない。何度が仕事の都合がつきかけましたが、そういうときに限って退職者が出てしまったりして。タイミングがなかなか合いませんでした」

■試合6日前の悲劇、熱湯が両脚を直撃

ようやくすべての条件がそろい、12月の試合が決まった。やっとプロのリングに上がれる! 必死になって練習し、肩を痛めたりもしたが、試合に出られる喜びに比べれば、大したことではなかった。そして試合の6日前、想像もしなかった悪夢は訪れた。

「ホースから出る熱湯を凍っている食材にかけて溶かし、タンクに入れる作業をしているときでした。この作業は水と蒸気をうまくレバーで調整して、ちょうどいい熱湯を作るんです。工場は集合管になっているので、別の場所でで水を大量に使ったりすると、自分のホースをレバーで調整しないといけない。そのホースが床で暴れだしてしまって…」

別の作業者が床に置いたホースが、何らかの原因で水と蒸気のバランスを崩し、高温の蒸気を突如大量に噴出した。これが小泉の足に直撃した。背後でいきなりホースが暴れたため、まったくよけることはできなかった。蒸気を浴びた両脚の裏側は無残な状態となり、小泉は病院に担ぎ込まれた。

練習はいつでも真剣勝負「もっとうまくなりたい」
練習はいつでも真剣勝負「もっとうまくなりたい」

その後、小泉は「試合は無理だ」という医者に食らいつき、別の医者を紹介してもらって何とか試合出場を許してもらった。小熊会長も首を縦には降らなかったが、これも懸命に説得し、ようやく計量会場に行くことを許してくれた。結局試合に出られず、翌日に病院に行くと、即入院を言い渡された。やはり試合に出られるような状態ではなかったのである。

■身体が持つ限りボクシングを続ける

「スパーリングでやられて、もっと強くなりたい、もっとうまくなりたいと思って練習する。ここでやめたら負けだと思って練習する。その繰り返しです。スパーができなくなっても、サンドバッグとか叩き続けると思います。身体が持つ限りはやりますよ。自分の性格からして仕事人間にもなれないですしね。社会人失格かもしれないですけど」

幻となったデビュー戦から2か月半がすぎた3月某日、小泉は久々にジムで汗を流した。入念にシャドーボクシングをし、小熊会長のミットにパンチを打ち込み、サンドバッグに向かい、パンチの軌道を確認した。ボクシングのない人生なんて考えれない。たとえ試合に出られなくても、小泉はサンドバッグを叩く。

スポーツライター

1971年生まれ、東京都出身。大学卒業後、河北新報社、内外タイムス社で、高校野球、ボクシング、格闘技などを担当し、2004年にアテネ五輪を取材。独立後にはバスケットボール、ラグビー、柔道、レスリングもフィールドに。著書は「慶応ラグビー 魂の復活」(講談社)。現在Number webにて「ボクシング拳坤一擲」を連載中。

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