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井上尚弥が圧倒か、ドネアの強打炸裂か かつて怪物と戦った田口良一の参謀が井上×ドネア2を徹底分析

渋谷淳スポーツライター
3日の記者会見で闘志を見せる井上(左)とドネア (写真:山口裕朗)

バンタム級2冠王者、井上尚弥(大橋)がいよいよ6月7日、さいたまスーパーアリーナでWBC王者ノニト・ドネア(フィリピン)との3団体統一戦に臨む。“モンスター”のニックネームで世界にその名を轟かせる井上はドネアをどのように料理するのか、はたまた世界5階級制覇の39歳、“レジェンド”ドネアはどうやって不利予想を覆してみせるのか――。かつて担当していた田口良一とともに井上に立ち向かった理論派、角海老宝石ジムの石原雄太トレーナーに両選手の戦力を分析しながら展望を語ってもらった。

 石原トレーナーとタッグを組む田口が井上と対戦したのは2013年8月のことだった。当時は田口が日本ライト・フライ級チャンピオンで井上は挑戦者という立場。“怪物”のキャッチフレーズでプロデビューした井上はまだ4戦目の20歳ながら、のちに世界王者になる田口を前にして「圧倒的有利」が予想される試合だった。

9年前の日本タイトルマッチ、井上にはまだ穴があった!?

 石原トレーナーは井上の映像を徹底的に分析した。田口と井上がスパーリングをしたこともあったので(このとき田口はダウンさせられている)その映像も繰り返しチェックした。そして攻略の糸口とみられる井上の弱点を見つけたのである。

2013年の日本タイトル戦。井上が文句なしの判定勝ちながら田口の健闘も光った
2013年の日本タイトル戦。井上が文句なしの判定勝ちながら田口の健闘も光った写真:築田純/アフロスポーツ

「あのころの井上選手は得意の左フックを打つときに右ガードが開くクセがありました。そこに田口の左フックを合わせたら面白いんじゃないか。仮に相打ちで同時に当たってもいい。田口はタフで、井上選手はまだプロのパンチをアゴにもらったことがない。相手のパンチはおでこで受けて、こちらのパンチは相手のアゴに当てるという相打ちの練習をけっこうやりました」

 蓋を開けてみればこの作戦は成功しなかった。井上のテンポとスピードは予想以上に速かった。また、こちらの意図を見抜いて対応するスピードもケタ違いに早かった。

「左フックはあっという間に警戒され、すぐに対応されてしまいました。たとえば井上選手は田口の左フックがくると首を傾けて流す。あるいは足を使ってワンツー主体の攻めに変えて左フックを打たない。本人もそうですけど、セコンドのお父さん(真吾トレーナー)を含めて対応がすごく早い。作戦がはまらず、苦しい戦いになりました」

 結果は“怪物”が10回判定勝ち(98-93、98-92、97-94)で王座を獲得した。井上は今日まで22戦のうち判定勝ちは3試合しかなく、苦しみながらも最後まで戦い抜いた田口の健闘は記憶に残る。そして9年も前の話とはいえ、あの井上に穴があったという事実は今になって聞くと新鮮だ。

「当時の井上選手は左フックを打つときにアゴが上がってそのまま飛び込んでくることも多かった。攻めどころはあったんです。だから田口は総合力で劣っていても、的を絞っていけば勝てるかもしれないと思えた。でも、今はまったく違いますね。井上選手はあらゆるリスクを回避する技術を身につけ、本当に穴のないボクサーに変わっていきました」

激戦となった2019年11月の井上×ドネア1
激戦となった2019年11月の井上×ドネア1写真:YUTAKA/アフロスポーツ

 そのひとつが左フックの打ち方だ。田口は左フックの相打ちを狙った。それが契機になったかは不明だが、その後の井上は左フックで相打ちを避けるために、左フックを打つときに頭を後ろに下げることが多くなったという。

「左フックを打つときに頭を少し後ろに下げながら打って、相手の左フックを相打ちでもらわないようにリスクを回避しています。ドネアとの第1戦でもその動きは使っていました。こうすると相打ちになってもドネアの左フックは井上選手の目の前で空を切るか、かする程度なんです」

 攻撃において、ディフェンスにおいて、少しでも優位に立つための“細かい芸”は他にもたくさんある。もう少し解説してもらう。

多くの強者が井上の“内側からの左フック”で沈んだ

「すごいところはたくさんありますけど、ひとつあげるならパンチを当てるための足のポジショニングがものすごくうまい。たとえば左足を前に踏み込んで打つ内側からの左フック。これは井上選手がよく使うパンチです。田口とやったときは出していませんでした」

 フックは外側から弧を描いて顔面に届くのが一般的な軌道だ。攻める側は左ヒジを引いて少しためるようにしてフックを打ち込む。守る側からすると横から顔面にパンチが打ち込まれる形となる。これを外側からの左フックと呼ぼう。では、内側からの左フックとはどんなパンチなのか。

「相手がワンツーを打つときのワンとツーの間のタイミングで左足を前に踏み出して左フックを打ち込みます。左足が前に出ているので少し半身の姿勢になります。このパンチの利点は相手のガードの内側からストレート気味にフックが入ること。外側からのフックはガードを上げてブロックすれば致命傷にはならない。でも、内側からくるとガードをあげていてもアゴにもらってしまうんです。ためを作らず小さな振りなので威力はないけど、見えないパンチだから効くんです」

 石原トレーナーによれば、井上は内側からの左フックで何度もダウンを奪っている。WBOスーパー・フライ級王座を獲得したオマール・ナルバエス戦、同級王座の防衛戦となった河野公平戦、WBSSバンタム級準決勝のエマヌエル・ロドリゲス戦。試合を決定づけたのはいずれも内側からの左フックだった。

井上は2019年WBSS準決勝でも左フックを炸裂させた
井上は2019年WBSS準決勝でも左フックを炸裂させた写真:ロイター/アフロ

 こうした井上の技術の一部を耳にしただけでも、ドネアに勝ち目はないように思えてしまう。ならばドネアはどのように戦えばいいのだろうか。次は石原トレーナーにドネアのトレーナーになったつもりで考えてもらった。

ドネアは策士、常にワナを仕掛けて相手を仕留める

「海外の報道を見ると、ドネアは井上選手との第1戦で『前に出すぎた。打ち合いすぎた』という趣旨の発言をしているようです。じゃあ次はあまり前に出ず、引き込んで誘うようなボクシングをしたら勝てるのか。実際にドネアって相手を引き込んで、ワナを仕掛けて、後ろで外してカウンターを打つのがすごくうまいんですけど……」

 “フィリピーノ・フラッシュ”の異名の源である強烈な左フックでセンセーショナルなノックアウトを演出してきたドネアは強打者のイメージが強いが、一方でなかなかの策士であることも知られている。いつだったか、石原トレーナーは来日していたドネアのもとへ担当選手を連れてスパーリングに出かけた。そのとき交わした会話をよく覚えている。

「ドネアの左フックは瞬発力とか身体能力の高さが生み出していると思っていました。それが本人と話をしてみると『一番大事なのは相手に分からないように打つことだ。気配を消すことだよ』と。『キミの選手のパンチは全部分かるよ』とも言われました。イメージとは違っていたので、すごく印象に残りました」

 ワナを仕掛け、気配を消したドネアのノックアウトは枚挙にいとまがない。WBC王座を獲得した21年のノルディーヌ・ウバーリ(フランス)戦は、引き込んで左アッパーを打たせておいて左フックで倒した。遡って伝説となっている11年のフェルナンド・モンティエル(メキシコ)戦は、左ガードを下げて右ストレートを誘い、打ってきたところを後ろで外し、左フックでメキシカンを沈めた。

伝説のノックアウトとなった2011年のモンティエル戦
伝説のノックアウトとなった2011年のモンティエル戦写真:ロイター/アフロ

 後ろで外すとは、上体や頭を後ろに引いて相手のパンチを外すこと。そこからパンチを出すのだからタイミングは少し遅れる。それでもなおドネアは相手より先にパンチを打ち込むことができた。ところがそれは井上には通用しない。石原トレーナーはそう考えている。

ドラマ・イン・サイタマ2の結末は…

「井上選手って打ったあとに相手のパンチをもらわない位置に戻るのがものすごく早いんですよ。体の引きですね。手をガードの位置に戻すのも早い。そうなるとドネアが引き込んでカウンターを合わせようとしても、パンチを出したときに井上選手はもういないんです。第1戦でも通用しませんでした。そもそも井上選手が前に打ちにいってカウンターをもらった姿って見たことがないですから」

 では、ドネアはどうすればいいのか。

「引きつけて後ろで外してカウンターを打っても間に合わない。そうなると前で外すしかない。第1戦の9ラウンド、ドネアが右を決めて井上選手にダメージを与えたシーンがありました。あれはドネアが体重をわずかに左足に乗せて、頭を少し前に出して井上選手のジャブを誘い、それを右足への体重移動で外してすかさず右を決めた。あれは引かずに横にズラして外したので間に合いました」

 ドネアは下がるのではなく、井上にプレッシャーをかけ、前でパンチを外して勝負するのが得策ということになる。前で外すのは距離が近い分、後ろで外すよりも危険性が高い。しかし、それくらいリスクを追わないと井上には勝てないと石原トレーナーは見ている。

「井上選手はリスクを回避する能力が半端なく高い。だからいつも圧勝になっちゃうんですけど、その井上選手を攻略したいなら、ドネアは相当リスクを冒さないとダメだと思います。でも、本人も分かっていると思うんですよ。だからこそメディアに『前回は攻めすぎた』と逆のことを言ったのかなと。パンチ力と体の強さならドネアのほうが上ですし」

 石原トレーナーはドネアに勝利の可能性を見いだしつつも、「井上選手が中盤にダウンを取って8、9、10あたりで倒すような気がします」とモンスターの勝利は動かないと見ている。はたしてドネアはどのように戦うのか、井上はどう対処して試合を進めるのか。バンタム級のトップに立つ2人のファイトは試合開始のゴングからまったく目の離せない攻防が繰り広げられそうだ。

スポーツライター

1971年生まれ、東京都出身。大学卒業後、河北新報社、内外タイムス社で、高校野球、ボクシング、格闘技などを担当し、2004年にアテネ五輪を取材。独立後にはバスケットボール、ラグビー、柔道、レスリングもフィールドに。著書は「慶応ラグビー 魂の復活」(講談社)。現在Number webにて「ボクシング拳坤一擲」を連載中。

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